第14話 正鵠を射る(3)

白樺しらかば!くそっ。何てことを……」


 床に崩れ落ちていく白樺の元にかすみかえでが駆け寄る。伊吹が刀を仕舞い、白樺に突き刺さった矢を抜こうとした。


「これぐらいの傷なら急いで手当すれば命に支障はないはず!急いで医者に診せれば……」

「無駄よ」


 霞は白樺を見下ろしながら吐き捨てるように言った。


「今までのことを考えると恐らく、矢じりには致死量の毒が塗られているはず……。今夜、楓様を仕留めるつもりだったんだから……」


 霞はぎゅっと唇を噛み締めると、床に倒れ込む白樺の着物をつかんだ。


「教えて!貴方をそそのかしたのは誰なの?話すまで死なせないから!」

「それは……無理だ……が死ぬ」


 白樺の声は途切れ途切れになり、息も荒くなってくる。目の焦点が合わず、苦し気な表情を浮かべていた。予想以上に毒の回りが早い。

 焦った霞は無駄だと分かっていながら声を張り上げた。


「せめて名前だけでも教えなさいよ!私の……私の家族のかたきなの!」

「霞様、止めてくれ。白樺が苦しんでる……」


 楓は後ろから霞の両腕を掴み、自分の元に引き寄せた。何とか白樺から体を引き離す。伊吹は白樺の体を支えながら「大丈夫か?しっかりしろ!」と声を掛け続けていた。


「そんな……。真相に近づける絶好の機会だったのに……化け物のしっぽを掴めるところだったのに!」


 霞は振り返りざま、楓を睨み上げた。その後で思わず息を止める。

 楓の整った顔つきが悔しさと悲しさに染まっていたからだ。霞の体を引きめている手がかすかに震えているのに気が付く。

 霞はそこで初めて白樺が楓にとって大切な友であったことを思い出した。


「もしかして白樺を疑ってるのか?」


 白樺のことを聞きだした時、楓はそう言って顔をくもらせていた。

それほど白樺のことを信頼していたのだろう。それが裏切られた上に、霞に強く追及されている姿を目にして傷つかないはずがない。

 霞は人の心をおもんばかることのできなかった己の行動を恥じる。


「……ごめんなさい」


 霞が力なく謝ると、楓は霞を押さえていた手を離す。


「か……えで」


 白樺が途切れ途切れに楓の名を呼ぶ。楓は白樺の側に近づいて最期の言葉を聞き取ろうとする。


「わるか……ったな」


 そう言って白樺がうめき声を上げた後、動きを止める。楓は白樺の言葉を聞いて、一瞬目を見開くとそのまま顔を伏せた。

 

「おいっ!しっかりしろ!おい!」


 伊吹が白樺の体をすったが、その目が再び開くことは無かった。霞は最悪な光景を目の前にし、唇を噛み締めていた。


(化け物を追い詰めたつもりだったのにいつの間にか追い詰められてたなんて……!私はまた……助けられなかった)


 霞は宮中に潜む化け物が想像以上の手強てごわさ、得体えたいの知れなさに初めて恐怖をいだく。いつもなら敵の大きな駒を前にして胸躍らせる霞だったが、今はそんな気持ちになれなかった。


『一番注意しなければならないのは「勝った」と思った時だ。その時が一番油断していて思わぬ一手いってに対応できなくなる』


 そんなさかきの言葉が聞こえたような気がして、霞は亡き父に怒られた心地になった。


(私、負けたのね。『化け物』に……)


 強く唇を噛み締めていたせいで口内を切ったのだろう。

 敗北はいぼくは苦い血の味がした。





「神聖な紫星殿しせいでんけがれがあったらしいわよ」

「何でも弓将ゆみのしょう様がご自害なされたとか……」

「陰陽師たちが日々おはらいをしているらしいけど。嫌ね……気味が悪い」



 翌日、早速女房達が白樺の死について噂していた。

 人の死に関わった者は、死のけがれをはらうために謹慎きんしんしなければならない。

 ノ国の宮中では死や血などを汚らわしい物だと考えていた。そのため死者と対面した者は穢れを落とすために部屋に籠り、神仏に祈りを捧げて過ごさなければならないという習わしがある。穢れがうつると考えられ、人との交流もはばかられた。

 こうして霞達は十四日ほど暇を言い渡されたのだ。

 宮中での混乱を避けるため、白樺が楓を殺そうとしていたことはおおやけにされていない。昨夜のこと次第しだいは楓が帝に伝えたはずだ。

 霞の気持ちは焦っていた。部屋に籠っている時間などない。

 ふくすための黒いうちきは床に捨てられ、野行幸のぎょうこうの時に身に着けていた狩衣かりぎぬ姿をしている。


(早く、早く牡丹ぼたん様に会わねば!次の一手いってのために……!)


