第17話 残心(3)

「真剣な顔をしてどうしたのかと思ったら……そんなこと?」

「え……?」


 かすみあきれたような口調に伊吹いぶきまばたきをする。霞は楓に聞こえないように伊吹同様に小声で話し始めた。


「前にも言ったけど……私と楓様は仮初かりそめの関係よ。どう見ても私はかえで様の好みの女子おなごではないでしょう?伊吹が心配しているようなことは起こらないわよ」

「俺が心配してること分かってんのかよ……」


 まだ浮かない顔をしている伊吹を見て、霞はため息をいた。

 

(伊吹は私に対して気負い過ぎなのよ……。こういうところは楓様と似ているのよね)


 霞は己の存在が二人の男のかせになっているのに気が付いていた。楓は命を救われた恩から、伊吹はたった一人の親族だからという理由で霞のことを必要以上に気に掛ける。そこに特別な感情はないのだと霞は考えていた。


(そうよ二人は盤上ばんじょうの駒。そして私も……)

「二人で仲睦なかむつまじく……何を話してたんだ?」


 頭上から声がってきて、霞は我に返る。霞の左肩に手を置いて胡散臭いが女子おなごが喜びそうなえみを浮かべていた。思った以上に近い距離に霞は目を丸くさせたが、淡々と嘘を答える。


「……牡丹ぼたん様にお会いしたことを話していただけです」

「それは丁度良かった。……では伊吹、本日より牡丹様の屋敷を警護することになった。すぐに近衛府このえふの者達の手配を頼む」

「……はっ」


 霞に背後から寄りかかりながら楓は伊吹に指示を出す。伊吹は視線を逸らすように頭を下げると馬で宮中へ戻る準備を始めた。


「あの、楓様。そろそろこの手を退かして頂けますか?」


 霞が目を細めながら楓を見上げる。てっきり楓がいつもの演技なのかと思いきや真剣な眼差しに緊張感を高めた。

 

「お前達は……本当に同じ一族の者同士なのか?とてもそのようには見えないが……」

「突然なんですか?従弟いとこですし男女差もあるでしょうから姿が異なって当然だと思いますけど……。楓様までつまらないことをお聞きになるのですね」


 緊張をほどいた霞の冷たい眼差しに、楓は手を離すとひたいを押さえて大きなため息を吐く。


「そういうことではないんだが……。とにかく、今は急いで宮中に戻るぞ!」

「はあ……よく分かりませんが。私も情報を整理したいところでしたので、急ぎ戻りましょう」


 楓は乱暴に市女笠いちめがさかぶると、霞の薄紫色のうちきを羽織った。手綱たづなを握ると、行きと同じように馬を走らせる。


(俺には従弟いとこ同士に見えないんだよな……。伊吹は明らかに霞をしたっているし霞は霞で伊吹を特別視しているみたいだ)


 前に座る霞を見下ろしながら楓は人知れず焦燥感しょうそうかんに駆られていた。色恋いろこいで頭を悩ませたことのない楓はそんな自分に戸惑いを感じる。今まで楓が出会ってきた女性は楓の思いのままに動いたし、想定通りの反応を見せてくれた。

 演技とはいえ色恋とはこんなものかと飽き飽きしていたところに霞と出会ったのだ。

 霞はそんな楓の心中など知らず、楓に見向きもせず復讐に向かってひた走る。その姿が眩しくもあり、悲しくもあった。


(復讐が終わったら霞様は俺のことを見てくれるのか。それとも……)


 楓は先を走る伊吹の後ろ姿を眺めた。




此度こたびのことで分かったのは、化け物は何らかの方法で意のままに人を操ることができるということです」


 女房装束にょうぼうしょうぞくに戻り、黒いうちきを羽織った霞が言い放つ。宮中に辿り着くなり二人は霞のつぼねにて、会合を行っていた。伊吹は牡丹の屋敷へ警護の兵を派遣する手続きの為、ふすまの外にはいない。


「そんな都合のいいじゅつまじないというのは存在するのか?陰陽師おんみょうじ達の宮中を守るまじないとは異なるのだろう?」

「恐らく私達の知りまじないではないのでしょう。陰陽師おんみょうじ達の呪いにそういったたぐいのものはないはずです。第一、人をのろい殺すことは強く禁じられているはずですから……。ですが、呪いでなくとも人を操る方法はあります」


 霞の言葉に楓が神妙しんみょうな顔で答える。


人心掌握術じんしんしょうあくじゅつか……」

人心ひとごころを熟知した者ならば呪いに頼らずとも人を意のままに動かせましょう。例えば、女心おんなごころを意のままに操る楓様のように……」


 楓はむっとした表情を浮かべる。


「人聞きの悪い。それは霞様も同じだろう。だが、俺達には人の手足を動かして矢を突き立てさせるなんて芸当はできない」

「その通り。だから化け物はうまく人心の知識と呪いを組み合わせているのだと思います。人の弱みに付け込み、呪いをかけるなんて……厄介な相手です。

今ひとつ確かなことは化け物は本物の化け物だった……ということだけでしょうか」

「化け物は関係ない人をあやつり自らは陰に潜んでいる……。操られた人物から情報を引き出そうとしても殺されて聞き出せない。一体どうすればいい?俺達には何もできないのか?」


