瑣末と休日・後

 日常茶飯10





 

 香港、中心地からはだいぶ外れた、しかしそれなりに賑わう街の片隅。アタッシュケースを片手に燈瑩トウエイ上水スンスイの事務所を訪れる。


 勢いづいているグループとは仲良くしたい…なんてリップサービスで約束を取り付け、例のマフィアに菓子折り・・・・を持って来た。疑われることもない、人当たりが良いのは自分でもわかっているし、それ以上にこの世界で重要なのは‘金払い’だ。


 室内なかに入って当たり障りない会話を交わし、事前に連絡した通りのシナリオをつらつらと話す。荷物をテーブルに乗せ営業スマイル。


「で、九龍でさばいてるドラッグを香港そっちでも扱ってくれないかなと思って」


 もともとアンバーの販路を欲しがっていた半グレ共だ、新規ルート開拓の提案が通らないはずがない。燈瑩トウエイがアタッシュケースを開くと詰まっている札束に男達がニヤけた。その下にはお馴染み【東風】特製ハーブバッグがギッシリ。アズマがオマケでくれた粉薬──出来に納得がいかなかった試作品──もサンプルとしてわんさか入っている。


「これは俺からのサービス。今後ご贔屓ひいきにしてくれると嬉しいんだけど」


 燈瑩トウエイが改めてニッコリ笑うと、各々おのおの思い思いにハーブやドラッグを手に取り合意するマフィア連中。今日は挨拶だけでもうおいとまする、プレゼントをゆっくり楽しんでくれと告げ燈瑩トウエイは建物を後にした。

 煙草に火を点け、振り返りもせずわずかに早足で路地を抜ける。角をいくつか曲がり、それなりの距離をとった所で携帯の時計を確認。





 そろそろかなぁ。





 瞬間、爆発音が燈瑩トウエイの背後で響いた。といっても既に距離は遠く、何か聞こえたなくらいの音量ではあったが。どうやら底上げしたアタッシュに隠れていたC4シーフォーが皆様に上手うまご挨拶・・・したみたい。良く出来ました。


 通りの向こうから的士タクシーが来るのを目に止め手を上げる。拾って乗り込み行先を告げた。


「飛ばしてもらってもいいですか?ちょっと急いでて」


 言いながら燈瑩トウエイがチップを出せば、運転手は張り切ってアクセルを踏み込む。


 決め手は‘香港に行く’という大地ダイチのメール。どちらを潰しどちらを残すか選びあぐねていたが、出掛ける予定が舞い込んだのでついで・・・にこなせる方にしただけの話。もし‘台灣に行く’なんて連絡が入ればそちらにC4シーフォーを連れて行っていた。だってどっちでもよかったんだから。



 きっかけなど、いつだって些細な事なのだ。



 山間やまあいを通り過ぎ、背の高い人工物がチラホラと目に映り始めた。香港は世界有数の摩天楼、天へと伸びるスカイスクレイパーはまさに圧巻。夜景は100万ドルなどと謳われる。

 整然と建ち並ぶ統率の取れた巨大ビル群を横目に、燈瑩トウエイは雑多な九龍の違法建築の住人達について思いをめぐらす。


 長安楼の老人会にお菓子買って帰ろう。花街側の風俗店が乱闘騒ぎ起こしたときに迷惑かけちゃったんだよな、今度また麻雀も付き合わないと。大地ダイチも連れて行こうかな、この前一緒に顔出したらクォクのお婆ちゃんすごく喜んでたっけ。烏雞沙ウーカイサーに居る孫が会いに来てくれたみたいで嬉しいとかって…。


 考えているうちに窓の外の景色は流れ、数十分もすれば尖沙咀チムサーチョイの繁華街周辺に到着。燈瑩トウエイは釣りも貰わず車を降り、適当に人混みに紛れる。


 さて、大地ダイチイツキが居るのは新しく出来た饅頭のお店、名前は確か───…


ゴー!」


 探すより先に大地ダイチの元気な声がした。走り寄ってくるその手には、ゴロンとした立体的なパンダ饅頭。後ろからイツキも歩いてくる。


「あれ?テイクアウェイにしたの?」

「うん、ゴーが来てくれるって言ったから」


 訊ねる燈瑩トウエイへ、饅頭を掲げて見せる大地ダイチ熊猫パンダの姿はぬいぐるみのようで愛らしい。食べるの可哀想だねと目尻を下げる燈瑩トウエイの横で、思い切り頭から丸かじりしていたイツキが首無しパンダに視線を落とし申し訳無さそうな表情を見せたが、数秒後には胴体も口の中へと消え去っていた。まだ数匹残っている小さな生き物達、次はどこからいただこうかと微妙に悩んでいるイツキの顔を燈瑩トウエイは覗き込む。


「そういえばイツキ、クリュッグの瓶に花飾ったんだって?」

「ん?うん。花屋で買ったやつと大地ダイチが摘んできてくれたやつ」

「そう!前にイツキと見付けた花!」

「いいね。アズマ喜んだでしょ」

「んーん、めちゃくちゃ泣き喚いてる」

「何で?」

「何で?」


 キョトンとする燈瑩トウエイ大地ダイチに、わかんないと首を傾げるイツキ

 あの花可愛いのに、マオに似てるし…と呟く大地ダイチイツキが頷く。その言葉でアズマが泣き喚く理由を察した燈瑩トウエイは、ただ黙って微笑んだ。


 賑わう香港の街。お菓子を物色しつつ散歩していると、大地ダイチがアクセサリー店のショーウィンドウで足を止めた。


「あ!ごめん、ちょっと待って!」


 言うが早いかカシャカシャ写真を撮り始める。欲しいのかと燈瑩トウエイが問えば、俺じゃなくてカムラ!送ってって言われたの、との返答。


ヨウさんとデートするからだよ、多分」


 携帯のカメラをタップしつつ大地ダイチはシシッと笑う。


 ヨウへと贈るつもりかな、というか、上手く行ってるんだ…良かった…そう思う燈瑩トウエイの口元が自然とほころんだ。視線を上げれば交差点にはヨウの看板、化粧品の広告。赤いシャドウとリップがよく映えて妖艶だ。イツキが写真を撮っている、メッセージに添付、宛先カムラ。そんなイツキ大地ダイチの姿をカメラにおさめ、燈瑩トウエイカムラ微信チャットを送った。方々ほうぼうから同時多発的にヨウに関する連絡がきてカムラ狼狽うろたえるさまが目に浮かぶ。


「あとはどこのスイーツ買いたいの?せっかくだし全部回ろうか」

「わーい!ゴーありがとう!」

「はんははんひゅうほっほほひぃ」

イツキ、なんて?」




 数時間後。レン食肆レストランで皆で夕飯をとっている最中に上水スンスイの爆発騒動のニュースが入り、燈瑩トウエイマオに‘そういうとこだぞお前’と言われることになるが、それはまた別の話だ。

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