第13話 正鵠を射る(2)
月が明るい夜。
一人、
突然正面の
「そこまでです……
襖を閉め、部屋の内側に入って来たのは女房だった。小型の
「
楓を狙っていた射手……白樺は思わぬ相手に目を見開く。退路を確認するために後ろを振り返るが、そこには刀の
白樺はゆっくりと弓矢を下ろすと、ため息を
「狙うのならここ、
霞は高坏灯台を床におろすと、着物の裾を口元に当て優雅に微笑んだ。霞に恐怖感などない。ただ敵を追い詰めた高揚感で満たされていた。
楓を
「
「さあ?私はただ、ここからでも的を射られるのか、試してみたかっただけですよ。そもそも証拠はあるのですか?」
白樺は無茶苦茶な言い訳を冷静に言ってのけた。
(呆れた……
霞は白樺の小さな異変に気が付く。確信を突かれた者は無意識に体が反応してしまうはずなのだ。ある者は額に汗を掻き、ある者は髪の毛を
その癖を見極めるのも霞が得意とすることだったのだが、白樺からはそれらが一切読み取れない。昼間とは異なる人物像に首を傾げた。
(かなり心が鍛えられているということなのかしら?でも今はそんな小さなことに構っている場合じゃないわ)
霞は
「証拠だらけですよ。まず、
そう言って白樺の背後にいる伊吹に視線をやる。伊吹が霞の視線に大きく頷くと、背負っていた
「射られたということは……。あの時、楓の前にでた小柄な男は霞様だったのですね」
白樺は少しも驚くことなく呟いた。まるであの時、
「ええ、その通り。
矢というのは一人一人に合わせて作られるもの……つまりは個性があるのです。弓矢に通ずるものなら必ず己が射やすいように調整しているはず。昼間、貴方の矢を調べたらその矢と同じだったのです」
「なるほど……。あの時腕を並べたのは矢の長さを
遠くを見据えた白樺の言葉に霞は頷いて見せた。
「森の中で、しかも馬に乗ったまま射抜くとなればかなり弓の腕が立つお方でなければならないでしょう……。更に矢の長さから背の高いお方だということも分かりました。すぐに私の中で弓矢上手の白樺様と
枇杷様は弓矢道具に頓着しないお方だったので白樺様に白羽の矢が立ったというわけです」
霞が
「霞様。どうやら貴方のことを甘く見ていたようです。貴方は……想像以上のお方だ」
人を評価するような態度に霞は違和感を覚えながらも白樺の
「お前が
背後で伊吹が声を上げた。しかし白樺は顔を俯かせたまま何の反応も見せない。しびれを切らした伊吹が白樺を拘束しようと一歩足を踏み出したが、霞は首を横に振ってそれを
そして白樺に一歩、二歩と
「貴方は楓様と友だと聞きました。そんなお方が楓様に弓矢を向けるなど余程の事情があったのでしょう?例えば……
その名を聞いた白樺の肩が大きく揺れた。
霞は白樺の反応を見て、良い位置に駒を置くことができたと思い、内心にやりと笑う。白樺と枇杷について前もって情報を集めていた。その中でもやはり重要になってくるのは人間関係であり、男女関係であると霞は結論付けていた。
「楓様から伺いました。牡丹様という恋人のこと。体が弱くて都の外れの屋敷にいらっしゃると。ここからは何の証拠もない、私の推測ですが……。白樺様は宮中に潜む何者か……『化け物』に牡丹様のことで
白樺は勢いよく顔を上げると、霞の方を見た。霞はその顔を見て目を丸くする。
(泣いてる……?)
先ほどまで顔色一つ変えなかった白樺が感情を
白樺が泣きながら霞に向かって叫んだ。
「牡丹……!牡丹だけは助けてくれ!頼む!」
「どういうことですか?詳しくお話しください!必ずや牡丹様をお救いしてみせますから!」
霞も必死になって白樺の腕を掴み、強く揺さぶった。いつもなら様子を伺いながら相手に心地よい言葉を並べるのに、今はそんなことを考える時間すら
(白樺様は『化け物』に脅されているはず……!家族の
霞の思いとは裏腹に白樺は右手にしていた矢を振りかざしてきたのだ。
「……っ!」
霞はそのまま後ろに尻もちをついてしまう。
白樺のことを見上げると、振りかざした右手を止めようと自身の左手で押さえようとしていた。霞は奇妙な光景に息を
(もしかして……白樺様は自分の意思と反して動いているの……?)
「霞!」
伊吹の声と共に、霞の背後にあった襖が開いた。月明かりが差し込むと同時に飛び込んできたのは楓だ。そのまま尻もちをついた霞の前に立ち塞がる。
月明かりに照らされた楓は月の使いのように神秘的な美しさを纏っていた。思わず
「楓様。安全確認が取れるまで控えているようにお伝えしたはずですが……」
「助けに来たというのに何という物言いだ。白樺が化け物に通じる者だとは信じたくなかったが……。こうなっては信じざるを得ないな」
楓が苦しそうに言うと白樺を正面から見つめた。
「白樺、お前をそんな風に
白樺の背後では伊吹が
「話せない……支配され……てる。もう俺は駄目なんだ……」
うわ言のように訳の分からないことを呟く白樺の様子を見て、霞は初めて恐怖を感じた。それは目の前で説明できない何かが起こっていることへの恐怖だった。
今まで順調に駒を進めていたはずなのに……。いつの間にか自分が劣勢になっていることに気が付く。それも今までに見たことない駒の動きで追い詰められている。
霞はただ白樺を
(一体何が起きてるの……?)
次の瞬間、白樺が矢を振り上げるのを見て霞は恐怖で固まっていた思考が動きだした。
「伊吹!止めて!」
背後で伊吹が動いた時にはもう遅かった。
白樺は己の腹に矢じりを突き刺したのだ。
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