第1章・第2話 信じられない目覚め

 ――かくして、あたしは事故死したわけだけど、文字通り「まさか」の展開が待っていたのよ。


 ……目覚める感覚が、あった。

 同時に、あれ? とも思った。

 死んだはずじゃなかったの?

 けど、目を開けられる感覚がする。


「う……ん……」

 意識が徐々に戻っていくのが分かる。

 朝の目覚めに似てはいるけれど、どっちかというと、泥酔して寝落ちして、翌朝二日酔いで起きるような、ひどい重たさを伴っていた。


 やっぱり、もう少し寝かせてよ、と思った。でも「何か」が声なき声で「起きろ!」と怒鳴っているようだった。

 もう……うるさいなあ。起きればいいんでしょ、起きれば。

 ぐずる意識に鞭打つ気持ちで、ゆっくり目を開けた。


「……はっ?」

 はっきりと、目が覚めた。

 開けた視界の一面、灰色の世界だった。

 って言うか、ゴミの山の中みたいだった。


 どう考えても天国じゃない。いや、別に地獄だから文句があるんじゃなくて、もの申したいのは、このセンスの無さよ。美意識のカケラも無い。ここで受ける罰が云々以前の問題じゃない? 個人的には許せない。


 横たわっていた身体を起こそうとすると、やけにギクシャクした感じがする。痛いわけじゃないんだけど、とにかく固かった。

「よっ、と……」

 何はともあれ、起き上がれた。改めて、周囲を見る。

 やっぱり、見渡す限りのゴミの山だ。ほんっとにセンスのない地獄だこと。設計者と、それにOKを出したのは誰よ、まったく。


 ……と、怒れてるうちが花だったのよね。

 それにつけても、どうしてこんなに、身体がギクシャクするわけ? 人形じゃあるまいし。

 そう思ったところで、すんごく嫌な予感がした。

 まさか……ね? と思いつつ、自分の手を見た。

 それは、人形の手だった。

 ひらひらと手を動かしてみる。人形の手が、その通りに動く。


 信じられなかった。

 信じたくなかった。

 でも。

 視界の中に、あたかも「自分で確かめてみろ」と言わんばかりに、鏡の破片がつっ立っていた。

 鏡に近づき、おそるおそる、覗き込む。

 ……そこには、薄汚れたリカちゃん人形が映っていた。

 もう一度、身体を動かしてみる。

 鏡の中の人形は、その通りに動く。

 ……悪い冗談にしか思えなかった、

 あたし、ゴミ人形に生まれ変わっちゃったわけ!?


 生まれ変わることそのものは、「あるかもね」ぐらいには思っていた。

 例えば、チベット仏教の最高指導者である、ダライ・ラマ。あれは、後継者を決める基準が「先代の生まれ変わりかどうか」っていうこと。それを、たくさんの子ども達の中から見極めて選ぶのよ。そして、毎回該当者がいる。比べること自体意味がないかもだけど、まゆつばもののオカルトジャンルじゃ、「生まれ変わり」なんかありふれてるし。


 要するに、「知識」としては「一応肯定できる」範疇ではある。

 ただし、それがいざ我が身に起きた。しかも悪い方向にとなると、納得しろって方が難しかった。


 これって、今際の際の、悪い夢なんじゃ? いたって普通にそう思った。

 古典的ではあるものの、頬をつねって……みたかったけど、できなかった。

 だって、手はあっても指がない。それに、つねることができるほど、人形の肌は柔らかくない。


 ……我ながら不思議なもの。

 ゴミ人形に生まれ変わったという現実を受け入れるより先に、まず自分の現状を理解しようという思考が働いた。あたしは天才じゃないけど、頭はいい方だと自認してる。その思考力が、フルスロットルで回り始めた。


 まず、五感はあるのかが気になった。さっきから、目は見えている。かすかにだけど、どこからか風のうなりが聞こえるから、聴覚もあるらしい。肉体的な理屈で見えているわけじゃないようね。なにせ、人間と同様の目と耳、あるいはその情報を処理する脳を持っている人形なんか、まずないし。となると、推論でしかないけれど、魂レベルで、かしら? 推論とは言ったものの、それが一番しっくりくるわね。


 触覚については、どうやらないらしい。だって、生身なら裸足で立っていられないほどの場所なのに、足が痛いとは思わないから。試しに、ギクシャクしながらだけど、両手を叩いてみた。できることはできたけど、感覚がまるでない。


