第13話 正鵠を射る(2)

 月が明るい夜。

 一人、弓場ゆばにて弓矢を構える人物をはっきりと映し出していた。月の光に照らされて、普段と違った美しさを醸し出している人物は……かえでだ。

 まとに集中する後ろ姿は無防備で、確実に仕留しとめることができる。

 射手いては無意識に口元に笑みをたたえた。獲物を射程距離に定めた鷹のような、高揚こうようした気持ちになる。キリキリとげんを引き絞り、楓の背に矢が突き刺さる映像を頭に思い浮かべる。そのまま射手が手を離そうとした時だった。

 突然正面のふすまが閉じられ、捉えた獲物、楓の姿が見えなくなる。


「そこまでです……白樺しらかば様」


 襖を閉め、部屋の内側に入って来たのは女房だった。小型の高坏灯台たかつきとうだいを手に現れたのは……。


かすみ……様?」


 楓を狙っていた射手……白樺は思わぬ相手に目を見開く。退路を確認するために後ろを振り返るが、そこには刀のつかに手をかけた伊吹いぶきの姿があった。

 白樺はゆっくりと弓矢を下ろすと、ため息をく。


「狙うのならここ、紫星殿しせいでんだと思っていたのです。行事以外に使われないし、何より弓場の背後にある……。絶好の狩場かりばですものね」


 霞は高坏灯台を床におろすと、着物の裾を口元に当て優雅に微笑んだ。霞に恐怖感などない。ただ敵を追い詰めた高揚感で満たされていた。

 楓をおとりにし、射手いておびき寄せる。それが霞の考えた策だった。


野行幸のぎょうこうで楓様を射抜こうとしたのは貴方ですね?」

「さあ?私はただ、ここからでも的を射られるのか、試してみたかっただけですよ。そもそも証拠はあるのですか?」


 白樺は無茶苦茶な言い訳を冷静に言ってのけた。


(呆れた……往生際おうじょうぎわの悪いお方。だけど変ね。少しもくせが見えない……)


 霞は白樺の小さな異変に気が付く。確信を突かれた者は無意識に体が反応してしまうはずなのだ。ある者は額に汗を掻き、ある者は髪の毛をいじるというように、意識とは関係なくその人物に特有の行動を取ってしまう。

 その癖を見極めるのも霞が得意とすることだったのだが、白樺からはそれらが一切読み取れない。昼間とは異なる人物像に首を傾げた。

 

(かなり心が鍛えられているということなのかしら?でも今はそんな小さなことに構っている場合じゃないわ)


 霞は卑怯ひきょうな言い訳に対抗するように、自らが導き出した答えを語り出した。


「証拠だらけですよ。まず、野行幸のぎょうこうの時に射られた矢。これが貴方のものでしたから」


 そう言って白樺の背後にいる伊吹に視線をやる。伊吹が霞の視線に大きく頷くと、背負っていた矢筒やづつから霞を射抜いた矢を取り出した。


「射られたということは……。あの時、楓の前にでた小柄な男は霞様だったのですね」


 白樺は少しも驚くことなく呟いた。まるであの時、合点がってんのいかなかったことを確認するように。霞はそんな白樺を奇妙に思いながら話を続けた。


「ええ、その通り。

矢というのは一人一人に合わせて作られるもの……つまりは個性があるのです。弓矢に通ずるものなら必ず己が射やすいように調整しているはず。昼間、貴方の矢を調べたらその矢と同じだったのです」

「なるほど……。あの時腕を並べたのは矢の長さをはかるためですか。矢は射手の腕の長さに合わせて作られていますからね。わざと弓矢道具に触れたのもその矢と照合するためだった」


 遠くを見据えた白樺の言葉に霞は頷いて見せた。


「森の中で、しかも馬に乗ったまま射抜くとなればかなり弓の腕が立つお方でなければならないでしょう……。更に矢の長さから背の高いお方だということも分かりました。すぐに私の中で弓矢上手の白樺様と枇杷びわ様が犯人の候補に挙がりました。

枇杷様は弓矢道具に頓着しないお方だったので白樺様に白羽の矢が立ったというわけです」


 霞がとどめを刺すように、白樺に鋭い視線を向ける。それを見た白樺はふっと小さく息をこぼした。


「霞様。どうやら貴方のことを甘く見ていたようです。貴方は……想像以上のお方だ」


 人を評価するような態度に霞は違和感を覚えながらも白樺の出方でかたを伺うために黙り込んだ。


「お前が蔵人頭殿くろうどのとうどのを射抜こうとしていたのを我らがの当たりにしてる!素直に罪を認めるんだな!」


 背後で伊吹が声を上げた。しかし白樺は顔を俯かせたまま何の反応も見せない。しびれを切らした伊吹が白樺を拘束しようと一歩足を踏み出したが、霞は首を横に振ってそれをせいした。

