第8話 白羽の矢(1)

「痛っ……」


 かすみは右肩を押さえながらくぐもった声を出した。

 その様子を見たかえでが慌てて腕の拘束を解くと霞から距離を取る。


「……っすまない。傷にさわったか?」


 霞はその隙を狙って背後に下がり、楓との距離を取る。そして立ち上がると楓を見下ろして深いため息を吐いた。

 楓は予期せぬ霞の反応に瞬きを繰り返す。霞は額に手を当てて、何も理解していない楓に呆れかえった。


「まったく……いつまで寝ぼけておられるのですか!早くつぼねから出て行ってもらわねば……楓様と私の関係をおおやけにするわけにはいかないんですから!」

「痛いと言ったのは……芝居しばいだったのか?」


 楓がじっとりとした目つきで霞を見る。霞は腕組をしながら負けじと言い返した。


「何ですか?その目は……。半分はまことですから芝居しばいではありません。寝ぼけてどこぞの姫君ひめぎみの代わりになった私の身にもなってくださいよ……」


 霞は楓が他の姫君と勘違いして自分に抱きついて来たのだと考えた。誰か人が来るかもしれないのに寝ぼけている場合ではないのだ。

 寝起きでも発揮される楓の色男いろおとこぶりに飽き飽きしていた。


「別に寝ぼけていたわけでは……」


 楓が何か言いかけた時だった。


「霞!霞は大丈夫なの?」


 襖越しに慌てた菖蒲あやめの声が聞こえてきて霞は額に汗を浮かべる。


「菖蒲様がいらっしゃったわ。分かったのなら裏から早く出て……」


 霞が指さした方角と逆に楓が襖に真っすぐ向かって行く。予期せぬ行動に霞は呆気に取られて立ちすくむ。

 止める間もなく、襖を開けられて霞は心の中で悲鳴を上げた。


(な……なんてことしてくれるの!!!)


「菖蒲様。お早うございます」


 楓の爽やかな笑みを見て、菖蒲の後ろに付いて来た女房達が顔を赤くしながら歓声を上げる。


「楓様?」

「何故こんなところに?」


 そして興味津々で霞のつぼねに顔を覗き込ませた。その様子を見て霞は頭を抱え、大きなため息を吐く。


(言ってる側から……面倒なことになってるじゃない)

 

「ちょっと!あまり騒がしくしないで。

お早う、楓様。体調を崩して倒れた霞の側に付いていてくれたこと……改めて礼を言います」


 そう言って菖蒲は女房達を制すると丁寧に頭を下げる。霞は自分のことを心配する菖蒲のことを意外に思った。


(ただの世話役をここまで心配するなんて……。どこまでもお人好しなのね)


 呆れながらも霞は二人の会話から自分が倒れてからの経緯を推測する。


(どうやら私は体調不良で倒れたことになっていて……その介抱かいほうを申し出たのが楓様で菖蒲様はそのことを知っているみたいね)


「いえ。であれば当然のことですよ。今朝、目を覚ましたのです。霞、此方へ来て菖蒲様に元気な顔を見せてやってくれ」


 そう言って楓が振り返って霞に手を差し伸ばす。その瞳は甘くて柔らげで……まるでいとしい者でも目の前にしているかのようだ。いつもと異なる名前の呼び方と態度に、鳥肌が立つ。


(私に恋人の芝居をしろっていうのね……)


 心なしか楓が生き生きとしているように見えて霞は恨めしく思った。

 だが、ここで動揺する霞ではなかった。すぐに頭を切り替えると笑みを浮かべて楓の横に並ぶ。


「……菖蒲様。ご迷惑おかけしました。楓様の看病のお陰もあって私はこの通り、大丈夫です」

「良かった……!私、ずっと心配してたのよ……」


 菖蒲が霞の両手を優しく包み込んで言った。伏せた瞳は潤んでいて今にも泣きだしそうだ。菖蒲の手はとても温かかった。


「でも、楓様と恋仲だというのなら早く教えてくれれば良かったのに!」

「ふふふ……それは、その……申し訳ございません」


 霞は楓との関係を笑って誤魔化す。まさか「両親のかたきをとるためだけに行動を共にしています」とは言えなかった。そんなことをしたら目的のために菖蒲を利用していたことが明らかになってしまう。


