第2話 えらいのだれだ

 空色の髪の「旦那様」はラース・エストルンドさん。

 夕日色の髪の男性は、本当に執事さんらくしくて、名前はソランドさん。


 ネコは……ロセアン、としか覚えていなかったせいか「ロセアン・セランデル、偉大なる魔法使いなんだよ、だから⁉」って、再度力説していた。


「覚えられなかったら、ロシーでいいと思うよ」


 ただ、横から「旦那様」にすげなくそう言われて、ちょっとヘコんでたけど。


 テーブルの上に乗って丸まってしまったのは、きっと嫌がらせだ。

 だって普通は動物が食事のテーブルに乗ったら、こっぴどく叱られる。


「ロシーは天才肌でちょっと、いや、だいぶ説明が下手だからね。私から、ここのことを少し説明しておこうか」


 食堂にいる他の人たちは、慣れているのかネコに対して誰一人構うことをしない。


 結果、どこかのレストランと言ってもいいくらいの広さがある食堂で料理が出来上がるのを待つ間、足が床まで届かない椅子に座って、ひとり説明を聞くことになった。


「ここはリンデロートと言う国にある、レヴネルと言う街でね。私はここを中心にいくつかの街や村を統治しているんだ」


 住んでいた街の、知事みたいなものなのかな……と思ったものの、それが正解なのかどうかはよく分からない。


 そもそも国の名前だって聞いたことがないわけで。


 とりあえず目の前のこの人は、お屋敷では「旦那様」でも、それ以外では周りからは「辺境伯」と呼ばれている人で、それなりに有名らしいということは分かった。


 ソランドさんはお屋敷で働いているから、辺境伯様ではなくて旦那様と呼ぶのだそうだ。


「ロセアン様を見倣ってはいけませんよ? 辺境伯様とお呼び出来るようになった方がいいでしょう」


「エライ人だから?」


「そうです」


 にこにことソランドさんが笑っているから、きっとそれが正解なんだろう。


 何となく、この中の誰よりも逆らっちゃいけない空気を感じるので、気を付けようと思う。うん。


「相変わらず、僕に対してのあたりがキツイなぁ、ソランドは」


 たしたしと、ネコの尻尾がテーブルを叩いていた。

 ……どうやらネコの方は不満らしい。


わたくしあるじは旦那様ですので」


 ソランドさんの方はまったく動じていないみたいだけれど。


「はいはい、二人ともそこまでにしてくれ」


 人とネコで二人――とは、誰も疑問に思わないようだ。


 空色の髪の「旦那様」――えっと、辺境伯様が、軽く二度ほど手を叩くと、ネコもソランドさんもそのまま静かになった。


「ところで、君の名前は? 言えるかい?」


 どうやら辺境伯様の目には、幼稚園児以下くらいに映っているらしい。

 失礼な。もう十歳なのに。

 名前だって言えるし…………あれ、名前?


「名前…………なんだっけ」


「!」


 思わず呟いてしまったけど、この部屋のみんなを驚かせるには充分だったらしい。


 辺境伯様は目を丸くしているし、ネコとソランドさんはその場でピシリと固まっていた。


「あー……ロシー?」


 目元をぐりぐりと揉みはじめた辺境伯様に名前を呼ばれたせいか、ネコは、背筋と尻尾をその場でピンッと立てていた。


「いやぁ……もしも界渡かいわたりでこっちに馴染むのに魔力付与とかが行われたんなら、代わりに記憶の一部が持っていかれた可能性も、あったりなかったり……?」


 何の話をしているのか、さっぱりだ……と思っていると、辺境伯様はもの凄く大きなため息をついて、今度は片手で額を覆う仕種を見せていた。


「ロシーの話はさておいても……今の君は、名前が分からないと言うことでいいのかな?」


 そしてネコに聞くことを諦めたのか、こちらを向いた辺境伯様の目は疑っているようには見えなかったので、問われて素直に頷いておく。


「父親や母親のことは? 何か覚えてる?」


 おとうさんのことは、もっともっと小さい頃にいなくなったと聞いている以外、もとから記憶はあいまいだ。


 おかあさんは――えっと、顔は分かるんだけどな。


 正直にそう言うと「そうか」とだけ辺境伯様は答えた。


「とりあえず食事も来たことだし……続きは食べながらにしようか」


 辺境伯様がそう言ったのと同時に、いい匂いが食堂の中にふわりと広がった。


 その瞬間、みんながどんな表情をしていたのか、なんてことはすっかり頭の中からは追いやられてしまった。





 パンだな、スープだな、何かのお肉っぽいな……くらいまでは分かったんだけど、家やファミレスでは見たことのない料理ばかりがテーブルに並べられた。


 だけどおなかは空くし、辺境伯様が「大丈夫だよ」と言って自分も口にしたから、とりあえず同じように食べてみることにしたのだ。


「…………おいしい」


 空腹は何よりの調味料だ、とテレビだったかマンガだったかで、見たか聞いたかしたことがあったんだけど、本当にその通りだなと思った。


 あれもこれもと、つい手が伸びてしまう。


「それは良かった。好きなだけ食べるといい」


 一度にそんなに食べられるわけじゃないけど、それでも、おなかいっぱいになるまで食べていいと辺境伯様は笑った。


 ソランドさんは、料理の乗ったお皿を出したり、空になったお皿を下げたりしているだけで、それを食べることはないのだけれど、こちらの視線に気付いたのか「屋敷の使用人は後からいただくものなんですよ」とだけ、説明してくれた。


 そう言えば、ネコはどうするんだろう――と思ってチラ見をすれば、同じ材料で細切れになった料理がお皿に入って出されていて、辺境伯様とは対照的に、ガツガツとそれを食べていた。

 

「まあ、見た目はそんなのでも、もともと人だからね。普段から我々と同じ食事をとっているよ」


 ネコとは違って優雅な仕草で、多分おなかいっぱいは食べていないだろうけど、食事の手を止めた辺境伯様は、そんな風にこちらに話しかけてきてくれた。


「にんげん……」


 言葉を話すくらいだから、中身は人なんだと言われれば、そうなのかも知れない。


 一応はその場で納得しかけたんだけど、辺境伯様は「ちょっと違う」と言った感じで、首を横に振った。


「言い方が悪かったかな。ちゃんと、人の姿形をしていた時期もあったんだよ。だからカトラリーを使おうと格闘した時期もあったんだが、何せその見た目だ。最近は諦めているようだ」


「プライドを気にしていたら飢え死にだって、学習したんだよ!」


 辺境伯様の言葉に、ネコが声を荒げて言い返している。


 もともと、人間。


 どういうことだろうと首を傾げると、辺境伯様の優しい瞳とぶつかった。


「うん。彼は王族の身代わりで呪いを受けてしまってね。少し前から、その姿のままなんだよ」


 ――口から出た言葉は、ちっとも優しくはなかったんだけれど。



 

 


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