第7話 炎

「まず、味方が増えたように見せるには……寄せ集めでもいいから人を増やすこと。この際、兵士でなくてもいい。兵士の恰好かっこうをさせ、相手に兵士だと思わせればいいだろう」


 さかきは説明しながら盤上ばんじょうこまを並べる。


「この時必要になってくるのが『人心ひとごころ』だ。人心さえ分かれば人を動かすことは容易たやすい」

「人心は私にも理解できる?」


 霞も榊の膝から盤上の駒を小さな手でいじった。


「学べば理解できるようになるさ!

この場合、金に困っている者、敵方を憎く思っている者に言葉を掛けるんだ。相手に心地よく、つ、心に響く言葉をな。人は自分の欲しい言葉を言ってくれる者を強く信じる性質があるからな」

「ふーん。そうすれば味方になってくれる?」


 霞は振り返って榊の様子を見る。榊は霞を愛おしそうに見下ろし、うなずいた。


「ああ!この時重要なのは己の腹の内を見せないこと。味方を増やしたいから声を掛けたのではなく、あくまでその者のために声を掛けたと思わせる。そして、金に困っている者に金をやる。敵を恨んでいる者には話を聞き同情してやる……。行動でもってしんを得るんだ。そうすることで人心を掴んでやっと人を動かすことができるだろう」

「そんなの難しいよ……」


 霞が盤上を見ながらふくれっ面をする。その様子を見て、榊は大笑いした。


「まだ霞には難しいだろう。人心を動かすようなまじないでもあれば楽なのになー。でも人生を生き抜く一つの策だと思って心に閉まっておきなさい」


 そう言って楽しそうに笑う榊を見て、霞の負けず嫌いな心に火がいた。


「私、人心について勉強する!だから、父上……私にちゃーんと分かるように教えてよ!」

「分かった!分かったから、暴れるな」


 人心掌握じんしんしょうあく術を教えてもらえることになった霞は榊の膝の上ではしゃいだ。そして家族と過ごす何気ないひと時は、霞の心を幸福感で満たしていった。



 幸福を感じていたのも束の間。

 再び場面が変わり、気が付くと幼い霞は屋敷の外にいた。目の前には弓矢の射場いばが広がっている。

 不思議に思って辺りを見渡す。おくれて自分が弓矢を手にしていることに気が付いた。


「霞~!」


 大きく手を振ってこちらに駆けてきたのは同い年の少年だった。彼も弓矢を手にしている。


伊吹いぶき!」


 懐かしい名を呼ぶ。伊吹と呼ばれた少年は霞の父の弟の子で従弟いとこだった。両親は地方官で、都から離れた地にいる。我が子を宮中に仕官しかんさせたいという願いから霞の家に一時的に預けられていたのだ。

