マチルダの気持ち

 マチルダはジラルド王子を城に送り届けると、エレーヌとヤンとエリクを連れて、オルグレン子爵家の屋敷に急いだ。きっとエレーヌの両親は、彼女の帰りが遅い事をひどく心配しているだろう。


 マチルダは、屋敷に飛行魔法で帰る前に、ある事をした。エレーヌの傷の治癒とドレスの破損を直す事だ。


 マチルダは変わり果てたエレーヌを見て、すぐさま腫れた頬に治癒魔法をほどこそうとした。だがエレーヌに止められたのだ。マチルダは、早く主人の身体の痛みをとってあげたかったので、とても不満だった。


 だがエレーヌの両親の前に出る時は、元のエレーヌに戻っておかないと、母親が卒倒してしまう。マチルダはエレーヌの腫れた頬の傷を治癒魔法で癒し、引き裂かれたドレスの胸元を、修復魔法で直した。


 エレーヌは両親に、遅くなった理由を、馬車が脱輪してしまったためと説明した。心配したマチルダたちが迎えに来てくれたので、帰る事ができたのだと言うと、オルグレン子爵とその妻は、ようやく安どの笑みを浮かべた。


 エレーヌは疲れたと言って、すぐに自室に引っ込んでしまった。ヤンとエリクも魔力を使ったためか、ぐったりとしていた。マーサがマチルダたちにスープとサンドイッチの夜食を食べさせてくれた。


 ヤンとエリクをベッドで寝かせた後、マチルダは侍女の部屋に行ったが、胸がドキドキして、到底眠れそうになかった。マチルダは寝巻き姿のまま、主人の部屋に向かった。


 エレーヌの部屋は当然のごとく鍵がかかっていた。だが魔女のマチルダには関係ない。マチルダは魔法で鍵を開けると、抜き足差し足しながらエレーヌのベッドに潜り込んだ。


 ベッドの中に入ると、エレーヌの愛用している香水の香りがほのかにした。


「マチルダ?」


 突然エレーヌに声をかけられて、マチルダはギクリと身体を震わせた。どうやらエレーヌは眠っていなかったようだ。マチルダはバツが悪そうに、ずりずりと毛布の中をはって、エレーヌの前に顔を出した。エレーヌは困った顔で言った。


「もう、マチルダったら。マチルダはもう大きいんだから、添い寝はしないわよ?」

「ち、違います!添い寝ではありません!私はお嬢さまが安心してお休みできるように護衛をしているのです」

「・・・。護衛ねぇ?」


 エレーヌは疑いの目でマチルダを見た。エレーヌに口ではかなわないので、マチルダは話題を変える事にした。


「お嬢さま!起きていらっしゃるなら、おたずねしますが、どうしてすぐに治癒魔法をさせてくれなかったのですか?私はお嬢さまのケガした顔を見ているだけで、胸が痛くて痛くて仕方なかったんですよ?エリクとヤンも同じ気持ちのはずです」

「それは済まなかったわね?傷を治してもらわなかったのは、ジラルド王子に罪悪感を感じてもらうためだったのよ」

「罪悪感?」

「ええ。わたくしがケガをしても、マチルダがすぐにケガを治癒させたのでは、王子は安心してしまうわ。わたくしがずっとケガしたままでいれば、王子の罪悪感はそれだけ長く続きます。そうすれば王子がわたくしの要求を飲む理由も増えます」

「お嬢さまは、王子に精神的攻撃をしたんですね?王子はしょせんボンボンですから、相当まいっていましたよ。さすがお嬢さま、えげつないです!」


 マチルダはジラルド王子の青白い顔を思い出した。きっと城の中で、汚いものを見ないで、綺麗なものだけを見て暮らしていたのだろう。マチルダはジラルド王子に初めて会った時から、この男がエレーヌの夫になるのかと思うと、とても不満だった。ジラルドはごう慢で偉そうな男だったからだ。


 マチルダは幼い頃から、エレーヌの夢を聞かされていた。将来、王子のお妃になりたいわ。敬愛するエレーヌの望みを、マチルダはどうしても叶えたかった。


 だがその気持ちと同じくらいジラルドはエレーヌに相応しくないとも考えていた。マチルダはここにきて、エレーヌの本心を知ったのだ。エレーヌはマチルダや、ヤンやエリクのような魔力を持つがゆえに、しいたげられている子供たちを救うために、王子の妃になりたいと言ったのだ。すべてはマチルダたちのためだったのだ。


