第8話 薔薇の棘

ドアをノックする音で僕は目を覚ました。


寝ぼけた目をこすると佳奈さんがパタパタと音を立てて玄関に走る姿が見えた。


「はーい」


彼女はそう言ってドアを開けた。


そこには少し前までの僕みたいな冴えない青年が立っていた。


彼はぶつぶつと何かをつぶやくと、突然逃げるように駆けて行ってしまった。


彼女はそこに突っ立ったまま動かない。


「佳奈?」


僕は起き上がって彼女に声をかけた。


座卓の上には二人分の朝食が用意されていた。僕の大好きな佳奈のオムレツ。


「佳奈? さっきの人は? 何のようだったの?」


僕が彼女のすぐ後ろまで行くと、彼女はゆっくり振り向いた。



彼女の胸には一本のナイフが刺さっていた。


彼女の白いブラウスがみるみる真っ赤に染まっていく。


僕はその状況が理解できなくて、ただ伸ばした手をくうに漂わせるばかりで、彼女に触れることが出来なかった。



「か、佳奈…ナイフが…胸にナイフが…」



僕はガクガクと震えながら言った。



「そうだ…!! 救急車…!!」


そう言って振り返った僕の手を彼女の小さな手が掴んだ。


彼女は微笑んでゆっくりと首を横に振った。


「あーあ。先を越されちゃったね…」


彼女が喋ると口から血が溢れた。


「佳奈駄目だ!! もう喋らないで!!」


僕は泣きながら彼女の肩を掴んだ。小さな肩が微かに震えているのがわかった。


「私は私を殺した人のものだよ。本当はAくんに刺されたかったな…」


そう言うと彼女はあの日みたいに優しく笑った。だけどその目はどこか寂しそうな憂いを含んでいた。


「薔薇を咲かすって……そういうことだったのかよ…」


「やっぱり起きてたんだ」


そう言って微笑むと彼女は静かに目を閉じた。


僕は血に塗れるのもお構い無しに、彼女を抱きながら泣き喚いた。


彼女の胸には確かに赤い薔薇が咲いていた。



その日僕に刺さった薔薇の棘は今も抜けずにいて、触れると、鋭い痛みが走る。



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