ジラルドの本心
ジラルドは自室の書斎に腰かけ、悩んでいた。もうすぐ自身の二十歳の誕生日になる。それまでに妃を指名しなければいけない。ジラルドは優秀な論文を書いた十名の令嬢とダンスをして、彼女たちの人となりを見た。
やはり群を抜いて抜きん出ているのがオルグレン子爵家のエレーヌ嬢だった。だがジラルドはエレーヌがあまり好きではなかった。苦手と言っていい。
ジラルドは考えた。自分は近いうち国王になるのだ。自身の好き嫌いで相手を退けるなど、あってはならない事だ。
ジラルドは、自分が何故エレーヌが苦手なのか一生懸命考え、ある結論にいたった。ジラルドはエレーヌの目が苦手なのだ。ゆるぎない信念を持った強い瞳が。まるで自分が未熟である事を見透かされているような目が。
エレーヌ以外の令嬢たちは、ジラルドがダンスを申し込むと、皆頬を染め熱っぽいまなざしでジラルドを見上げていた。表裏の無いわかりやすい目だった。
だがエレーヌの視線は違っていた。エレーヌはたぐいまれなる美人だ。ジラルドに向ける笑顔も魅力的だ。バカな男ならば、エレーヌの本心に気づかず、だまされてしまうだろう。
しかしジラルドはそれほどバカではない。否、ジラルドはバカであってはいけないのだ。エレーヌは自身の目的を達成するためにジラルドに近づいているのだ。そのためには手段を選ばない気迫さえ感じられた。
ジラルドはエレーヌの瞳が、ずっと誰かに似ていると思っていた。ようやく誰だか思い出した。ジラルドの剣の師匠、バラドの目と似ているのだ。
バラドは元騎士だった。剣の腕を見込んで五歳になったジラルドの剣の師匠になった。その時のバラドは七十歳を超えていたが、老いを感じさせない頑強な男だった。
バラドはジラルドの事を厳しく愛情を持って育ててくれた。ジラルドが十歳になった頃、バラドに文句を言った。
「バラド!俺はお前の指導を受けて、五年も鍛錬を続けてきた。それなのに、どうして俺は一回もバラドに勝てないのだ!」
ジラルドはその日もコテンパンにバラドに負けてヘソを曲げていたのだ。ジラルドは目に涙を浮かべて剣の師匠をにらみつけた。バラドは優しい笑顔になって答えた。
「それでは私が王子にわざと負ければよろしいですか?」
「それは、ならぬ!」
ジラルドは悲鳴のような声で叫んだ。わざと負けてもらうなど、ジラルドのプライドが許さなかった。バラドはおだやかな声で言った。
「では王子。精進なさいませ」
「・・・、やっておる。なのに、どうして俺はバラドのように強くなれないのだ?」
バラドはジラルドの前にひざをつき、ジラルドの目を見て答えた。
「ジラルド王子。私が強いともうされるのなら、私には信念があるからだと申し上げます」
「信念?」
「はい。信念とは、ゆるぎない芯の通った心にございます」
「バラドはどんな信念を持っているのだ?」
「はい、王子。私は剣を交えた相手に決して負けない信念を持っています。たとえ自分よりも剣の腕が強い相手だとしても例外ではありません。もし私が相手に敗れたとしても、私の心は、自分の死の瞬間まで負けはしません」
「バラドの信念は、決して負けない。だな?なら俺も信念を持つ。どんな信念が強くなれるのだ?」
「それは私が決める事ではありません。王子が悩み考え、心の中に芽生えたものが、真の信念なのです」
「うむ、わかった。強くなるために俺の信念を見つけるとしよう」
ジラルドは剣の師匠の言葉を胸に、自身の信念を探した。当初の信念は、正義だと考えていた。だが成長するにつれ、正義とは状況により形を変え、勝者がふりかざすものだと気づいた。
ならばバラドのように、剣を交えた相手に決して負けないという信念をかかげてみたが、ジラルドは剣を交えた相手が弱かったり、小さかったりすると、途端に気持ちが弱くなってしまう。
ジラルドは決定的に、心の中に弱さを持っていたのだ。自身の心の弱さに気づいてからは、ゆるぎない信念を持つ事をあきらめていた。
だがジラルドは見てしまったのだ。ゆるぎない信念を持った瞳を。その瞳は、語っていた。必ずこの国の王子の妃になる、と。ジラルドはその瞳を恐れた。ゆるぎない信念を持てない自分を恥じたのかもしれない。
ジラルドが書斎の机をにらみつけていると、トントンとガラス窓を叩く音がした。風だろうか。ジラルドは不審に思い、席を立って窓に向かった。
窓の外を見て、ジラルドはアッと声をあげそうになった。メイドドレスを着た娘が窓の外にいたのだ。ジラルドの書斎は二階にあるわ一体娘はどうやって空中にとどまっているのだろうか。
窓の外の娘はジッとジラルドをにらみつけていた。ジラルドはそこでようやく彼女が誰であるかを思い出した。
先ほどまでジラルドの頭を悩ましていたエレーヌの侍女だ。
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