第15話 残心(1)

「これ以上……犠牲になる者を見たくないんだ」


 かえでの震えた声がかすみの頭上から降ってくる。


(友人を失ったんだもの。弱気になるのも分かるわ……。私だって家族を失った時そうだった)


 楓のじょうほだされるほど霞の決意は弱くない。楓が自分の要求を通そうとする時、色事いろごとを使うのを知っていたので、楓の腕の中にいても思考は冷静だった。


(意外と楓様は責任感の強いお方だから、命の恩人である私を危険な目にわせるのが忍びなくなってきたんでしょう……。だからこんな風にして私を引き留めようとしているのね。本当に、器用なんだか不器用なんだか分からないお方)


 霞はふっと息を吐くと楓の胸元にとんっと右手で作ったこぶしを当てた。


「……勝手に私を犠牲者にしないでください」


 霞の予想以上に力強い声に楓の肩が少しだけ揺れる。


「一戦目は敗北に終わりましたが……。まだ勝負は終わっていません」

「……!」


 楓の驚いたような息遣いが間近に聞こえた。弱まった腕の拘束から抜け出すと、一歩背後に引き下がって楓の表情をとらえる。そこには、仄暗ほのぐらい目をした楓が立っていた。霞の堂々とした姿を目にして戸惑っているようだ。


「私は今できる最良の一手いってを打っていきたいのです。たとえ相手が人でなくとも、命が危なかろうとも関係ありません。必ずや相手を追い詰める一手があるはず……。

どんなに惨めで、悲しく、悔しくても……私は家族の為にその一手を打ち続けます」


 霞の瞳の中に炎が宿る。楓はその炎を見る度に不思議な気持ちになった。

 家族を奪い去ったまわしい炎のはずなのに、霞を生かす炎のようにも見えるからだ。

 その炎が楓の心にも灯されたようで、少しずつ恐れが薄まっていくのが分かった。

 楓は視線を落とすと、くぐもった声で問いただす。


「霞様の気持ちが変わらないのは分かった……。牡丹様の屋敷に罠が仕掛けてあったらどうする気だ?」

「罠があるのは承知の上です。その危険をおかしてでも今は牡丹様に会うべきだと考えました。恐らく化け物と接触しているはずでしょうから……」

「俺の泣き落としも通用しないとは。まったく、頭の固いおかただ……」


 楓が深いため息を吐く。その様子を見た霞は楓が元の調子に戻ったのに安堵あんどした。同時に、楓の言葉にじっとりとした目を向ける。


「泣き落としって……。やはり私に色仕掛けをしていましたか。私には通用しないと学ばれたら如何いかがです?しかも今の私はおのこの姿。男色家だんしょくかと噂されても知りませんよ」

「ふんっ……。誰も見ていないんだから問題ないだろう。それに先ほどのは色仕掛けでもなんでもない!」


 そう言って口元に手を当て、ばつが悪そうに床に視線を落とす。楓の不可解な行動に眉をひそめながらも霞は言葉を続けた。


「私の頭の固さを理解されたのならそこを退いて頂けますか?馬を待たせておりますので」

「俺も行く!」


 楓の言葉に霞がはじかれたように顔を向ける。先ほどの仄暗い雰囲気はどこにもない。その瞳には何かが吹っ切れたような、澄み切った色がともっている。


「相手が人智じんちの越えた何かであっても、白樺のかたきを討ちたい……!」


 恐怖を克服し、戦う覚悟を決めた楓の様子を見て霞は微笑みを浮かべた。


「そういうことなら最初からそう言ってくだされば良かったのです」


 その笑みに楓が釘付けになっていることに霞は気が付かないまま、楓の側を通り過ぎてつぼねを出た。

 内裏だいりたたずむ正面の巨大な門、鳳凰門ほうおうもんからではなく、西の門に準備させた馬に乗る。なるべく人目を避けたかったし、牡丹の屋敷がある九条通くじょうどおりへはこちらの門の方が近かった。

 ノ国の都は霞の好きな盤上遊戯ばんじょうゆうぎのようにマス目が張り巡らされた区画になっており、宮中に近い通りから一条、二条……と番号順に名前が付けられている。宮中から一番遠い通り。それが九条通くじょうどおりだった。

