デビルとビクトリア・前

 日常茶飯11






「ちょ、変やない?似合におうとらんかな?」

「別にどれだってお腹出てるよ」

「そこやなくて!!」

「平気平気、似合ってるってば」


 鏡に向かって悩み続けるカムラ大地ダイチが溜め息をつく。これを着て行く、と前日に決めたはずなのに、いざ当日になると迷ってしまうのはどうしてだろうか。お出かけ前の人類の──いささか主語が大きいが──永遠のテーマ。


「これにしよ、これ。もー変えへん」

「結局最初のじゃん」

「わからんくなってもうてん!!」

「ほら、待ち合わせの時間過ぎちゃうよ」


 半笑いの大地ダイチが呆れて急かすと、半ベソのカムラはドスドスと玄関へ走った。


「じゃ、いっ、行ってくる!!」

「行ってらっしゃーい」


 ニコニコと手を振る大地ダイチに手を振り返し、足早に階段をくだって桑塔納サンタナを拾う。この車、アズマ藍漣アイランを空港に送ったあと特に誰も使っておらず放置されていたので今回ちょっくら借りる事にした。借りる、といっても所有者が誰なのか微妙にわからないが、鍵はアズマが持っていたのでまぁ問題無し。せわしなく乗り込みエンジンをかけ、カムラは香港方面へと車体を向ける。



 今夜はヨウと市内の中華料理屋で夕飯をとる約束なのだ。



 リムジンとかで迎え行ったらカッコよかってんかな…けど、‘あんまり目立っても困るじゃない’てヨウに言われとるし。そもそもヨウはええとして、そない高級車やと俺は身の丈に合っとらんもんな、颯爽と降りてきよっても見た目ナリがプーさんやし…思いながら繁華街へタイヤを滑らせる。


 スケジュールの隙間を縫い時間を空けてくれるヨウには感謝するばかり…今迄いままで数回ご飯を食べに行っているが、楽しんでもらえているのかどうかその都度ドキドキものである。

 特に今回は、新作映画の主演女優に決まったお祝いも兼ねて値の張る──カムラにしては値の張る──店を準備したものの…不安な気持ちを落ち着かせ待ち合わせ場所の油麻地ヤウマーテイへ。


 交差点、曲がり角のところにあるコンビニの傍にヨウが立っていた。バケットハットを深めにかぶり、フレームの大きな伊達メガネにマスクで顔を隠している。隠しているのに可愛い。ヨウだとわかっているからそう感じるのだろうか、違う誰が見ても可愛い、けど言うて顔見えてへんやん、もう雰囲気が可愛いねん───やなくて。ファーストミッションは、ヨウを乗せて、そして褒める。褒めるで俺は。イツキから学んだやろ。やるで俺は。


 目の前に車をつけウィンドウをおろすと、カムラが扉を開けるより早くヨウは助手席のドアを引いてシートに身体を沈めた。大輪の花が咲いたような笑顔をカムラに投げる。


「お迎えありがとうカムラ君♡洋服も素敵ね!似合ってる!」



 先に言われてしまった。



「あ、せ、せやったらええんやけど…ヨウもえらいかっ、可愛かわわいいな。今日も」



 噛んだわ。



 わぁいと喜ぶヨウの隣でカムラは遠い目をした。ホンマにカッコつかん…やけど言うた、言うたで、ちょいちょい前進していくねん…そう心に決めつつ桑塔納サンタナのアクセルを踏む。


 辿り着いたのは高層ホテルの上階に位置するレストラン。なかなか予約の取れない人気店の個室にヨウが目を丸くする。カムラ君すごいねとの称賛に、燈瑩トウエイに少し口を利いて貰ったと正直に答えるカムラ。その飾らない返答を聞いて満足そうに微笑むヨウが愛らしく、カムラは照れて目を伏せた。


 選んだメニューは主食の瑤柱荷葉飯はすのはごはん、祝事の為の大紅片皮乳猪こぶたのロースト、加えて点心もいくつかオーダー。金魚の形をした透き通る水餃子やパンダの姿の胡麻饅頭に目を輝かせるヨウ。先日イツキ燈瑩トウエイがパンダ饅頭の新店に行ったらしいと話すカムラへ、次回は私達も訪れてみようとヨウは身を乗り出した。次回もちゃんとありそうだとひっそり胸を撫で下ろすカムラ心中しんちゅうを読み取ったヨウがニンマリする。


「心配してるの?」

「えっ!?いや、しとら…」


 ───素直にいこう。カッコ悪くても。


「しとる。楽しんでもらえとるかなとか、満足させられててんかなとか、またデー…ご飯付き合ってもらえるんかなとか」


 ヨウはテーブルに肘をつきリラックスした姿勢、しかし凛と澄んだ瞳でカムラを見据えている。麗人。


「俺はヨウが一緒にってくれとる理由が正直わからんねん。やけど、自分に出来る限りのことして、喜んで欲しいって思っとるから…やから、んー…」


 全然言葉がまとまらない。何を伝えたいのか俺は。唇をモゴモゴさせるカムラヨウはクスリと口角を上げ、伝わってるよとウインク。はいノックアウト。


カムラ君と過ごす時間、すごく好きよ。九龍のみんなのことを話すのも面白いし。カムラ君自身だって…誠実な所とか真面目な所とか、私はとっても好き」


 それは良かった、頑張りが報われ───ん?今‘好き’って言われた?いや一般論か。そういう人が好ましいということか。俺は好ましいということ?いやいや。そりゃ多少は気に入ってくれていると思うが。いやいやいや。


 カムラはフルフルっと頭を振って普洱茶ポーレイチャを飲み干した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る