 嗅覚もないわね。だってこんなゴミの山なら、耐えられないレベルでの嫌な臭いがするはず。それを一切感じないから。味覚は考えるまでもない。なにせ、口がないんだし。ただし、なぜか「口と舌がある」感覚は、死ぬ前と変わっていない。念のために、意識的に口を開けてみた。「開いている」とは「認識」できるものの、人形の口は開いていない。少し変な感じがした。さらにおかしなことに、気管や肺なんかあるはずもないのに、「呼吸をしている」実感があった。もう一つ追加でおかしなことは、人形に三半規管なんかないのに、平衡感覚は変わらずにあること。どういう理屈なのかしら? と考えかけて、やめた。だって理由の見当がつかないし、仮に知ったところで、何がどうなるわけでもないし。


 頭が、さらに鋭敏に回る。次に、ここがどこか? を考えた。

 少なくとも地獄じゃない。文字通りのゴミの山だ。一般的に、いくらかの皮肉を込めて「夢の島」などとも呼ばれるわね。周囲のゴミを見ると、日本語が書かれているものがチラホラある。ってことは、海外でもないみたい。


 ただし、「国内の夢の島に、ゴミ人形として生まれ変わった」という事実は、理解はできても受け入れがたい。いや「受け入れがたい」じゃなくて「受け入れられない」。


 なんなの? ひどくない? 罰ゲームってレベルじゃないわよ!

 なるほど、百歩譲って、専務と不倫してたのは罪にカウントしてもいいわ。

 けど、あんまりでしょ!? その他に、あたしが何をしたってのよ!?

 ……地獄以上だわ。あんまりにもあんまりすぎる。


 逃げ出すことを考えた。それは多分、至って当たり前のことのはず。

 ただし、こういう状況下でも、我ながら嫌になるぐらいに頭が回り続ける。


 あたりを見ても、この「山」から抜け出せそうな隙間はない。加えて、仮に「山の上」に出られたところで、「山の範囲」は、恐らく広大なはず。人形の足で脱出を試みても、膨大な時間がかかる。


 さらに加えて、万一、人の住むところに出られたとしても、住所の手がかりがない。仮定の話は続くけど、もし住所が分かっても、自分の家に戻ることは、ちょっと考えづらい。そもそも、人形が道を歩いていたら、不気味がられるどころじゃない。もし、自分がそんなのを見たら、蹴りの一つでも入れたくなる。


 トドメを刺す現実がある。万々が一、何らかの超絶な幸運が重なって、自分のマンションに帰れたとしても、まずエントランスのオートロックを開けられない。どう考えても、人形の背丈じゃ届かないから。よしんば中に入れても、部屋は五階。やはりエレベーターのボタンは押せないし、階段を昇ることもできない。OK、それら全てをクリアできたにせよ、部屋の鍵を持っていない。


 ダメ押しで絶望的なことがある。億が一にも自分の部屋へ入れたとして、もはや人間ではない、まして対外的には死んだんだから、今まで通りの「高嶺たかみねあげは」としての社会生活なんて送れるはずがない。


 つまり。将棋で言うところの「詰み」、チェスで言うなら「チェックメイト」ってことね、どう考えても。


 ……どうして、こんなに冷静に思考ができるんだろう? 不思議と言うより不可解だった。まあ確かに、必死に努力して東京のJ大学を上位十位内で卒業したし、勤めてた銀行じゃ、「頭の切れる才媛」って評価だった。自分のうぬぼれじゃなくて、周囲からも、頭の良さは認められていたわね。


 けどさ? 物事にはTPOってのがない? あたしはね! 人でも物でも行為でも! 「役立たず」が一番嫌いなのよ! 下品な言葉の一つでも言いたいところだけど、そういう類のセリフを言いたくはない。だって、それこそ、何の役にも立たないから。


 ……憂鬱だった。これからどうすればいいのか、まるっきり見当が付かない。

「……?」

 そこで、違和感を覚えた。自分が今立っている場所。周囲がゴミだらけなのはいいとして……何かがおかしい。おかしいと言うか、意味がある場所のように思える。ここは……そう、道だ。たとえば獣道みたいなそれ。


 改めて、感覚を研ぎ澄ませてみる。空気の違いを察する触覚はないから、やっぱり魂レベルでだろうけど、明確な「気配」を感じた。それも、人の気配に近い。


 何かがある。その直感に従って、その方向へ「道」を歩いて行った。


 ……ここから、予想外もいいところの展開になるのよね。

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