辺境の魔法使いリュリュとケット・シーの秘密

渡邊 香梨

序章

第1話 ネコとりんごあめ(前)

 それは、夏祭りの夜の出来事。


 りんごあめを手に持たせて、ここに座っていればもうすぐ花火が見えるとおかあさんは言う。


「いい子にしてるのよ」


 そう言って、頭も撫でてくれた。


 滅多にないことだったから、嬉しくて、自分で自分の頭を触りながら、おかあさんが戻って来るのをじっと待つつもりだった。


「うーんと……君は、いつまでそこに座っているのかな?」


 どこかから、声をかけられるまでは。


「うん、君だよ、そこの君」

「……わたし?」


 誰の声だろうと、辺りを見回してみるけれど、人の姿は見当たらない。


「あまり長いことそこにいられると、僕が帰れないんだよねぇ……」


「…………ネコ」


 視界に映るのは、なぜか二本足で立っていて、首にスカーフのような布を巻きつけた、黒と白のハチワレ猫だけだ。


「えっと……しゃべった? ネコが?」


 うっかり口にして、いやいやと首を何度も振る。


 それだと夢見がちなちょっと残念な子扱い確定だ。

 おかあさんだって、バカな子だと、怒って戻って来てくれなくなるかも知れない。


「僕ね、イチイの実の成った枝をちょっと取りに来ただけなんだよ。だからそろそろ帰らなくちゃいけないんだけど」


 だけど、やっぱり、どう見てもしゃべっているのは、目の前のネコだ。


 のんびりとした口調とは裏腹に、タンタンと何度も足を踏み鳴らしたそのネコは、多分、きっと、だいぶイライラとしている。


 しかもこちらが何かを言うよりも早く、いきなり膝の上に飛び乗ってきたのだ。


「えっ、なんで⁉」


「うーん……見えないとは思うんだけど、僕はこれでもリンデロート国の偉大なる魔法使い、ロセアン・セランデルって言う名前があってね」


 聞いたこともない国の名前に、魔法使いなどと言う単語に、一度で覚えられない名前。


 こう言うのをなんて言うんだっけ……?


 ――中二病。そう、中二病だ。


 別名「他の人とは違う私(俺)ってすごくない?」病とも言うらしい。


 図書館にあった、冒険ものの本で読んだ。


 思春期である中学二年生頃の少年少女が取りやすい言動だ、とかなんとか。


 自分がその年齢になるのにはまだ何年かあるけれど、大半の真面目に生きている中学二年生に対して大変に失礼だとその時に思った。


 うん、きっとおかあさんを待ちくたびれて疲れたんだ。

 そう思うことにしよう。


 瞬きしたら、自分はまたりんご飴を持って、日が暮れた夏祭り中の境内で、おかあさんを待っている。


 ううん、ひょっとしたらもう目の前に立っているかも知れない。


 一緒に花火を見ようと言えば、笑って隣に座ってくれるだろう。


「いやいや、ちょっと待ってね⁉ なにげに僕をディスってるのはさておいても、君、さっきからどのくらいここに座っているか分かってる?」


 ……どうやら内心のひとりごとが、声に出ていたらしい。

 と言うか「ディスってる」って、何?


 そう思いながらも、どのくらいここにいるのかと真顔で聞いてくるネコにつられたのか、思わず空の星を見上げてしまう。


「……あの星、あっちからそっちに動いた、かも」


「うん、二時間くらいたってるね」


 即答されてしまった。


「いい子にしてなさいって、おかあさんが」


「君のお母さんとやらは、一人でいなくなった?」


「ううん。知らない男の人と一緒だった」


「それは……困ったね」


 もしかして帰って来ないんじゃないか? と、視線を下に落としたネコが、そんなことをブツブツと呟いている。


「あのね。実は僕、君がもたれているその木のから来たんだけどね?」


「向こう側」


「君がそこにいると帰れないんだよ、僕」


 木の向こう。

 それなら裏に回ればいいんじゃないかと思ったものの、ネコの様子からすると、どうやら違うらしい。


「どけばいい?」


「まあ、そうだね」


 ネコはそう答えたものの、何だかちょっと怖い顔になっている。


「……君、お母さんとやら以外の家族は?」


「知らない。ケンカして家を飛び出したって言ってたの聞いたことあるし。誰とも会ったことない」


 しかも更に「あああ……」とか言いながら、器用に頭を抱えだした。


「とはいえ、迷子だとかってどこかに届けるような時間もないし……ああっ、もう、しようがない! うん、君、僕と一緒にに行こうか!」


「…………えっと」


 いきなり何を言い出しているんだろう、このネコ。


 多分、絶対顔にも出ていたはずだけど、ネコの方はそれを全く気にもしていなかった。


「あのさ、断言してもいいけど、君のお母さんとやらは、もうここには戻って来ないよ。他に一緒に住んでくれる人も、家族にも心当たりがないのなら、こんなところにいたってしょうがないでしょ、君?」


「……戻ってこない」


「ホントはある程度自分でもそんな気がしてるよね?」


「…………」


 いじわるだ、と思った。

 可愛いネコの顔をしているのに。


「このまま帰っちゃったら、ああ、あの子野垂れ死にしてないかな……? とか、僕が心残りじゃないか」


 そう言いながら、今度は地面じゃなく、乗っている足の上をたしたしと叩いている。


「……えっと」


「まあ、ないと思うけど、万が一にも億の一にも、母親が戻って来たらそれが分かるように、魔力をちょびっと残しておくことくらいは出来るよ」


「…………まりょく」


「ほら、僕ってば何しろ『偉大なる魔法使い』なわけだから」


 どうにもエラそうだ。ネコなのに。

 だけど、よほどの「木の向こう側」に行きたくて、そこに行くのは怖いコトじゃないとアピールしたいのかも知れない。


「…………おかあさん、迎えに来たら分かる?」


「その髪留めを置いていけば、何とかなるよ。人間ひとの行き来となるとアレコレ条件が大変だけど、気配を繋ぐくらいなら、まあ何とか出来るんじゃないかな」


 優秀なんだよ、僕? と、首を傾げるネコ。


 どうしたらいいんだろう――と、思ったところで、くるくるとお腹が鳴ってしまった。


「……うん、まあ、その手にしているリンゴも食べずに待ってたなら、そうなるだろうね」


「リンゴじゃなくて、りんごあめ」


「細かいね。要はお腹が空いたんだろう?」


 こくりと頷く。

 食べたい。でも、せっかくおかあさんがくれたのに。

 半分こにしたかったのに。


「なんだか誘拐犯か変質者みたいで納得いかないところはあるけど……うん、しょうがない。僕よりもエライ人の家でごはんを出してあげるから、一緒にに行くよ!」


 はい、決定!

 そう叫んで、すたっと乗っていた足の上から地面に降り立つネコ。

 

「ほら、くるっと後ろを向いて、一歩後ろに下がる!」


 声といきおいに負けて、思わずその通りに身体が動いてしまった。


 その間に、ネコがいつの間にか足元まで移動してきている。


「…………おかあさん」


 ちょっぴり不安になって、一度だけそう呼んでみた。

 だけど、それに応えてくれる声が返ってくることはなかった。


「そう言えば、君、名前は?」


 聞いてきたネコに答えようとして、急に目の前が真っ白になった。


(あれ?)


 そう言えば。





 わたしの名前って――なんだっけ?

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