瑣末と休日・前

 日常茶飯9






 ─────調子に乗ってるな。






 1人ベランダで煙草をふかす燈瑩トウエイは、眼下の街並みに紫煙を流しコキコキ首を鳴らす。


 馴染みの風俗店に挨拶して回り、付き合いのあるマフィアの事務所やアジトを覗き、商人仲間や顧客と連絡を取り、新しく運ばれてきた商品の確認をし、出勤してくるキャストの様子を見るため花街をもう一回りし、帰宅。今日は割と早目に自宅に着いた。誰かと会う約束も無い、久々にのんびりとした夜。


 調子に乗っているのは、ここのところ燈瑩トウエイが取り引きをしている香港のグループ。角頭の騒動に乗じていくらか力をつけた──といっても半グレを何人か殺して販路を乗っ取っただけだけれど──おかげで、大きな顔をするようになった。そんな事は構わないのだが、こちらのルートまで欲しがるようになっては話が変わってくる。そのせいで他方の顧客と衝突が発生しているのだ。


 啟德機場カイタックくうこうへ向かう飛行機の轟音が聞こえ燈瑩トウエイは空を見上げる。九龍城砦には数少ないルールがあり、そのうちのひとつが‘14階以上の建物は建てないこと’。そうしないと違法建築の頭がジャンボジェットの腹をこすってしまうからである。まぁ、だからといって守られているかどうかはご覧の通り。

 機体のラッピングには【福珠宝】の文字。中華航空とタイアップしてたっけ?深圳あたりにあった会社のはずだ、香港に新しく店舗を出したとか何とか聞いたな…。どこだっけ、上水スンスイだっけ…?


 上水スンスイなぁ。くだんのグループが拠点にしているのがまさにここ。先日も台灣の半グレとぶつかっていた。客同士で対立されると俺が困る、フウッと煙を吹いて燈瑩トウエイはまた不格好な街並みを眺めた。


 この建物からの景色はそこそこ綺麗だ。花街に面した中流階級寄りのビルの高層階。特に住居にこだわりはないが、カムラ大地ダイチが訪ねて来ることがあるので治安が悪い場所を避けた結果、割と良い立地になってしまった。個人的にはどこでもいいんだけど…スラムもスラムで住みやすいし…思いながら短くなった煙草を揉み消し、もう1本火を点ける。吸い終わってまた1本、更に1本。暗くなり始めた魔窟に灰を落とした。


 ふいに携帯が光る。カムラからのメール、仕事が終わり帰路につくところだが用事があれば承るので言ってくれとのこと。燈瑩トウエイは、くわえ煙草の唇の端を上げた。

 カムラはほとんど毎日そんなような連絡を入れてくる…律儀な男だ。‘気にしなくていい’としょっちゅう告げるも聞く耳を持ってくれない。特にリクエストも思い付かず9割の確率で大丈夫だと答えるものの、断り続けるとあからさまに落ち込むので1割くらいは何かを頼むことを心掛けている。茶餐廳チャーチャンテーンで夕飯をテイクアウェイしてきて、とか。


 でも、料理オーダーするとどっさり買ってくるんだよなぁ…俺が1人で居る時はあんまり飯食わないのバレてるから…。燈瑩トウエイは煙を口に溜め思案する。前に買い物をお願いしたらちょうどスーパーのセールの時間帯とカブったらしく、山程食材を運び込まれて冷蔵庫をパンパンにされビックリした。カムラが帰った後にこっそりイツキを呼んで半分くらい持って行ってもらったっけ。



 …珈琲コーヒーでも頼もうか。カムラのぶんも。



 花街の女の子達からプレゼントされたお菓子がある。少し2人でつまんで、残りは大地ダイチへのお土産にしよう。


 ほどなくしてカムラが息を切らせてやってきた。急いだというのもあるかも知れないが、九龍城砦の建物にはいかんせんエレベーターが無い。最上階まで階段を登るのは──特にカムラにとっては──非常にいい運動。ごめんねと燈瑩トウエイが謝ると、全っ、然、大丈、夫、です、と全然大丈夫じゃなさそうにカムラは答えた。


 珈琲コーヒーを啜りつつ、上水スンスイのマフィアについてカムラにうっすらと訊ねる燈瑩トウエイ


「あのさ、西合楼襲撃しタタいたグループの話って何か聞いてる?」

「先月のですか?いや特には…あれ以来動きあらへんと思いますけど」


 その返答を聞き、燈瑩トウエイは口元に手を当て考えを巡らせた。

 そうなると、組織から足切りされたのかな。だから焦ってこっちのルートを欲しがってるとか。上手く飼い慣らせないこともないけど、台灣のグループとのイザコザは解消されないな。まぁ台灣あっち台灣あっちで縄張りの拡大を狙ってるから、俺の販路は欲しいんだろう。両方にイイ顔は出来ない。



 どっちか片付ける・・・・しかないか。



 なんやトラブルですかと問うカムラに、九龍外そとでちょっとねと燈瑩トウエイんだ。


 燈瑩トウエイを付け狙う人間は城塞内にはあまり居ない。燈瑩トウエイが生きていた方が利益になる場合が多いし、本人自体角が立つ言動や性格をしている訳でもなく、敵を作る要素がさしてないからだ。

 だが九龍外そとは別。アンバーのルートを欲しがる半グレは星の数ほどで、仕掛けてくる輩は十中八九、城外から来た人間。いちいち相手もしていられないが放っておくのにも限界がある。


 外での話には手を貸せず不満そうにするカムラに菓子を渡し、何かあったら協力を仰ぐからとなだめて見送る燈瑩トウエイ


「どっちにしようかなぁ…」


 再びベランダにて煙草をふかし、上水スンスイと台灣それぞれのグループのデータを見比べる。利益、規模、関係性、どれをとっても大差はなかった。最終的には両方片付ける事になる予感がする…だったらどっちからったって別に…。


 どこからか、誰かが弾いている二胡の音色が聴こえた。侘しくて物悲しくて不思議と懐かしい。城塞ではよく中国音楽が流れており、ラジオからだったり生演奏だったり様々だ。仲間内で音楽好きをつどって同好会を作る者も居る。開業医のホイ先生も参加したって言ってたな…お茶でも差し入れしようか…燈瑩トウエイは曲に耳を傾ける。


 と、微信チャットのアイコンが点灯。新着1件大地ダイチ。開いてみれば、お菓子くれて多謝ありがとう!週末にイツキと香港に行くからゴーにもスイーツ買ってくるね!との報せ。…そこではたと思いつく。




 週末。香港。




「決めた」


 小さく言って携帯をいじる。決定してからは早い、淀みなく文章を組み立てメールを作成。


 トランクはある。現金どのくらい家に置いてたっけ?パンパンに詰めても勿体もったいないし、アズマからハーブバッグ買って使おうかなぁ。さっき港に新しく運搬された武器の確認しておいて良かった、C4あったよね。


 計画を立て終えると大地ダイチにOKの返信。






 きっかけなど、いつだって些細な事なのだ。

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