 文机ふづくえに並べられた、菖蒲あやめからの励ましのふみにも目をくれず出かける準備を整えていた。

 白樺が息を引き取った後、霞はその後の足取りをよく覚えていない。医者や他の人を呼び、紫星殿しせいでんが騒然とした記憶はある。

 覚束おぼつかない足で自分の局に戻り、そのまま現実からのがれるように眠りにいたのだ。


(とてもじゃないけど……。楓様にはお伝えできないわね。きっと親友を失った悲しみに暮れているはず)


 霞は昨夜の楓の沈んだ顔を思い出し、少しだけ気分が重くなった。霞は頭を左右に振ると己の両頬を叩いて気持ちを奮い立たせる。


(気持ちを割り切らないと、化け物となんて戦えないわ。私一人だって……情報収集ぐらい容易たやすいことよ。今までだって一人でやってきたじゃない)


 霞のつぼねの襖がすらりと開く。馬の準備をさせていた使用人だと思った霞は床に捨てた黒い小袿こうちきを拾い上げながら文句を言った。


「ちょっと、開ける前に声ぐらい掛け……」


 霞は顔を上げて驚いた。

 目の前にいたのは黒い装束に身を包んだ楓だったのだ。伏せがちな目とうれいを帯びた表情に右目についている泣きぼくろがより一層、魅力を引き立たせる。

 不思議な色気を漂わせている楓は女官にょかん達が見れば大盛り上がりするほどの美しさだったが、霞にとっては心苦しいものだった。目の下にうっすらとクマが見えて昨夜は眠れなかったことが分かる。

 白樺のことがあるので霞はできれば顔をあわせたくなかった。楓が後ろ手に閉めた襖の隙間から伊吹の姿が一瞬だけ見える。まだ楓の命が狙われている可能性があるので伊吹の警護は続けられているのだろう。


「牡丹様のところへ向かうつもりか?」


 霞は自分の行動が読まれていたことと楓の普段よりも低い声に驚いた。表向きの柔らかい雰囲気でもなく、霞達だけに見せる砕けた雰囲気とも違う。霞は楓の威圧感に負けじと言葉を続けた。


「そのつもりですが……。白樺様が亡くなった今、化け物の素性すじょうを知る牡丹様の身も危険だと考えました。お話が聞けるうちにお会いしなければ……」

「駄目だ。行かせられない」


 楓の鋭い視線に霞の目が大きく見開かれる。


「何故です?一刻いっこくも早く牡丹様にお会いせねば……」

「今動くのは危険だからだ」

「それは……承知の上です。分かったらそこを退いて……」


 襖の前に立ちふさがる楓に霞は手を払う仕草しぐさをするが楓が動く気配はない。


「昨夜のことで分かったはずだ。俺達は……人智じんちを越えた何か……本物のを相手にしてる。だから、霞様には化け物探しを諦めて頂きたいのです」

「な……!何をおっしゃっているのですか……」

「昨夜のことで化け物も霞様の正体に気が付いたはずです。警護の者をお付けしますのでどうか、今後化け物のことは私にお任せください」


 楓の他人行儀な口調に霞は震えた。相手と距離を置こうとする時に出る楓の癖だ。


(今回私が負けたから役立たず判定されたのね……。それに、弱っている白樺様への横暴な態度……。想像はしていたけど見限みかぎられるのも当然ね)


 霞はふっと小さく息をく。だが、楓に協力関係を打ち切られて諦めるような霞ではなかった。それほどまでに霞の復讐の炎は強い。


「……分かりました。協力関係を解消するのは構いません。ですが、家族の仇討ちは私の悲願。一人でもやり遂げるつもりです」


 霞は強く言い放つと、廊下へ向かうために楓の側を横切ろうとした。その時だった。霞の視界が真っ黒になり、温かな何かに包まれる。


(何……?)


 霞は一瞬、何が起きたのか分からなかった。遅れて自分が楓に抱きしめられるようにして行く先をはばまれているのに気が付く。


「行かせない」


 楓の掠れ声が頭上から降って来る。それと同時に霞の背中に回された腕に力が入り楓の胸元に押し付けられた。そのせいで視界はずっと楓の装束しょうぞくの色、黒色になる。


(一体何のつもり?)


 霞は何とか顔を動かし、楓の表情を読み取ろうとするが楓の腕に締め付けられて見えない。少し腕を強く押したりしてみるのだがびくともしなかった。


(……どうしたものかしら)


 霞はこの腕から逃れるすべを思考しながら暫く居心地悪そうに楓の腕の中に収まっていた。


 











 




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