第18話 残心(4)

かすみ様!大変だ……!」


 翌日、霞のつぼねに飛び込んできたのはかえでだった。けがれをはらうために祈祷きとうしていた霞は呆気あっけに取られて楓を見る。


「何ですか?声もかけることなく局に飛び込むなど……無礼ぶれいきわまりないですよ」


 霞は欠伸あくびを噛み殺しながら楓をにらむ。昨夜は楓の口づけと化け物のまじないのことを考えていて満足に眠ることができなかったのだ。

 そのせいで楓への当たりも自然と強くなる。そんな霞に構うことなく楓は顔を青くさせながら言った。


牡丹ぼたん様が……。牡丹様がお亡くなりになった」

「え……?」


 楓の言葉に霞の眠気ねむけが吹き飛んだ。すぐに化け物に殺されたのではという恐ろしい考えが頭をよぎる。

 御簾みす越しに見えたはかなげな牡丹を思い出し、霞は着物の裾の中で握りこぶしを作った。


「そんな!警護の者がいたのではないですか?」

「それが……病による衰弱死らしい。俺達が会いに行った時もあまり調子が良くなかっただろう?」


 霞は顎下あごしたに手をあて、思考する。


(これも化け物の仕組んだことなの?それとも……本当の自然死?)

きく様は残りの人生を牡丹様の供養くように使いたいと言ってな……。そのまま牡丹様を埋葬する予定の寺で出家しゅっけされるようだ」

「そうですか……」


 違和感をぬぐい去ることができないまま、霞は楓の話を聞いていた。


「これも化け物の仕業しわざなのか?」

「……今の時点では何とも言えませんね」

「失礼します!蔵人頭殿くろうどのとうどの!」


 開け放たれた襖から顔をのぞかせたのは伊吹いぶきだった。そのすぐ後で武官の男性が廊下のかどを曲がっていくのが見えたので伊吹に何かしらせが入ったのだろうと霞は直感する。


何事なにごとだ?」

「警護の者から気になることを耳にしたので是非ともお伝えしたく!」


 伊吹はそのまま霞の局に足を踏み入れると、うしに襖を閉めた。


「今、牡丹様の屋敷は牡丹様と親交の厚い山茶花さざんか様の取りはからいで遺品整理が行われているんですが……。そこに見かけない網代車あじろぐるまが通りがかったらしいのです」


 小声で伊吹が話すのだが、元の声が大きいせいであまり意味を成していない。そんな些細なことを気にしている場合ではなかった。霞は首を傾げながら伊吹に続きを促す。網代車というのは牛車ぎっしゃの一種で、下位の貴族が乗るものだった。上位の貴族たちは唐車からぐるまと呼ばれる立派な造りの牛車に乗る。


「網代車が?」

「強い風が吹き抜けた時、中から少しだけ見えたのが……東宮様によく似たお方だったそうです」

「何?何故、東宮とうぐう様がそんなところに?」


 楓が思わず声を上げる。伊吹の情報に、一つの考えが霞の頭に浮かんだ。

 

「もしや東宮様が……化け物?」

「……な!そんなこと有り得ない!東宮様は帝の血のつながったご兄弟だぞ。何かの見間違いではないのか?」


 霞の呟きに楓が声を荒げる。


「では何故、わざわざ網代車に乗っているのです?九条通くじょうどおりに向かったのも牡丹様の死を確認するためではありませんか?己の目で確認しないことには気が済まなかったのでしょう」

「それは……」


 楓は霞の正論に何も言い返すことができなかった。霞の頭の中で次々と今までの事件が結びついていく。その快感に霞は支配されていた。

 ここにきてようやく霞は遊戯盤ゆうぎばんの対戦相手の顔をみることができたのだ。


『誰と戦っているのか、見極めることが重要だ。戦い方というのはその人物の思考や性格がそのまま出るもの……。相手を知ることが戦い方を知り、己の勝利に繋がるんだ!』


 霞は榊の言葉と弾けるような笑顔を思い出し、心の中でほくそ笑んだ。これでようやくまともに戦うことができるのだと胸躍むねおどらせる。


(相手の顔さえ見えれば此方こちらのもの。必ず自分が有利になる駒の動きをしているはずだから今までの化け物の手を辿たどって行けばいい。そしてこれからの動きもきっと先読みすることができるはず!)


