第1話 ネコとりんごあめ(後)

「ロシー……君、いつから幼女趣味になったんだい。いくら王都で婚約をせっつかれたからって、そんな小さな子を無理矢理さらってくることはないだろう」


 ここは誰、私はどこ。

 ううん、ちょっと落ち着かなきゃ。


 パチパチと瞬きをしてみる。


 そうすれば、二本足で立って喋るネコはいなくなって、元の夏祭りの風景に戻っているはずだった。


「幼女趣味⁉ 真顔で失礼な発言をしないでくれよ、ラース! 姿を見られたうえに界渡かいわたりの扉がもう閉じそうで、あれこれ隠蔽いんぺいする時間がなかったんだよ!」


 何故かそこは小学校の校長室のような部屋で、高級そうな机の向こうには、眩しいくらいの空の色の髪と瞳を持っている男の人が、組み合わせた両手の上に軽くあごを乗せた恰好で、こちらの様子をうかがっていた。


 そして机の上には――さっきのネコ。


「それにしたって、界渡かいわたりはあくまで別の世界とこちらの世界を繋ぐためだけの道。同じ時間、同じ場所に繋ぎ直すことは至難の業だろうに……どうするんだい」


「いや、それは……」


 ネコを見る青年の顔も真剣で、答えるネコの声も態度も真剣だ。


 一瞬、夢でも見ているのかとさえ思った。


「…………あの」


 ただその前に、聞き流すにはとても無視できない言葉を聞いてしまったために、かろうじて声が出ただけだ。


 そうでなければ、絶対に夢だと思って目を閉じて横になるくらいはしたはずだ。


「さっき、おかあさんが探しに来たら分かるって言った……」


 言ったのは、ネコなんだけど。

 疑われるだろうか。でも。


 ――同じ時間、同じ場所に繋ぎ直すことは至難の業。


 確かに、そう聞こえた。

 どういうことだろう。


 こちらはそんなに大きな声じゃなかったはずだけど、二人がたまたま話をしていなかったタイミングに重なれば、声だって響く。


 視線が一斉に、こちらを向いてしまい、思わずビクッと身体を震わせてしまった。


「あー……」


 ネコの尻尾が不規則に揺れて、時折机の上にある紙を叩いている音が聞こえる。

 説明に困っている、と全身で主張しているようにも見えた。


「気配だけなら分かるんだよ。気配だけなら……ね」


 嘘は言っていない、とネコは言う。


「ロシー……」


 ただ、机の向こう側にいる男の人が、とてもアヤシイものを見る目でネコを見据えている。

 この場合、疑っていると言った方が、きっと正しい。


 じっと見つめられたネコは、慌てたように二本足で立ち上がって、わたわたとヘンな動きをしはじめた。


「いや、ホントだってラース! だってさ、母親がこの子放って、実の父親じゃないらしい男とどこかに行った――みたいなコトを聞かされて、放っておける⁉ 後ろめたくて寝られなくなるって断言できるね!」


「いや……だとしても、当の子供の前で言うことか……?」


 うん。分かった。

 こっちの、ネコじゃない男の人の方が、どう考えても色々とまともだ。


 バチっと目が合った途端、その人は困ったように笑ったのだから。


「すまなかったね。ビックリしただろう?」

「……した」


 だからこちらも、素直に頷いておく。


「あー……ラース、ごめん、とりあえずその子にすぐ食べられそうな何か出してやってくれないかな。夕食も出されずに、手に持ってるリンゴだけで放っておかれてたみたいでさ」