 エレーヌの本心を聞いた時、マチルダはカミナリにうたれたような衝撃と感動を覚えた。胸が苦しく苦しくて、眠る事ができなくなってしまったのだ。


 エレーヌはマチルダの気持ちをよそに、苦笑して答えた。


「褒め言葉になっていないわよ?マチルダ。確かにジラルド王子は精神的に打たれ弱い所があるわ。でも、自分が悪いと思った事には頭を下げる事ができる方だわ。たとえ自分が悪いと思っても、目下のわたくしなどに、謝る必要のないお立場なのに。わたくしはジラルド王子を見直しました」

「お嬢さまは王子を好きになられたのですね?」

「好きという感情ではないわ。ただ人間として尊敬できると思ったのよ。それに、ジラルド王子はわたくしの事は好きではないでしょうから、もしわたくしが妃に選ばれたとしても、それはお互いの利害が一致したにすぎません」


 そう言ってエレーヌはさびしそうに笑った。マチルダはずっとエレーヌの側にいるので、彼女の微妙な表情の違いを読み取る事ができる。


 エレーヌはジラルドに惹かれているのだ。だがエレーヌは、自分のような可愛げのない女は、男に愛されないだろうと考えているふしがある。


 マチルダは心の中で、いつもため息をつく。エレーヌは美しい。容姿だけではなく心も。エレーヌは高潔な魂を持った女性だ。マチルダやエリクやヤンが心を奪われてしまうほどに。


 もちろんマチルダたちがエレーヌに心酔するのは、命を助けてもらった事が多分にあるが、それだけでは決してない。

 

 エレーヌは強くて優しくて、頑固で融通がきかなくて、マチルダたちに甘くて、本当はマチルダたちの事を可愛くて仕方がないと思っている事を無理矢理隠そうとしているけれど、全く隠せていない可愛らしいひとなのだ。


 男性がエレーヌを見たとしても、きっと心を奪われるだろう。ジラルドもエレーヌの事が気になっているはずだ。エレーヌを助けるためとはいえ、どさくさにまぎれて俺の女発言をしていたくらいだ。


 もしかするとエレーヌとジラルドは良い夫婦になるのかもしれない。もしエレーヌが王子の妃になったらマチルダは何が何でもついていくつもりだ。きっとヤンとエリクも同じ気持ちだろう。


 マチルダはエレーヌの優しくて美しいを見ながら言った。


「お嬢さま、ありがとうございます。王子の妃になりたかったのは、私たち魔力を持った子供たちを助けるためだったんですね?」


 嬉しくてしょうがないマチルダに、エレーヌは苦笑しながら答えた。


「ええ。まだまだ力不足ですが、きっとこの世界で困っている魔力を持った子供たちを救ってみせるわ」


 マチルダは嬉しくなってエレーヌに抱きついて言った。


「お嬢さまは、もう私とエリクとヤンの救世主です。だって、私が助けてって言ったらお嬢さまが現れたんですもの」


 エレーヌはマチルダの頭を優しく撫でながら言った。


「マチルダにはまだ言っていなかったわね?わたくしには弱いけど魔力があるのよ」

「?。お嬢さまに魔力?どんな魔法なのですか?」

「わたくしの力は、予知夢です。と言っても、マチルダやヤンやエリクのように自分の意思で操る事はできません。突然夢で未来を見るのです。だから、わたくしは、マチルダと出会う以前から、マチルダの事を知っていましたよ?」


 マチルダはとても驚いたが、ストンと納得もした。マチルダが処刑されそうだったとき、エレーヌはあまりにもタイミング良く現れたからだ。


 ヤンとエリクにしてもそうだ。奴隷商人に魔力持ちである事がばれて、殺されそうになった時に、突然エレーヌが現れて救ってくれたのだという。


 マチルダは胸がカァッと熱くなってエレーヌに言った。


「お嬢さま!私、ずっとずっとお嬢さまについて行きます!置いて行こうとしても無駄ですよ?!きっとヤンとエリクも同じ気持ちです」


 マチルダの言葉に、エレーヌは一瞬驚いた顔をしたが、優しい笑顔になって答えた。


「当たり前です。マチルダとヤンとエリクは、わたくしの所有物です。絶対に手放したりしません。ずっとわたくしと一緒にいるのですよ?」


 マチルダはエレーヌの返事に嬉しくなって、ギュッとエレーヌに抱きついた。







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