路傍と外出日和・前

 日常茶飯3






大地ダイチ、俺仕事行くで。朝ご飯テーブル乗っとるから食べぇや」


 カムラの声に寝ぼけまなこで相槌を打ち、大地ダイチはゴロゴロと布団のうえを転がった。


 時計を見ると針は2本とも7のあたり、まだ登校時刻までは大分だいぶある。とりあえず起き上がってカムラを見送り、ノロノロ身支度をしてテレビをつけた。子供向け番組、ニュース番組、面白いものないな───あっヨウさんの鴛鴦茶ユンヨンチャーのCMやってる。

 チャンネルを変える手を止めて画面をジッと凝視。ちょっと不思議な感じ、本当にカムラの彼女さんなのかな?カムラのどこを好きになってくれたんだろう…まぁカムライイ奴だけど…食卓に用意された三文治サンドイッチを食べつつ首を傾げる大地ダイチ


 朝食を済ませて、お茶を淹れ、一息ついたら良い時間。鞄を提げ家を出ると、夜中に空を覆った雨雲はすっかりどこかへ消え去り路地に太陽光が射し込んでいた。広場へ抜ければ頭上にはうっすら虹が架かった晴天。


 なんかラッキー、大地ダイチはクスリと笑う。


 跳房子けんけんぱの要領で泥濘ぬかるみを避けつつ学校へ。

 学校と言っても九龍城砦に義務教育の概念は存在せず、有志や教会がやっている寺子屋がチラホラあるのみ。本格的な教育機関へ通おうとするなら香港まで行くのが必然だ。


 でも、‘何を勉強したい?’って訊かれると、難しいな。


 自分に出来ること…さしあたり、仲介屋もどき・・・はやらせてもらっているけど。 

 なんにしろ、みんなの役に立ちたいな。早くもどき・・・を取り払いたい。香港で勉強した方が役に立てるのかな。香港あんまり行ったことないんだよな、イツキに話聞いてみようかなぁ。考えつつ水溜まりを飛び越す大地ダイチ、目的地はもう目と鼻の先だ。


 寺子屋に着いたらいつもの席に腰を下ろす。1時間、2時間、お昼を挟んでまた1時間。

 授業はけっこう楽しい。知らないことを沢山学べる、眠くなるような話もたまにはあるが、おおむねワクワクするものばかり。知識が増えれば世の中の見方も変わるのだ───などとちょっと大袈裟な事を大地ダイチが思っていると、ポケットの携帯が震えた。

 イツキからメッセージ、帰りに順光楼の近くの班戟クレープ屋に行こうという誘いに即オーケーの絵文字を返す。スイーツ大好きな年少組。


 甘いものといえば、ここのところ欠席が続くクラスメイト、両親が駄菓子屋さんを始めたから手伝いで忙しいって言ってたな。空いている椅子と机を眺める大地ダイチ


 学校へ通わず家業を手伝う子供も多く存在し──しかし中流階級以上に限る、それ以下では家族など居ない子供が圧倒的多数──城塞内で主流の仕事といえば食品製造。麺作りや豚肉の塩漬け、叉焼、魚のすり身餃子にイカ団子、エトセトラ。例のクラスメイトの家は製飴業。砂糖を溶かして飴にして、伸ばして切って丸めてコロン。

 前に様々なお菓子に使われていたピンク色の万能着色剤に水銀が混ざってたとかで、カムラが慌てて台所の棚を全部引っくり返したことがあった。隠してたガムが1つ残らず捨てられちゃったっけ。他にも政府の基準から外れた成分がなんだとかかんだとか。食べちゃえばわかんないけど、駄目なんだろうな、身体に悪くて。大地ダイチがぼんやり考えていると教師が終業を告げる。あれ?もうそんな時間か。


 同級生に手を振り建物から出ると、既にイツキが迎えに来ていた。天気もいいし班戟クレープ買ったら散歩しない?とのイツキげんに頷く大地ダイチ。道中様々なお菓子の話をし、マオから貰った曲奇クッキーが美味しかったから香港に新作探しに行きたい、と発するイツキ大地ダイチは大賛成。早速今週末2人で遊びに行く予定を立てた。ついでに後で【宵城】にその曲奇クッキー取りに行こう、まだ余ってたしとのイツキの提案にも大地ダイチは首をブンブン縦に振る。


「俺、香港ほとんど知らないから超楽しみ!イツキは住んでたんでしょ?」

「住んでたってほどでもないけど。あんまり家から出なかったよ」

「学校とか行ってなかったの?」

「全然。ていうか、学校通ったことあるの大地ダイチだけじゃない?」


 そのイツキの発言に大地ダイチは面食らう。


 確かにカムラは行ってなかったな。けどアズマはすっごい薬に詳しいし、マオも大きなお店を経営してるし、ゴーは滅茶苦茶なんでも知ってるし。てっきり全員ちゃんと…ん?そうなると九龍ここで生きていくのには関係ないのか、学校とかって?じゃあどうしてみんなは寺子屋に通うのを勧めてくるんだろう。

 考え込む大地ダイチに、大地ダイチの世界が広がって欲しいからだよ、とイツキ


「いっぱいある中から大地ダイチがやりたいこと見付けてくれたらいいなって」


 道がせばまらないように。選択肢は多いほうがいい。大地ダイチのやりたい事はもはや‘仲介屋’から動かないのだが、それにだって、思いがけない知識が思いがけない形で力になるかも。何だって勉強しておいて損はない。

 カムラが小言をいうのはそのせいだ。口煩くちうるさいと感じる時もあれど、大地ダイチを大切に想うがゆえ。わかってはいる、しかしそれでも、宿題をやったやらないで今夜も揉めることは大地ダイチには予想がついていた。相容れない保護者とティーンエイジャー。

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