マチルダの存在
マチルダは助かったのだ。遅れて恐怖がよみがえり、身体はブルブル震えて、立っていられなくなった。ぐらりと身体がかしいで、マチルダはその場に倒れそうになった。
突然、マチルダは誰かに優しく抱きしめられた。見上げるとエレーヌが微笑んでいた。エレーヌはマチルダの小さな身体をヒョイと抱き上げた。
美しいドレスを着たエレーヌに、自分のような汚い者が抱き上げられてはいけないと、身をよじって降りようとするが、エレーヌは放してくれなかった。
エレーヌはマチルダに微笑んでから、老神父に向かって言った。
「神父ロナルドよ。この娘、わたくしがもらい受けてよいか?」
老神父は、ハッとした顔になり、頭を深々と下げて答えた。
「エレーヌさま。マチルダの事、よろしくお願いします」
老神父にしがみついていたパージは、エレーヌの前に立って、叫ぶように言った。
「姉ちゃん!マチルダは、とってもいい奴なんだ。だから、マチルダを守って」
パージは泣いていた、ガキ大将のパージが。他の子供たちもエレーヌに頭を下げながら、口々にマチルダをよろしくと頼んでいた。エレーヌは大きくうなずいて答えた。
「あいわかった。お前たちのマチルダは、わたくしが必ず守る。案ずるな」
エレーヌに抱きかかえられたマチルダは悟った。もう大好きな家族とは一緒に暮らせないのだ。
マチルダは静かに涙を流した。エレーヌはマチルダをしっかりと抱きしめてくれた。
マチルダは、エレーヌと共に馬車に乗り、オルグレン子爵家の屋敷に向かった。子爵家は見上げるほど、大きく豪華な屋敷だった。
エレーヌは侍女たちにマチルダのゆあみをさせるように指示した。侍女たちは一目マチルダを見て、明らかに顔をしかめた。無理もない、マチルダはボロボロの服を着て、身体中泥だらけだったからだ。
マチルダは、侍女たちのさげすむような視線を恐れて、身体をちぢめて震えていた。それを見たエレーヌが鋭い声で言った。
「お前たち!何故嫌な顔をするのだ!」
主人の怒りに、侍女たちは震えあがって答えた。
「も、申し訳ございません、お嬢さま。この娘があまりにも汚かったもので」
「お前たちだとて一週間風呂に入らなければこうなる。人を外見で判断する事ほど愚かな事はない。もういい、わたくしがやります。お前たちは下がりなさい」
エレーヌの言葉に震えあがった侍女たちは、お願いですから自分たちにやらせてくださいと食い下がったが、エレーヌは聞く耳を持たなかった。
エレーヌは大きなおけにたっぷりの湯をはり、マチルダに声をかけた。
「おい、わたくしが洗ってやる。こっちに来なさい」
エレーヌの命令に、マチルダはすくみ上がった。エレーヌは貴族の令嬢なのだ。住む世界が違うのだ。マチルダからすれば天界の住人だ。そんな高貴な方に汚い自分を洗わせるなんて、考えただけでも失神してしまいそうだ。マチルダは小さな声で答えた。
「お嬢さまは高貴なお方、私はいやしい魔女です。どうかお許しください、自分で入ります」
マチルダの言葉に、エレーヌは考えるそぶりをした。どうか考えなおしてほしいと、マチルダは祈るような気持ちで返事を待った。
エレーヌは一つうなずくと、驚きの行動に出た。エレーヌはみずからのドレスを脱ぎ出したのだ。豪華なドレスを無造作に床に投げ捨て、パニエもコルセットも乱暴に外した。あれよあれよという間に、エレーヌは生まれたままの姿になってしまった。
エレーヌは美しかった。まるで芸術的な彫刻を見ているようだった。マチルダはあまりの事にポカンと口を開けて、エレーヌの肢体に見とれていた。エレーヌは微笑んで言った。
「わたくしとお前、一体何が違うというのですか。衣服を脱いでしまえば、人間は違いがないのです」
ここまで言われてしまえば、マチルダも従わざるをえない。マチルダはモタモタと自分の泥だらけの服を脱いだ。エレーヌ微笑んで、マチルダを湯に入れ、洗ってくれた。
マチルダが清潔なタオルで身体をふかれていると、ドアが開いて優しそうな老婆が入って来た。エレーヌは老婆に親しげに声をかけた。
「マーサ、わたくしの子供の頃の服は見つかったか?」
「はい、お嬢さま。こちらに」
マーサと呼ばれた老婆は可愛らしいフリルのついた、ネグリジェを着せてくれた。マチルダが生まれて初めてそでを通す、豪華な服だった。
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