第9話 白羽の矢(2)

「倒れる直前、かすみ様が手にしていた矢か。それなら毒を洗い流して此方こちらに」


 そう言ってつぼねすみに置かれた漆塗うるしぬりのひつを取り出した。その中に仕舞しまわれていた矢を霞に手渡す。


「ありがとうございます」

「それだけで射手いての正体、化け物の正体が分かるのか?」

「はい。……すぐに化け物をあぶり出して見せましょう」


 霞の口元がほころぶのが見えて、楓は深いため息を吐いた。その眼にはまたしても炎が宿やどっている。


「またそんな物騒なことを言って……。まずはしっかり養生ようじょうするんだ。化け物の痕跡を追うのはその後だ」

「そんな悠長ゆうちょうなことを言っている場合ですか?楓様は命を狙われているのですよ?それに私はかたきと接触できる絶好の機会。逃すわけにはいきません」


 そう言って矢を片手に立ち上がると、文机ふづくえに積まれた紙や巻物を漁り始めた。その様子を見て座していた楓は慌てて霞を止めようとした。


「待て、待て!俺も自分の身ぐらい自分で守れる!帝にお話しして護衛を付けてもらったんだ。あまり数多く付けると怪しまれるからな。腕の良い近衛府このえふの者を一人、引き抜いた。だから……」

「楓様の安全は確保されたのですね。それは……安心いたしました。楓様は化け物をおびき出す大切なこ……存在ですから」


 霞はふわっとした微笑みを浮かべるが楓は言いかけた言葉を聞き逃さなかった。


「今俺のことを『こま』と言いかけただろう!」

「まあ、そんな風に聞こえましたか?これは失礼致しました……。これから私は矢の持ち主について調べを進めさせて頂きますので楓様はお引き取りを」


 楓に背を向け作業を始めようとする霞を見て、楓は大きなため息を吐いた。


「まったく……本当に聞く耳を持たないんだな……」


 霞はそのまま楓が立ち去るものだと思っていたのだが……。


「こちらは私がお預かりします」


 楓は霞の背後から流れるように矢を奪い取ってしまう。


「あ……」


 霞が文句を言おうと振り返るとすぐ側に楓がいて、口まで出かかっていた文句が止まってしまう。霞を見下ろす顔が柔らかく、思いの他近くに感じた。烏帽子えぼしに取り付けた藤の飾り物が揺れて、霞は思わずそちらに視線を奪われてしまう。

 楓はその一瞬の隙を逃さなかった。

 帯に矢を差し入れるとそのまま楓の腰を支え、膝裏ひざうらに腕を差し入れ霞を横抱きにする。


「わっ!」


 霞は思わず声を上げた。持ち上げた反動で肩に掛けていたうちきが床に落ちる。そのまま先ほどまで眠っていた布団に運ばれてしまう。

 

「しばらく安静にしていてください……。そうでないと私の心が休まりません」


 抱えあげられ、落ちてしまわぬように楓の為されるがままになっていた霞は楓の甘い言葉にため息を吐いた。憂いに満ちた表情はすぐに女性の心を捉えることができるだろう。楓の本性ほんしょうを知っている霞でさえ息を呑むほどの美しさだった。


流石さすがは宮中一の色男いろおとこね。何という手際てぎわの良さ……)


 布団の上に足をのばして座った霞は腕組をして恨めしそうに楓を見た。見惚みとれていた自分を認めたくなくて思わず強がりを言う。


「残念ながら貴方の心が休まることはないでしょうね。私は貴方の駒じゃない。私は私自身の駒……だからこれは返してもらうわ」


 そう言って楓の正面から帯に差した矢に手を伸ばそうとするので楓が舌打ちをした。


「本当に面倒な女子おなごだな!」


 そのまま霞の両腕をつかむと床に押し付けてしまう。二人の睨みあいが続く。それでも霞は矢を諦めていないようで楓の腕を押しのけようと力を入れている。楓も矢に触れさせまいと必死だ。


清廉せいれんさが売りの楓様がこんな手荒てあら真似まねをして大丈夫なんですか?」

うるさいな……。それ以上、矢に触れようものなら、その口を塞ぐぞ」

「なんという卑劣ひれつな手を……!だったら私も手加減はしません」


 霞は息を吸うと声を上げた。


「誰か!誰かいませんか!」

「おいっ!こんな状態で人を呼ぶな……!」


 楓が慌てて霞の口に手をやった時には遅かった。局の襖がすらりと開かれる。


何事なにごとですか?」


 聞き覚えのある、低くはっきりとした大きな声。その姿を見て霞は目を見開いた。

 局に飛び込んできた若者の武官に見覚えがあった。


伊吹いぶき……?」


 赤い狩衣かりぎぬに身を包んだ体格のいい武官……伊吹は目を丸くして霞を見ていた。その人物は紛れもなく、霞の親戚で幼い頃、幼い頃屋敷で共に生活していた伊吹だったのだ。