 すぐに馬をもう一頭、準備できなかったので霞の後ろに楓が乗馬すると手綱たづなを握った。

 その姿を伊吹いぶきがぼんやりと眺めていたので、霞が声を上げる。


「何をぼうっとしているの?伊吹は後から私達についてきて!」

「わ……分かった!すぐに向かう!」


 伊吹は霞達の姿に頷くと使用人に声を掛けた。楓は霞から借りた市女笠いちめがさ目深まぶかかぶり、黒い装束しょうぞくを隠すように霞の薄紫色のうちき羽織はおる。

 霞が馬の腹を蹴ると九条通くじょうどおり目がけて駆け出した。




「お前、弓は不得手ふえてなんだな」


 馬に揺られながら楓は白樺のことを思い出す。

 白樺とは大学寮だいがくりょうと呼ばれる、官僚かんりょうを育てる教育機関で出会った。内裏だいりを出て、暫く南に進んだ先、文官の人事をつかさどる機関である式部省しきぶしょうの近くにある大きな施設だ。思い返してみればその時から気さくに話しかけてくる、人懐っこい人物だった。


「何だ。悪いか?」

「いや、逆に安心したよ。何でもできる化け物だと思っていたからな」


 そう言って人好きのする笑みを浮かべた白樺の姿を忘れられない。

 それからお互い文官になってからも会話を交わす仲は続いた。牡丹という恋人ができたという時は大いに盛り上がったものだ。


うわついた噂の多いお前には絶対、会わせないからな!」

「おい!友人の恋人を横取りするほど俺は人でなしではないぞ!」

「牡丹様はな……。九条通りを通り過ぎる俺を垣間見たらしい。そこから文を貰い、恋人になった」

「へえ……」


 既に宮中で化け物の存在を追い始めていた楓は女官達の情報収集に明け暮れ、浮名うきなせていた。友であろうとも裏の役目について話すことはできなかった。

 相手の姿を垣間かいま見てふみを交換し、恋仲になるのはノ国ではよくあることだった。一般的に貴族の女子おなごは表に出て、姿を見せるようなことはない。


「牡丹様はとても賢く、お優しいお方なんだ。後ろ盾がいなことが惜しいぐらいに……。東宮妃様とうぐうひさまからも目をかけられ、入内じゅだいすすめられているところだ。いづれ共に宮中で過ごす日が来るかもしれない。お体が弱いからすぐにとはいかないだろうが……」


 そんな風に幸せそうに話す白樺の穏やかな顔を思い出し、楓は胸が締め付けられる。思わず手綱を握る手が強くなった。


「楓様!手綱を引いては馬の足が遅くなります!」

「あ……ああ。悪い」


 楓は過去から引きずり出されると正面を見据えた。


「白樺様はあの様子からして、何者かにあやつられていたのでしょう」


 同じく正面を見据える霞が、馬を駆けさせる振動で舌を噛まぬよう早口はやくちで言った。


「それは……俺も考えていたことだ。体の自由がかないようだったからな」

「あまり考えたくありませんが何かのじゅつ……まじないのたぐいでしょうか」

「それは分からない……。ただ、白樺と同じく牡丹様も操られている可能性がある。用心するに越したことは無い」

「……はい」


 一時は化け物が手に負えない存在だと知り、恐れを抱いていた。恐れと言っても、化け物に対してや自分が殺されるかもしれないということに恐れていたのではない。

 霞を失うかもしれない恐怖だった。すぐ目の前に座る霞の体温を感じて安心する。

 恐らく、これから化け物は霞の命も狙ってくるはずだ。楓は目の前にいる霞の華奢きゃしゃな背を見て心に誓う。


(これ以上、化け物に霞様を傷つけられてたまるか。宮中も霞様も……俺が守るんだ)


 楓は霞に助けられたあの瞬間から、霞にれている自覚があった。

 色事いろごとにおいて先に惚れた方が負けだと楓は考えていた。そのせいで霞に負けたような気がして、素直に認められずにいる。

 今はただ、化け物を討つ協力者として側に居ることで折り合いをつけていた。


「楓様。あまり、引っ付かないで頂けますか?」


 楓がそんな決意を固めているとも知らず、霞が冷たく言い放つ。


「ああ……すまない」


 楓は少しだけ霞から体を離すと、むっとした表情を浮かべる。


(何だ、この態度は。やはり俺がこの人にれたのは……何かの間違いだったのか?)


 楓は気恥ずかしさを振り払うようにして正面に向き直る。

 牡丹が住まう屋敷はもうすぐそこだ。


 


 


 




 








 

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