泣き虫男と泣かない彼女

澄風一成

泣き虫男と泣かない彼女

「コウ君は男の子でしょ! そんなめそめそ泣かない!」

 妻がそう息子に言い聞かせる。この言葉を聞くたびに、胸が少しきゅんとなる。


「お前は男でしょ。泣くな!」

 そんなこと言われたって、仕方ないだろう。人間はそれぞれ受け止められる痛みの量が違う。男は痛みに強い、強くあるべきなんていうのはあまりに乱暴だ。男に言われるならまだしも、女にそんなこと言われたって、「結局は強い男に守ってほしいだけだろ」と思ってしまう。クラスのもめごとで真っ先に涙を流すのだっていつも女子たちだっただろ。

 でも、彼女だけは違った。名前はニイヤマサクラ。黒板の日直欄には「新山桜」と書いていた。新山桜は男より男らしかった。髪はショートで、顔の輪郭はキリっとして、目尻もやや吊り上がっていた。それに身長も中学2年生だというのに165センチを超えていた。多分、男子の平均身長くらいはある。ズボンを履いていたら、後ろ姿だけだと性別の区別がつかない。そんな新山桜はいつも僕に言うのだ。

「お前、男だろ。泣くなよ」と。

 そして、そう言いつけてくる新山桜のことが僕は嫌いだった。それに、きっと新山桜も泣き虫の僕を見るのにうんざりしていたに違いない。

 そんなある日、僕へのイジメが始まった。

「また泣いてるのか?」

「……」

「なんで泣いてるの?」

「……」

「何されたの?」

「……」

「黙ってちゃわかんないだろ。そうやって黙ってるから、いいように言われるのよ。言われっぱなしに、やられっぱなしになるのよ」

「……」

「はぁ、だからお前は……」

 新山桜が言い終わる前に僕は叫んでいた。

「だ、だから何だよ。桜は僕じゃないし、僕は桜じゃない。桜は強いよ。でも、みんなが桜のようには上手くできないんだよ。これでも頑張ってるんだよ。だから、だから……」

 だからより先が続けられない。口が自我を持ったかのように突如話し出したと思えば、行き詰まったところでその先を僕に放棄した。この先何と言えばいいのだ。

「だからなに?」

 そう問い詰められると余計に弱い。ますます、言葉が出てこない。

「……」

「……」

 沈黙が続く。もう辛い。早くこの場からいなくなりたい。だから一心不乱で思考を巡らせ、言葉を絞り出し、そして吐き捨てるように言った。

「桜は泣かなくていいよな」

 これが新山桜と交わした最後の言葉になった。それから僕は学校に行けなくなり、転校することになった。


 あれから月日は経ち、僕は大学を卒業し、結婚した。相手の名前は石田櫻。つくづく「さくら」という名前に縁がある。石田櫻とは大学で出会った。彼女はロングヘアで高身長、目鼻立ちがしっかりした美人だった。彼女の両親は昔から不和だったらしく、彼女が高校に上がるとき、離婚をし、母子家庭になったらしい。そういうこともあってか、彼女の家事スキルは目を見張るものだった。ただ、少々気が強いところだけが玉に瑕だった。


「お母さんは泣いたことないの?」

 いつの間にか泣き止んだコウ君が妻に聞く。

「うーん、3回だけあるかな」

「そうなの! いついつ?」

 食いついたのは今年高校生になった香織だった。

「あなたたちが生まれた時の2回よ」

「じゃ、残りの1回は?」

「……」

「黙ってちゃわからないよ~、母さん」

 妻を茶化すように言うと睨まれた。

「そうだよ!」

 子供たちは声をそろえて同意する。すると、渋々という表情で答える。

「中学生の時に好きだった男子に嫌われたの」

「えー。どうせいつもみたいに、『なんじゃ我~』って感じで詰め寄ったんでしょ。そりゃ嫌われちゃうよ」

 香織が妻の真似をしながら茶化す。

「お母さん、女々し~」

 コウ君が最近覚えた「女々しい」を得意げに使う。流行りの歌で覚えたらしい。

「あんたに言われたくないよ」

「で、どの子が好きだったの?」

 香織は棚にしまってあった妻の中学校の卒業アルバムを机に広げて言う。

「そこには載ってないわよ」

「なんで!?」

「転校しちゃったのよ」

「えー、お母さんの好きだった人、気になるな~」

 香織はこの手の話が大好きだ。

「どれどれ、お父さんも気になるな。母さんの青春時代」

 白々しくアルバムをのぞき込む。

「だから載ってないってば」

「いいんだよ、大好きな母さんの中学時代の写真が見たいだけ」

 そう言いながら懐かしのあの名前を探す。


 ―新山櫻―


 妻は耳を真っ赤にしてうつむいていた。

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