「りんごあめ」


「はいはい、りんごあめ。そこ、こだわるんだ」


「りんごあめとリンゴ、全然違うから」


「ああ、確かになんか固まってるね」


 そう言って、りんごあめをじっと見ているネコに、机の向こうにいる青年が、ごほごほと咳払いをして「ロシー」と話しかけていた。


「話が逸れている、ロシー。その子に食事を、と言う話じゃなかったかな?」


「……そうだった。話なら、食事をしながらでもいいよね? ここは王宮でもなんでもないんだから」


「まあ、それはそうなんだが」


「そもそも、僕が別の世界から連れてきているんだから、間者もなにも疑いようがなくないか?」


「たとえそうだとしても、最初の警戒を怠るわけにはいかないのが辺境伯というものだよ」


 うぬぬ……と、ネコが顔をしかめてしまったのは、きっと言い返せないからに違いない。

 不本意、と顔に書いてあるように見えたくらいだ。


 だけどこの人が、ネコが言っていたところの「自分よりもエライ人」なんだろうな、というのは子供心にも理解が出来た。


 そして、そう思ってしまったからだろうか。


 またしてもお腹がくるくると鳴ってしまったのだ。


 エライ人の前なのに……。


 恥ずかしくなってうつむいてしまった頭の上に、クスリと軽い笑い声が降ってきた。


「なるほど、お腹が空いているのは間違いなさそうだ」

「だろう⁉」


 なんだか本人よりも、間で叫んだネコの方がエラそうだ。


「では、ちょっと食堂へ行こうか。仕事もちょうど落ち着いたところだったから」


 そう言った男の人は、机の上にあった持ち手のある呼び鈴ハンドベルを手にして、軽く左右に何度か振った。


 ちりりん、と風鈴にも似た澄んだ音がそこからは聞こえてきて、その音が消えるか消えないかといったところで、たまにマンガで見る、執事風の洋服を着た男性が部屋の中へと入ってきた。


「お呼びでございますか、旦那様」


「すまないな、ソランド。ロセアンが素材採取に行った先で子供を保護してきた。どうやら親の所在もハッキリしないようだから、しばらくはここで預かることになりそうだ。先に食事と、あとどこか適当に空いている部屋を提供してやってくれ」


 空色の髪の「旦那様」とは違って、こちらは夕日のような髪の色をした人だ。


 どっちにしても見慣れない色で、思わず何度も目をパチパチと閉じたり開いたりしてしまう。


 すると、そんな仕種がおかしかったのかも知れない。

 夕日色の髪の男性がふわりと笑った。


「……なるほど、悪意は感じませんね」


「後で保護した状況を確認して、魔力測定もさせるつもりではいるが、どうやらしばらく食事が取れていなかったようだから、先に厨房に行って、すぐに出せそうな料理を見繕っておいてくれ」


「承知いたしました」


 そう言って一礼した男性が、再び部屋を出て行った。


 そしてそれに合わせるかのように、空色の髪の「旦那様」も机から離れて、こちらに向かって歩いてきた。


 よく見れば、世の中の「お父さん」が会社に行くよりも、もっと高そうな服を着ている。


「……さて」


 ネコの方も、机の上からひらりと下りている。


 そんなネコの隣で、空色の髪の「旦那様」は片膝をついて、こちらに右手を差し出してきた。


「食堂まで、君を抱き上げていきたいんだけど、構わないかな」


「……え」


「君の足だと、ちょっと食堂は遠くてね。だから私が君を運んで行こうと思う。ロシー……このネコにはさすがに無理だし、だからと言っていきなり魔法で浮かされでもして、酔ってしまったら食事どころではなくなってしまう」


 う、なんてネコが呻いているのが聞こえたところからすると、もしかしたら図星を刺されたのかも知れない。


「毎回は運んであげられない。今日は特別サービスだ」

「とくべつ」


 アヤシイ人にはついて行ってはいけません、なんて学校では言われたりするけれど。

 けれどそれは、変に親切にされるよりもずっと納得のいく言葉のような気がした。


 それよりなにより、もうお腹はペコペコだ。


 うん。ネコだっているし。きっと悪いひとじゃない。

 今日は、目の前のこの手を取ろう。


 そう思って小さな手をおずおずと差し出すと、とても嬉しそうな笑顔が帰ってきた。


「では行こうか」



 そして、ふわりと身体が持ち上げられた。

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