 急に場面が変わったことも気にせずに霞は伊吹に近寄った。伊吹と遊ぶときはいつもこんな風にワクワクしていたことを思い出す。


「どちらが的の中心を射ることができるか、勝負だ!」

「望むところよ」


 霞は父から弓矢も教えられていたので、二人はよくこうして弓を射て競い合っていたのだ。顔を合わせればつまらない話をしたり、色んな遊びにきょうじる仲だった。


「くそっ!また負けた」


 悔しそうな伊吹を見て、霞は腰に手を当てて笑った。相手を負かすのはなんと心地いいことか。伊吹は盤上遊戯ばんじょうゆうぎでも霞に勝つことができないでいた。


「ふんっ……女子おなごのくせに。弓矢なんて極めてどうするんだよ。力だって本当は僕の方が強いんだ!」


 機嫌を悪くした伊吹が霞の掌を力強く掴む。霞は伊吹の親指が下になるよう、外側にひねった。


「いって!」


 伊吹の声が木霊こだまする。尻もちをついてしまった伊吹を、霞は楽しそうに見下ろした。


「小さな力でも大きな力に立ち向かうことができるのよ。これも父上から教わったの。あんたも武官になりたいのなら色々勉強することね!」

「……分かったよ。……変なこと言ってごめん」

「分かったのならよろしい」


 霞はそう言うと伊吹に手を差し伸べた。伊吹が照れくさそうに手を取った……その瞬間、霞はまた別の場面に飛ばされてしまう。


 霞は宙に手を浮かせたまま体を硬直させる。

 自身を見下ろして更に絶望した。明るい赤色のうちき薄桃色うすももいろ単衣ひとえ……今では考えられない華やかな装束しょうぞくを身に付けた己の姿に眩暈めまいがする。


「いよいよ明日、入内じゅだいするのね。霞」


 うめの嬉しそうな声に霞は弾かれたように顔を上げる。


「嫌です……。母上!私、やっぱり行きません!」


 霞の悲痛な声に梅は目をまたたかせた。


「どうしたのですか?昨日まであんなに楽しみにしていたのに。おのれの才を帝のため、ノ国の為に活かしたいのでしょう?」

「それは……その……気が変わったのです……」


 霞はこの後に起こるであろう悲劇を想像して恐怖していた。何とか恐怖を言葉にして伝えることができない。それがもどかしくて、てのひらを力強く握りしめていた。


「どうした霞?宴の準備はできてるぞ!俺の弟家族も来るからな。一族一同でお前の入内じゅだいを祝うんだ!さあ、今夜は飲み明かすぞ!」

「父上も!おやめください!」


 苦しそうにしている霞など見えないのか。うめさかきも幸せそうに笑っている。


「やめて……やめてよ!」


 霞は声を上げ続けるが、誰も耳を貸そうとしない。それどころか霞の祝い事で屋敷全体が浮足立っている。


「どなたか存じませぬが、宮中から祝いのしなが贈られてきましたよ」

「それはありがたい!すぐに旦那だんな様に知らせよう!」


 使用人のはずんだ声に霞はハッと我に返る。


「駄目!その品を受け取っては……!」


 霞が止めようとするが、使用人は霞の手をすり抜けていってしまう。まるで霞が幽霊になってしまったかのようだった。

 屋敷の人々はこれから起こる悲劇など知らずに、笑い合い、語り合っている。霞はその場にしゃがみ込んでガタガタと震えた。


(ああ……。そうだ、ここは……夢の中なんだわ)


 やがて、パチパチという、火が物を燃やす音が聞こえてきて霞はハッと顔を上げた。

 気が付くと霞は燃え盛るほのおを目の前にしていた。皆、酒が入っていて動けないはずだ。なんならぐっすり眠ってしまっている。

 霞は異常なほど早い火の回りを見て、すぐにこの火事が自然に起こったものではないことを悟った。昼間の贈り物が火種ひだねだったのだろうと、この炎を見て瞬時に理解する。


(私がもっと早くに気が付けば!宴なんて開かなければ……そもそも私が入内しなければ……)


 数えきれない後悔が霞の胸に押し寄せる。それでも唇を噛み締めて、炎に包まれた屋敷を眺めた。


「父上……!母上!……皆!」


 当時霞は宴を抜け出し、密かに射場いばに居たので炎をまぬかれることができたのだが両親や親戚達のことが気がかりで屋敷に戻ってしまうのだ。

 当時はだれかを助けたい一心いっしんだったが今は違う。


(私もこのまま、皆と一緒の所に行けば良かったのよ……)


 炎の中に一歩、足を踏み入れる


「駄目だ!霞!」


 子供の頃とは異なる、低くなった伊吹の声が背中から聞こえる。

 そう言えば当時は伊吹と射場で話をしていたんだと霞はふと思い出す。その後、伊吹の制止も聞かずに炎に包まれる屋敷に戻って……。

 その後のことを思い出して、霞は息を止める。

 霞の頭上から燃えた建物の残骸ざんがいが降ってきたのだ。


「……っ!!」


 咄嗟に出した左腕に鈍い痛みが走る。


「霞!大丈夫か?霞!!」


 そのまま伊吹の声が遠くなっていった。



「……ううっ……あっ!」


 霞は左腕を掴みながら目を開けた。浅くなった呼吸を、深呼吸してなんとか落ち着かせる。

 見慣れた天井と朝の柔らかな日差しが障子から差し込んでくるのを見て霞はほっと胸を撫で下ろした。


(ここ、私のつぼねだわ……。野行幸のぎょうこうの後、倒れた私を誰かが運んでくれたのね)


 新しい小袖こそでに着替えさせられ、怪我も措置されているようだ。上掛けの布団と霞のうちきが何枚か重ねられ、寒くないようにしてくれていたらしい。鳥のさえずりと共に寝息が聞こえてきて霞は首を傾げる。


(は?寝息ねいき?)


 霞が顔を横に向けると、目が落ちんばかりに見開く。


「か……楓様?」


 霞の側で腕組をし、柱に寄りかかって眠っていたのは楓だったのだ。格好は鷹狩たかがりの時のままで、勝手に霞の薄紫色のうちきを掛け布団にしている。烏帽子もそのままで藤の花飾りが色っぽく楓の横顔を隠していた。

 眠っていても絵になる楓を暫く呆然と眺めていたが霞の脳内がいそがしく動き始める。背中から冷や汗が止まらない。


(ちょっと待って……。この状況ってその……あまりよくないんじゃないの?)


 霞は怪我をした右肩を庇いながら上体を起こす。廊下に人の気配が増えていくのを感じ、霞の焦りは最高潮に達した。


(この状況、どうみても逢瀬おうせにしか見えないじゃない!人が来る前に楓様には出て行ってもらわないと……)


 霞はゆっくりと立ち上がると眠っている楓にゆっくりと近づく。片膝をつき、左手を伸ばして楓を懸命に揺すった。


「楓様、楓様!」

「ん……?」


 かすれ声と共に目を覚ました楓に霞は手早く告げる。


「どうしてこんなことになっているかは後でしっかりうかがいますので今はここから早くで……」


 最後まで言い終わらないうちに霞は楓の腕の中に引き込まれた。体の均衡が取れなくなった霞はそのまま楓の胸元に寄りかかるような体制になる。


「良かった……。目を覚まして」


 そのまま背中に手を回され楓の腕に閉じ込められた。


(はい?)


 忙しく動き始めたばかりの霞の思考が停止する。

 









 













 





 


 


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