入学編

第2話:十年後01


「ふっ……ふっ……ふっ……」


 早朝。


 アインは素振りをしていた。


 もはや日課だ。


 軽い材質の木刀である。


 一見振るのは簡単そうに見えるが、軽い木刀は素振りをするのに向いていない。


 それを型通りに振るうのが剣術と呼ばれる技術である。


 軽いが故に型を崩さず振るわなければならず、その塩梅が修行の一環だ。


 それはアインのレゾンデートルの一端でもあった。


「あらあら。おはようアインちゃん。今日も熱心ね」


 媼が声をかけてきた。


 年をとった老齢の女性だ。


 とはいえ加齢による弱まりは見受けられず、アインを見てニコニコと微笑んでいる。


 ちなみにアインは日の出前から素振りを初めて回数が四桁に至っている。


 朝日が昇るとアインは素振りを取りやめた。


「おはようございます」


 媼に挨拶をする。


「鬼の字さんもおはようね」


「おはようございますじゃ。媼」


 皮肉気な口調で鬼一法眼は挨拶を返す。


 アインが鬼一と邂逅してから十年の歳月が過ぎた。


 魔術の才能の無いアインはクイン家から追い出され、和刀たる鬼一と共に親戚の家に預けられた。


 クイン家と血は繋がっているが魔術を使えない傍流の血統だ。


 質素な屋敷に住んでいるのは翁と媼。


 子どもに恵まれていなかったため、アインの引き取りを一も二も無く諸手で歓迎した。


 それから翁と媼には世話になりっぱなしだ。


 食事に勉学、鹿の解体に至るまで生きる術を教えて貰った。


 そして腰に差した和刀……鬼一には剣ともう一つの術法をみっちり教えて貰った。


 虎の巻。


 鬼一はそう言った。


 そしてそれを、


「一を聞いて十を知る」


 の要領で修めるアインであった。


「今日の朝食は何ですか?」


 アインは媼に問う。


「黒パンとシチュー。良かったかしら?」


「楽しみです」


 微笑むアイン。


 そして井戸で水浴びをして朝の鍛錬の汗を流してしまうと、再度服を着て屋敷のダイニングに顔を出す。


「ようアイン。今日も剣の鍛錬かや?」


 翁が機嫌良く尋ねてくる。


「まぁ日課ですし」


 謙遜を交えてアインは言う。


「傭兵にでもなるつもりか?」


「とは申しませんが……独り立ちするにおいて戦闘方法を学ぶのは有益ですので」


 アインは肩をすくめる。


 それからダイニングのいつもの席に座った。


 いつも通りにホットミルクが置かれていて、遠慮無く飲む。


 媼がホットミルクを毎朝準備してくれるのはもはやルーチンワークだ。


「温まりますね」


 苦笑するアイン。


「婆さんは気が利くからのう」


 翁はカラカラと笑う。


「はいはい。おだてたって何も出ませんよお爺さん」


 シチューを皿に注いで出してくる媼。


 焼きたてのパンがダイニングテーブルの中央にバスケットごと置かれていた。


 それから他愛ない話をしながら三人は朝食を食べ終わる。


「ご馳走様でした」


 命の消費に感謝して、アインは座を離れる。


「また修行か?」


 翁は困った様子で血の繋がっていない愛息子を見やる。


「他にすることも無いので」


 アインは肩をすくめた。


 事実だ。


 元々の地頭は悪くない。


 学校も近くに無い田舎の親戚の家ではあるが、既に年齢以上の教養をアインは修めていた。


 教育機関に通う必要も無い。


 であるため自分への修行がルーチンワークと化している。


 そんなわけで鬼一を腰に差して黒い衣服を纏い訓練を積むために外に飛び出すアインであった。


「では始めるかの」


 鬼一はそう云う。





 そして時間は夕方。


「ただいまです」


 今日の訓練を終えて屋敷に帰ると、


「…………」


「…………」


 育ての親である翁と媼は難しい顔をしてダイニングの席についていた。


「あの……帰りましたが?」


「ああ、アインちゃん……」


 媼がアインの帰宅に気づくと声をかけてくる。


 しかして何か遠慮がちな感情が声に含まれていた。


「どうかしたんですか?」


 さすがに悟らざるを得ないアイン。


「その……ね……」


 言い難い媼の代わりに翁が言葉を紡ぐ。


「アイン」


「何でしょう?」


「実家に帰りたいと思うか?」


 それは言葉の不意打ちだった。


 が、答えはあっさり出た。


「特に郷愁を覚えるほどでもないですね。お義父様とお義母様がいれば支障ありませんし」


 この場合、お義父様は翁のことで、お義母様は媼のことだ。


「アインちゃん……」


 媼が喜びと悲しみの光を乗せた瞳でアインを見る。


 十五歳になった少年から家族愛を聞かされて感動していると云ったところだろう。


 五歳の少年を引き取ったのが十年前。


 十年の歳月は子どもに恵まれなかった翁と媼を、


「アインを実の息子」


 と誤認するほどに強固にする時間の経過だった。


「で」


 とアインが閑話休題。


「何か良くないことでも?」


 空気を察して本題に入る。


「コレを読め」


 と翁が紙を差し出してくる。


 封筒は既に開かれダイニングテーブルに置かれている。


 手紙を受け取って読む。


 内容は複雑怪奇だったが要約すれば、


「実家に帰ってこい」


 というクイン家のお達しだった。


「はて?」


 とアインは首を傾げる。


 クイン家。


 魔術の血統であるが故に貴族に名を列挙する銘柄だ。


 今更魔術を使えないアインを呼んでどうしようというのか。


 当人にも分からない。


「アインちゃん……」


 慈しむように媼が呼ぶ。


「嫌なら断っていいのよ? その場合私とお爺さんとで説得するから」


「ありがとうございます。でも心配いりません。いつまでも甘えているわけにもいきませんし……」


 翁と媼の愛情は本物だ。


 その程度はアインとてわかっている。


 だがどちらにせよ独り立ちせねばならない年齢が刻一刻と近づいているのも事実だ。


 血の繋がらない父と母に甘えるのも一興だが、アインはこの十年で鬼一に伝授して貰った虎の巻を、


「試してみたい」


 という燻る気持ちも確かに持ち合わせているのだから。


「本当にそれでいいの?」


 媼は心配そうだ。


 対してアインは土下座した。


 床に額を擦りつけ、


「今までご指導ありがとうございました。このご恩は一生忘れません」


 そう義父と義母に感謝の意を示した。

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