魔術師と老豆・後

 過日残夜4






 次いで、‘誰ですか?’とかすれた声。チャンはまだ地べた。マズイな───アズマは眉根を寄せて光源に目を凝らした。

 立っていたのは作業服の少年、本社の人間にしてはおさない。被用者側か?敵意は無さげ…というより何やら怯えている感じ…思案するアズマに少年は言葉を続ける。


「あの、み、見回り遅くなっちゃって…すみません。今日は社員さん、出勤しない、って勘違いしてて…」


 オドオド紡がれた台詞。もしやこの子、俺達を会社の人間と間違えているのか?アズマが歩み寄ると少年はあからさまに肩を震わせて縮こまった、どうもあまり‘よろしくない扱い’をされていそう。


 ────ちょっと、絵ぇ描い・・・・ちゃおうか。アズマは少しかがんで口元に指を立てる。


「ごめん!驚かせて!俺ら、本社のヤツとかじゃあないのよ」

「えっ?」

「ここの労働体制が劣悪ってきいて、こっそり見にきたの。いくら所在が九龍だからって労基違反過ぎるでしょ。組合から調査依頼が出てて」


 まぁ嘘ですが、方便方便。起き上がったチャンも話を合わせてウンウン頷く。少年はアズマチャンの顔を交互に見た。


「作業場でけっこう大変な目にあってない?見た感じ、寝泊まりしてる場所も良い環境とはいえないし…給料だって満額出てる気がしないんだけど。業務上でも生活面でも、問題があるなら教えてくれないかな」


 アズマの追及にしばし考え込み、キョロキョロ周囲を見渡すと、声を潜める少年。


「えっと…ほんとに社員さんじゃないんですか…?」

「そう見える?」


 アズマおどけてパーカーの紐を引っ張れば、少年は胸を撫で下ろした。


「良かったぁ。僕、寝過ごして見回りが遅れちゃったの怒られるかと」


 安堵する少年の背中をチャンさする。この子は新宝派ではない───というかここの労働者で会社に好印象を持っている者など居ないのでは?ともあれ、何かプラスで情報を得られたら御の字…調査員・・・ていを保ちつつ柔らかく問うアズマ


「ここの作業場がブラックだって証拠が欲しいんだけどさ。言える範囲でいいから話してもらえない?もちろん誰から聞いたかは内緒にしておくから」

「それは…話す、っても…改善難しいんじゃないですか。社長達がどうこうしてくれるとは思えないし」

「他の方面にアプローチしてみるよ、もっと外側。内側からは厳しいだろうしね」

「厳しいなんてもんじゃないです。文句いったら待遇が悪くなっちゃうし、ご飯とか日給抜かれるし、殴られたりもしますよ。僕らの中にも社員さんに色々意見してくれてすごい頼れる感じの人がいた・・んですけど…それでも取り付く島もなくて…」


 いた・・。過去形。心もち瞳を細めるアズマをよそにチャンが口を挟んだ。


「その人って劉帆リュウホかい?」


 俯いていた少年はパッと顔をあげる。


劉帆リュウホさん、知ってるんですか!?僕めっちゃお世話になりました!」


 僕、仕事でも日常生活でもドンくさくって…劉帆リュウホさんに色々面倒見てもらったんです、と少年。またウンウン頷いたチャンが名を名乗れば、少年は‘あなたがチャンさん!’と目を丸くする。どうやら劉帆リュウホは自分の身の回りについていくらか語っていたらしい。


チャンさんは親父のような存在だって。お前も出稼ぎが終わったら会いに来てみないか?って、劉帆リュウホさん、誘ってくれました」


 そう朗らかに言われ、チャンがはにかんで下を向いた。照れるオッサン。続けて少年は‘じゃあ劉帆リュウホさんが組合に訴えてくれたんだ!’と息巻くも、それに対しては二の句に窮するチャンアズマはキョドるチャンの脇腹を小突き‘まぁそんなとこ’と返した。


劉帆リュウホさん、本社の人とぶつかることが多くて。みんなが酷い環境で働いてるのが許せないって」

「でも今ここには居ないよな?どこ行っちゃったの?俺達も最近・・連絡取れてなくってさ」

「えっと…社員さんに聞いてみたんですけど、‘担当の現場が移動した’って言われて。詳しくはわかんないんです。急だったから、挨拶も出来なくて、僕…」


 アズマの質問に少年は肩を落とす。


 移動・・をした者は今まで何人か居るとのこと。脳内をよぎる破られた履歴書。移動先、つまりここ以外の現場を知っているかアズマが重ねて尋ねると、話だけで実際に行ったことはないと少年。アズマは先刻みつけた見取り図の話をしようかと逡巡し、やめた。踏み込ませ過ぎるのはこの子の為に良くない。

 労働者達は苛酷な環境の割に安月給、けれど改善はされず、逃げ出す訳にもいかず、みな途方に暮れているようだ。しょげこむ少年を不憫ふびんに思ったのであろうチャンにチロチロと視線を寄越され、唇の端を曲げるアズマ



 ────どうするかな。劉帆リュウホについて調べに来ただけで、新宝ここ全般のトラブルシュートに本腰を入れるつもりじゃなかったけど…こうなったら乗りかかった船か。



 アズマは膝に手を付いて、少年と目線の高さを合わせた。


「俺ら、城砦に帰って裏取りとかしてみるからさ。なるべく早く良い方向に持っていけるようにするよ。解決したら劉帆リュウホも呼んで食肆レストランで飯でも食おう?チャンの奢りでね」


 微笑むアズマに少年は首を縦に振る。チャンもフンフン鼻を膨らませて少年を励まし、必ず一緒に行こうと言ってウインクを飛ばした。可愛くはない。しばしの歓談ののち、寮に戻るという少年の頭をクシャクシャ撫でて‘近いうちに結果を出す’と約束。後ろ姿を見送り、アズマチャンも現場を離れた。

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