 そして白樺に一歩、二歩と長袴ながばかまを引きずって近づくと究極の一手いってを打つ。


「貴方は楓様と友だと聞きました。そんなお方が楓様に弓矢を向けるなど余程の事情があったのでしょう?例えば……牡丹ぼたん様のこととか」


 その名を聞いた白樺の肩が大きく揺れた。

 霞は白樺の反応を見て、良い位置に駒を置くことができたと思い、内心にやりと笑う。白樺と枇杷について前もって情報を集めていた。その中でもやはり重要になってくるのは人間関係であり、男女関係であると霞は結論付けていた。


「楓様から伺いました。牡丹様という恋人のこと。体が弱くて都の外れの屋敷にいらっしゃると。ここからは何の証拠もない、私の推測ですが……。白樺様は宮中に潜む何者か……『化け物』に牡丹様のことでおどされていたのではありませんか?」


 白樺は勢いよく顔を上げると、霞の方を見た。霞はその顔を見て目を丸くする。


(泣いてる……?)


 先ほどまで顔色一つ変えなかった白樺が感情をあらわにする。その変わりように驚きを隠せなかった。

 白樺が泣きながら霞に向かって叫んだ。


「牡丹……!牡丹だけは助けてくれ!頼む!」

「どういうことですか?詳しくお話しください!必ずや牡丹様をお救いしてみせますから!」


 霞も必死になって白樺の腕を掴み、強く揺さぶった。いつもなら様子を伺いながら相手に心地よい言葉を並べるのに、今はそんなことを考える時間すらしい。


(白樺様は『化け物』に脅されているはず……!家族のかたきせまる絶好の機会!絶対にのがすわけにはいかない……!)


 霞の思いとは裏腹に白樺は右手にしていた矢を振りかざしてきたのだ。


「……っ!」


 霞はそのまま後ろに尻もちをついてしまう。

 白樺のことを見上げると、振りかざした右手を止めようと自身の左手で押さえようとしていた。霞は奇妙な光景に息をんだ。


(もしかして……白樺様は自分の意思と反して動いているの……?)

「霞!」


 伊吹の声と共に、霞の背後にあった襖が開いた。月明かりが差し込むと同時に飛び込んできたのは楓だ。そのまま尻もちをついた霞の前に立ち塞がる。

 月明かりに照らされた楓は月の使いのように神秘的な美しさを纏っていた。思わず見惚みとれてしまった自分が悔しくて、霞は不機嫌そうに呟く。


「楓様。安全確認が取れるまで控えているようにお伝えしたはずですが……」


 おとり役を終えても、楓は白樺をらえるまで紫星殿に立ち入らないよう事前に取り決めていたのだ。


「助けに来たというのに何という物言いだ。白樺が化け物に通じる者だとは信じたくなかったが……。こうなっては信じざるを得ないな」


 楓が苦しそうに言うと白樺を正面から見つめた。


「白樺、お前をそんな風にきつけたのは誰だ?俺達が成敗せいばいしてやるから……言ってみろ!」


 白樺の背後では伊吹が太刀たちを抜き、剣先を白樺の目線に合わせて構えていた。白樺は矢を下ろすと、涙を流したまま絶望した表情を浮かべる。


「話せない……支配され……てる。もう俺は駄目なんだ……」


 うわ言のように訳の分からないことを呟く白樺の様子を見て、霞は初めて恐怖を感じた。それは目の前で説明できない何かが起こっていることへの恐怖だった。

 今まで順調に駒を進めていたはずなのに……。いつの間にか自分が劣勢になっていることに気が付く。それも今までに見たことない駒の動きで追い詰められている。

 霞はただ白樺を凝視ぎょうしすることしかできなかった。


(一体何が起きてるの……?)


 次の瞬間、白樺が矢を振り上げるのを見て霞は恐怖で固まっていた思考が動きだした。


「伊吹!止めて!」


 背後で伊吹が動いた時にはもう遅かった。

 白樺は己の腹に矢じりを突き刺したのだ。



 







 


 


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