 楓が悔しそうに唇を噛み締める。霞は静かに首を振った。


「いえ、そのようなことはありません。如何様いかようにも戦い方はあります。化け物にも隙が見えますから……」


 楓は勢いよく顔を上げると、正面に座る霞を真っすぐに見た。


「隙だと?そんなものどこにあった?」

「私の推測ですが……恐らく化け物にも人を操るのに限度があるようです。例えば……操れるのは一度にひとりまで、とか」


 霞は口元を押さえ、不敵な笑みを浮かべた。耳の後ろに掛けていた横髪がこぼれる様子も相まって、思わず魅入みいってしまう。楓は霞に見惚みとれていたことを誤魔化すように疑問をぶつけた。


「何故そう思う?化け物が力を出し惜しみしてるかもしれないぞ」

「なれば楓様の命を狙う時、複数名の射手いてに狙わせれば良かったのです。その方が確実で、手っ取り早いはず」

「それは……そうだな」


 楓は腕組をして霞の言葉に耳を傾ける。


「化け物の手口はいつも同じようです。殺したい者を操り、事故死を装って殺す……。それも1人ずつ、ある程度期間を置いて実行しています。

ということはそのまじないを使うには必要条件があって、術者にも何かしら負荷ふかが掛かっているのではないかと考えます。恐らく操られた者の五感は術者と通じているはず……」


 霞は白樺が「貴方は想像以上のお方だ」と言っていたのを思い出す。あの時明らかに白樺の中に別の何かがいたのを感じた。


(そしてあの時、化け物にも私の顔を知られたはずなのよね。これからいつも以上に隠密に動かないと……)


 霞が再び深い思考に落ちて行こうとした時、楓が声を上げた。


「だったらおかしくないか。俺は……操られていないぞ?」


 楓のその発言に霞の目が一瞬だけひらめいた。そして楓に向かって頷く。


「そこなのです……。何故、今回は狙った相手を操らなかったのか。私も理由までは分かりませんでした。

他にも呪いにはほころびが見えます。操られた者は完全に操られているわけではなく自我を取り戻す瞬間がありました」


 霞は白樺しらかば牡丹ぼたんの名を聞いた時に取り乱したのを思い出す。


「ずっと操られたままでは周りの者に勘づかれるからな。そうか……その隙を突けば化け物と対等に戦える……!」


 楓の表情が明るくなった。


「その通り。不利な状況といえども、必ず勝利の一手があるはずなのです。ただ、まだ情報が足りません……。何故、楓様を操らなかったのか。そこに重要な何かが隠されているような気がします」


 霞は頭を抱えながら深いため息をいた。


「引き続き俺自身の警護と、宮中の動きを見張る必要があるな……」

「ええ。もし私の推測が正しければ、化け物は暫くの間、人を操ることができないはず。つかの間の安全は保障しますが……残念ながら暫く仮初かりそめの関係が必要なようですね」

「残念?」


 霞の言葉に楓が顔を上げる。その声は不機嫌そうだった。


「恋人役というのが一番面倒で、肩がるのです。楓様も恋人のフリは、ほどほどになさってください。私のように華のない女の相手をするのはさぞお疲れでしょう。

それと、他の女子おなごの元へ通われる際も気をつけください。その女子が化け物に狙われてしまうかもしれません。私は引き続き化け物の呪いについて考えますので、お下がりください」

(楓様も色々あってお疲れでしょうし、私に気負うことなく休んでもらおうかしらね)


 霞なりの気遣いのつもりだったが、逆に楓の心に火をける結果となった。それに気が付かない霞は文机ふづくえの上に広げられた、宮中史きゅうちゅうし巻物まきものに目を落とす。


「それもそうだな。では、また」


 そう言って楓が立ち去っていくものだと思っていたが、足音は霞の方に向かってきている。突然、右頬に触れられ、霞は何事かと巻物から顔を上げた。

 霞を牽制けんせいするための恋人の演技かと思い、楓に悪態をこうとした時だ。


「楓様、どうかされた……」


 霞はその後言葉を続けることができなかった。霞の唇に何かが触れたからだ。

 それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 楓の端整な顔が離れると慈愛に満ちた表情を浮かべ、今までにないほど優しい声色で言った。


「これからも宜しくな……。かすみ


 今までに見たことのないほど温かな笑みに、霞は固まってしまった。自分が何を言おうとしていたのかも忘れて、呆然ぼうぜんと楓の後ろ姿を見送る。

 楓はいつの間にか廊下に控えていた伊吹と合流すると、そのままつぼねを去っていった。


(あの色男いろおとこ……!こんな時にまでやってくれるわね)


 霞は着物の袖で口元をぬぐった。

 軽い口づけを交わしたことに気が付いて、霞は照れくささと悔しさが入り混じった気持ちに襲われる。霞の顔色は普段と変わらなかったが、心臓は激しく脈打っていた。


(宜しくということはこれからもあんな風に恋人の演技を続行するっていうこと?はあ……先が思いやられる……。そんなことに気を取られている場合じゃない。次の一手いってを考えるのよ)


 霞は先ほどの出来事を頭から追いやるように、急いで脳内の盤上に向き合った。



 
















 

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