「仮に東宮様が化け物だとしたら……すべてに説明がつくわね。わざと自分に脅迫状を出したのは化け物候補になるのを避けるため。山茶花様を操って牡丹ぼたん様を利用し、白樺しらかば様を動かすことも可能だわ……!伊吹、お手柄ね」


 霞が伊吹の方を向いて心からの讃辞さんじを送ると、伊吹は照れくさそうに頭をいた。


「良かった……。やっと霞の役に立てて。俺、蔵人頭殿ほど賢くないし。ずっと霞の役に立ててるか不安だったんだ」

「何言ってるの。いつも伊吹は立派に勤めを果たしているじゃない」


 霞の言葉に伊吹が眩しい笑顔を浮かべる。霞と伊吹の間に温かな空気が流れ始めると、不機嫌そうな声で楓が意見する。


「何故、東宮様が宮中を混乱におとしめる必要がある?帝と共にまつりごとを行うような温厚なお方だぞ?」

「東宮様こそ帝に相応ふさわしいと言われていたこともあったでしょう?病弱でさえなければ宮中で帝の座を巡って争いが起きていたと話を聞いたことがあります。動機は恐らく帝の治世ちせいへの不満。己に権力集中するために帝の側に居る有力者をはいし、都合のいい人物を配置している……と言ったところでしょうか」

「まあ……すじは通っているか……。度々、『己が丈夫であったのならもっと国の為に働けるのに』とおっしゃっていたからな。心身ともに健康な帝をうらやんでいても不思議ではないが……」


 楓が腕組をしながら霞の推測を聞いて唸った。


野心やしんを表にしないお方ですから、もしかすると己の才を認めなかった宮中への復讐。国崩くにくずしも考えておられるかもしれません……と言ってもまだかくたる証拠はどこにもありませんけどね」


 霞は置きだたみから立ち上がる。その様子に伊吹と楓が目を見張った。


「この仮定が正しいのなら……。牡丹様と山茶花様の間でやり取りされたふみに何か証拠が残されているかもしれません。今一度、屋敷へ向かいましょう!」

「ま……待て、霞様!」


 慌てて楓が声を上げた。霞の行く先を阻むように両手を広げる。


「化け物の正体が分かった以上、軽はずみに動くのは危険だ!九条通くじょうどおり周辺にいたというなら今度こそ罠を仕掛けていてもおかしくない。様子を見て、他の者に探させよう」


 霞は不満そうな表情を浮かべたが、楓の言葉に納得したのか。再びその場に腰を下ろした。


「そうですね……。私としたことが。かたきの顔が見えたと思ったら一気にとどめを刺したくなってしまいました。こういう時程、冷静に行かねばなりませんね」


 着物の裾を口元に当てて優雅に微笑む霞を見て、楓は心に小さなとげが刺さる。霞には物騒なことで笑って欲しくないと思ったのだ。

 伊吹と話している時に見た自然な霞の笑顔を見ていないことに気が付いて、楓は心苦しくなっていた。


「これから東宮様との接触は極力避けつつも気に掛けるようにしてください。まだ人を操るための条件が分かっていませんからね……。それに東宮様ほどの権力者を面と向かって制することは難しいでしょう。新たな策を考えねばなりません」

「……そうだな」


 楓の覇気はきのない返事に霞が首を傾げる。


(楓様。どうかされたのかしら……。化け物の正体が分かってこれからって時になのに)


「よしっ!そうと決まれば蔵人頭殿の護衛をしつつ東宮様の監視にも力を入れるぞ!見ていてくれよ、霞!」


 楓の暗い雰囲気を吹き飛ばすような明るい伊吹の声に霞は無邪気な子供のように笑った。


「伊吹ったら。闇雲に行動するのは駄目だと言ったばかりでしょう」


 霞の瞳には再び炎が宿やどる。


(待ってなさい……化け物。いや、東宮。今まで犠牲になって来た者達に為にも、私がこの手で追い詰め、必ずってみせる)


 楓の視線に気が付かないまま、霞は盤上の先……東宮の姿を見据みすえていた。




 美しい月夜つきよ

 朧気おぼろげに二人の男女の姿を映し出していた。ここは宮中の東対にある建物。東宮がおわす東宮殿とうぐうでんにて、濡れぶちと呼ばれる場所から外の景色を眺めていたようだ。

 そんな美しい光景の中、かすかにすすり泣く声が聞こえてくる。


「まさか牡丹様が亡くなるなんて……。あんなにも才能溢れた可愛らしいお方だがどうして……。私、胸が張り裂けそうです」


 そう言って山茶花が着物の裾で涙を拭った。

 波打つ黒髪、白い肌に、淡い茶色の瞳から流れ落ちる涙……。それらが月明かりに照らされて、神秘的に輝くその様子は見るもの全てをとりこにするような魅力に溢れていた。

 すぐに山茶花の隣から手が伸びてきて、その小さくて美しい手を握る。その人物は当然、山茶花の夫である東宮だった。


「私もつらいよ……。だけど君が泣くのを見るのはもっと辛い。亡くなった牡丹姫もきっとそう思っているよ」


 そう言って山茶花の頬に流れる涙を手を握っていない方の手でぬぐう。

 山茶花は弱々しい笑みを浮かべた。


「そうですね……。人は死の運命から逃れられぬもの……。前を向かなければいけませんね」


 東宮は山茶花の手を握りしめながら月を見上げ、歌をみ上げた。


梓弓あずさゆみ すえは知らねど 君のこと 心かかりて 引くこと忘れ……」


 山茶花は東宮の歌に顔を赤く染めながら、同じように月を見上げる。


「山茶花。そろそろ体が冷えてしまうから戻ろうか」

「はい」


 そう言って、山茶花の手を引く東宮の目は山茶花ではなく、どこか遠くをえているようだった。




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