ジラルドの驚き

 どうやらエレーヌは無事のようだ。ジラルドはホッと胸を撫で下ろした。エレーヌはジラルドからと偽ったニセの手紙で連れ去られてしまったのだ。その事にジラルドは責任を感じていた。


 モクモクと煙が立ち上る、ドアだったがれきを乗り越えて、エレーヌが姿をあらわした。


 その姿を見たジラルドはギャッと悲鳴をあげた。エレーヌはちっとも無事ではなかった。エレーヌの美しい顔は腫れ上がり、鼻からは鼻血が出ていて、ドレスの胸元は引きちぎられていた。どう見ても乱暴された後だ。


 ジラルドは後悔の念で、その場に卒倒しそうになった。主人の凄惨な姿を見たマチルダはカナギリ声の悲鳴をあげた。


「キャァ!お嬢さま!なんてお姿!誰がやったんですか?!そいつぶっ殺します!」

「マチルダ、そのような汚い言葉を使ってはいけません。わたくしは大丈夫です。それに、わたくしにこのような事をした者たちは、命令されてやったにすぎないのです。殺してはなりません」


 いきどおるマチルダに、エレーヌはおだやかに答えた。エリクは怒った顔でエレーヌに叫んだ。


「お嬢さまの嘘つき!俺たちにはケガをするなって言っておいて、自分がケガしていたら世話ねぇや!」

「本当にそうね?エリク。わたくしが悪かったわ?ケガをしてごめんなさい」


 怒っているエリクに、エレーヌは優しく返事をした。ヤンはポロポロと涙を流しながら言った。


「お嬢さま可哀想。痛かったでしょ?怖かったでしょ?」

「いいえ、ちっとも怖くなかったわ?だってマチルダとエリクとヤンが助けに来てくれるって信じてたから」


 エレーヌはそう言うと、しゃがみこんで両手を広げた。マチルダたちはいっせいにエレーヌに抱きついた。エレーヌは痛々しい顔に優しい笑みを浮かべて言った。


「マチルダ、エリク、ヤン。助けに来てくれてありがとう」


 この光景を見たジラルドは、カミナリにうたれたような衝撃を覚えた。何故小さな子供であるマチルダとエリクとヤンが、命をかけてエレーヌに忠誠を誓うのかを悟った。エレーヌ自身も、子供たちを心から信頼し、命をかけて守ろうとしているのだ。


 ジラルドが最初にエレーヌに出会った時、エレーヌは心の底から、ケガをしたヤンの心配をしていたのだ。だからジラルドに媚を売る絶好のチャンスだったのにも関わらず、震えて何も話さなかったのだ。


 ジラルドがぼう然としたままエレーヌたちを見ていると、エレーヌがジラルドに視線を向けて言った。


「ジラルド王子。ずいぶんと凛々しいお姿をしていらっしゃいますね?」


 エレーヌの言葉にジラルドはハッとした。自分が寝巻き姿である事に気づいたからだ。ジラルドは顔をしかめて答えた。


「仕方ないだろう。お前の侍女が早くしろとさわぐから、こんな格好で来てしまったのだ」

「いいえ、本心から素敵だと申し上げたのでございます。いち早く助けに来てくださり、ありがとうございました」

「ふん。まぁ、勝手に名前を使われたとはいえ、俺にも責任があるからな」


 いつも偉そうなエレーヌの殊勝な態度に、ジラルドは面食らってしまい、恥ずかしくなってぶっきらぼうになって答えた。


 しばらくすると、廊下が騒がしくなってきた。新たな兵士たちが剣をたずさえやって来たのだ。エレーヌはスクッと立ち上がってマチルダに命じた。


「マチルダ。わたくしの剣を」

「はい、お嬢さま」


 マチルダの手には細身の剣が握られていた。どうやらマチルダは、魔法で物を取り出せるようだ。エレーヌはさやから剣を抜くと、両手に構えた。マチルダもヤンもエリクも戦闘体制に入る。


 エレーヌは自身に斬りかかってくる兵士に臆する事なく、かかんに向かって行った。エレーヌは兵士の一刀を軽やかに受け流すと、相手の側面にまわり、鎧の継ぎ目にあたる生身の部分を剣のツカで打ちつけた。兵士はその場に倒れた。


 エレーヌの剣技は、まるでダンスを踊っているように美しかった。エレーヌは剣の達人だったのだ。これで疑問が氷解した。ジラルドはエレーヌと最初に出会った時、何故自分がエレーヌに抱きつかれたのかずっと疑問だったのだ。


 ジラルドはヤンとエリクと剣を交えていて、神経が研ぎ澄まされていた。その時に抱きつかれては、無意識に相手を斬ってしまう所だった。エレーヌはジラルドの攻撃のタイミングを読んで間合いをつめたのだ。


 戦闘の最中にも関わらず、ジラルドはエレーヌに見とれていた。


「王子!」


 突然エレーヌの声がしたかと思うと、ジラルドの目の前に、ジラルドを守るようにエレーヌの背中があった。そこでジラルドはようやく自分が攻撃された事に気づいた。


 エレーヌは相手の剣を受け流し、体勢を崩した兵士の首すじに剣のつかを打ち付けながら叫んだ。


「戦の最中によそ見をするものではありません!」

「ほう、これは戦か?」

「はい。真剣を抜いた以上、命をかけた戦にございます。ディーレ侯爵家からすれば、王子は寝巻きを着てやって来た不審者にほかなりません」

「ぶっ。エレーヌ、お前やっぱり俺の事、変な格好と思っているだろう?!」

「いいえ、思いません。見た目など、どうでも良い事なのです。心が美しく芯が通っていれば、服がボロボロでも、見た目が傷だらけでも」


 エレーヌはそう言って、頬を腫らした血だらけの顔で笑った。その笑顔を、ジラルドは美しいと思った。


 ジラルドはエレーヌの横に立つと、斬りかかってくる兵士をなぎ倒しながら言った。


「そうか、俺はみっともなくてもいいのか」

「はい。王子の心にゆるぎないものがあれば、後の事は小さな事にすぎません」


 ジラルドは懐かしい言葉に思わずほほえんだ。剣の師が常にジラルドに言っていた言葉だったからだ。


 


 

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