 最後に顔を合わせたあの、宴の席の時よりも成長したくましく見えた。ただ、あの意志の強そうな黒目がちな瞳だけは変わらない。


「霞……!」


 霞に覆いかぶさっている楓を見て、伊吹の瞳は怒りの色に染まった。ただならぬ殺気が部屋中に充満する。

 腰に差した刀のつかに手をかけると聞いた者が震えるような低い声で言い放った。


「まさか……蔵人頭くろうどのとう殿がこのようなお方だとは思わなかった……。女性を無理やり組み敷くとは……。霞から離れろ!」

「待て!これは違うんだ。その……事故というか」


 楓が霞から離れると、伊吹の前で両手を前にする。今にも刀を引き抜きそうな勢いに霞は上体を起こすと冷静に語り掛けた。


「伊吹。私は何もされてないし大丈夫だから。刀を仕舞いなさい」


 霞の落ち着いた声に伊吹は殺気を消すと、刀の柄から手を離す。


「霞がそう言うなら……。これはどういうことか説明して頂きましょうか。蔵人頭殿」

「私も……。何故伊吹がこんな所にいるのか知りたいです」


 二人の鋭い目つきに気圧けおされながらも楓は恐る恐る頷いた。


 


 霞は布団を膝に掛け、袿を肩に羽織り直してから正面に二人が座る姿をとらえた。霞は改めて奇妙きみょうな顔ぶれだと思った。

 楓は矢を巡って霞ともみくちゃになったことを伝え伊吹にびる。


「勘違いさせるようなことをしてすまなかった。

俺も大人気ないことをしてしまったが……。霞様が負傷しているのに関わらず無茶をなさろうとするから……。こうでもしないと動きを止められなかったんだ」

「な……!霞、また怪我を?大丈夫なのか?それより、一体何が起きたんだ?」


 伊吹が立ち上がって霞の側に寄ろうとしたのでそれを右手を挙げて霞が軽く制する。それを見て、伊吹はしゅんっとした表情を浮かべて引き下がってしまう。

 楓は二人の親し気な様子を見て、目を細め腕組をしながら続けた。


「それより、霞様と伊吹はどういう関係だ?伊吹は左近衛府さこのえふの武官で俺の護衛を命じた者だが……」

「伊吹が楓様の護衛ですか?」


 霞が驚いた声を上げる。そして運命の悪戯いたずらに唇を噛み締めた。


「私と伊吹は親戚関係にあります。……屋敷が火事になって以降、お互い顔を会わせぬようにしていたのです。化け物に目を付けられたら命が危ないですからね」


 それを聞いた伊吹が苦しそうに顔をうつむかせてしまう。


「親戚関係だと?伊吹の経歴を確認したがそんなことは一文も書かれていなかったぞ?」

「伊吹を養子にやったのです。再び化け物に狙われぬように……」


 伊吹は火事の後、霞と同様両親を亡くした。地方官だった両親の伝手つてを頼って他の有力な地方官の養子に入った。

 屋敷を燃やした犯人が分からない以上、二人が同じ場所にいるのは危ないと霞は判断した。できればそのまま地方で働いてもらいたかったが伊吹はそれを強く拒んだ。

 武官になった伊吹は左近衛府さこのえふに志願し、宮中の東側を警備する役に就くことで妥協だきょうした。そしてお互いの安全の為、顔を会わせるのはやめようと取り決めたそうだ。

 こうして霞は西側で女房として働き、四年間。二人が顔を会わせることは無かったらしい。

 話を聞き終えた楓はにがい表情を浮かべる。


「なるほどな……。それを俺が再会させてしまったということか。申し訳ないことをしたな」


 己の行動を悔いていると伊吹が慌てて隣に座る楓のことを励ました。


「いえ!蔵人頭殿、私は霞とこうして再会することができて嬉しく思います!

もう二度と会うことは叶わないと思っていたので……。できればこのまま貴方の護衛を続けさせてください!お願いしますっ!」


 伊吹が勢いよく頭を下げた。そのせいでゴツッと額が床にぶつかる音が鳴り響く。その様子を見て霞は深いため息を吐いた。


(久しぶりに伊吹と会ったけれど、変わらないわね。この真っすぐさ……)


「霞!これからはおくすることなく顔を会わせることができるな!」


 伊吹が満面の笑みを浮かべるので霞は何も言い返すことができなかった。伊吹の額が床にぶつけて赤くなっているのを見て、霞も思わず微笑んでしまう。

 自然な霞の笑顔を見て楓は一人、胸の内に何か突っかかるのを感じていた。





 





 




 



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