「でも安心したわ……。火傷やけどがあろうと関係ない。霞が素敵な女子おなごだっていうことに気が付いてくれる殿方が絶対いると思ってたんだから!」


 そう言って無邪気に笑う菖蒲を見て、少しだけ良心が痛んだ。


「このように霞もまだ病みあがり。どうか……本日のおつとめは休ませて頂けないでしょうか。私からもお願いします」


 わざとらしく楓が霞の肩を引き寄せた。その様子を見て、更に女房達が色めき立つ。霞は口元にそでを当てて作り笑いを浮かべた。


(いつも以上に演技が上手い……楓様、調子に乗ってるわね)


「それはそうね。霞、今日はゆっくりと休んで」

「……ありがとうございます」


 霞は頭を下げると、楓と共に菖蒲達を見送った。


「……やってくれましたね!」

「何がだ?」


 襖を背にしながら霞は目の前にいる楓を睨み上げた。


「これで駒の進め方がくるったではありませんか!どうしてくれるんです?」


 楓はいつもの打ち解けた雰囲気に戻る。


「まあそう怒るな!恋人同士の方が動きやすいじゃないか。変装などせず、堂々と情報交換ができる」

「……それは貴方だけでしょう!こちらにも策というものがあってですね……。まあ、いいわ。こうなったら『楓様が通われる姫君達の中でたまにしか通ってもらえぬおこぼれの女』という役でやらせて頂きます」

「何だよその設定は!」


 楓の突っ込みを聞きながら、霞は布団代わりにしていたうちきを羽織ると布団の上に正座した。


「私が倒れた後のことを伺いましょうか」


 その様子を見て楓は驚いた様子だったが、すぐに布団から少し離れた場所に腰を落とし、霞と向かい合った。


「そうだったな……。倒れた後、すぐに俺は霞様を輿こしに運んだ。

他の者達には『霞様が体調を崩され、倒れたので急いで宮中に戻る』と説明した。化け物の正体が分からない以上、事を荒立たせる訳には行かないし、弓矢に射られたと騒ぎになれば霞様も困るだろう?」

「……」


 男装した上に馬まで乗って弓矢を放った女房にょうぼうがいるなんて噂になったら、霞は宮中で悪目立わるめだちしてしまうだろう。化け物の目に留まってしまったらそれこそ危険だ。

 悔しいが楓の判断は正しかったという考えに思い至る。


「狩場に同行していた医者に手当てあてを頼んだんだ。人目がつかぬよう、輿の中でな。そのまま俺も同乗し宮中に戻った。

帝にだけは事実をお伝えし、『吉凶きっきょうが変わった』と適当に理由をつけ、鷹狩を中止させてもらったんだ」

「まさか、私を着替えさせたのは……楓様?」


 霞は冷え冷えとした視線で楓を見下ろす。楓はそんな霞の様子を見て楽しそうに答えた。


「まあな。こういうことには慣れているから安心してくれ」

「冗談は置いておいて……。お世話になったのは事実です。手当てあても含め世話をして頂いたこと、改めてお礼を言わせてください。……ありがとうございました」

「いや、気にするな」


 想像と違った霞の反応に楓が目を見開くが、すぐに視線をうつむかせる。腕組をしながらぶっきらぼうに答えた。


「礼を言うのはこちらの方だ。命を救われたんだからな……」


 その様子に霞は少しだけ楓に年下の可愛げを感じる。姫君を口説くどくのは造作ぞうさないがれいを言うのは得意でないらしい。美青年の横顔に少年の面影おもかげを見たような気がして霞は小さく笑った。


「へえ……貴方も素直に礼など言えるのですね……」

「どういうことだ!それより、何故俺が狙われていると分かった?」

「そんなのは容易たやすいことです。と言っても気が付くのに遅れてしまいましたが……。厳重な警護を見た瞬間、東宮とうぐう様を狙うこと自体あり得ないと思ったのです。脅迫状を出してわざわざ皇族方の警備を厳重にさせる理由が分かりません。だとしたら狙いは他にあると考えました」

「なるほど。俺も帝に気にいられた役人の一人だからな……」


 霞の瞳に炎が揺らめく。


「化け物に一本取られてしまいましたが、もしかすると取り返せるかもしれません。いや、それどころか化け物に一歩近づける絶好の機会です」

「どういうことだ?」


 楓が首を傾げているのを見て、霞は笑みを浮かべた。


「私を射抜いた矢はどこに?」





 


 






 







 

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