5.決戦(5)
月が照らす夜の山。
ダルシアたちは亜人の村を囲んでいる。
柑橘のニオイ対策に鼻栓をしているため、相変わらず嗅覚は使い物にならない。
耳を頼りに周囲に気を配るが、シンと静まり返っていて物音ひとつしない。
すっかり闇に溶け込んだ亜人の村を見て、ダルシアは息を呑んだ。
と、話では聞いたことがあったが、こうして宵の口から暗闇に閉ざされた村を目の前にすると、幽霊でも出てきそうな不気味さを感じる。
「おい。さっさと仕事しようぜ」
ダルシアの隣で中腰になっている兵士のひとりが、ぶっきら棒なタメ口で話し掛けてきた。
一応、立場上はダルシアがこの隊のリーダーということになっているのだが……。
いきなりダルシアの隊に組み込まれた彼らにとって、二度も戦地から逃げ帰ってきた臆病者がリーダーなど、認められるわけもなく。かと言って、新兵のダルシアには彼らを叱責することもままならず。
しっかりとナメられたまま、ここまでやってきた。
「わかりました。準備をお願いします」
ダルシアは自らの不甲斐なさに心の中でため息をつきつつ、十人の兵士に火矢の支度をさせる。
本来なら斥候を村へと侵入させ、中の様子を伺ってから火矢を放つべきなのだろうが、誰もダルシアの言うことなど聞いてはくれないだろう。
自ら村の中へと向かうことも考えたが、その間、彼らが素直に待っていてくれるという保証はない。
下手をすればダルシアごと火攻めにされてしまうかもしれない。
「おい。準備できたぞ。さっさと終わらせようや」
「はい。……ちょっとだけ待ってください」
なんだろう。違和感が拭えない。
やはり村の中を確かめた方が良いだろうか……。
ダルシアが迷いながら村を見つめていると、赤い火の玉が視界を横切った。
「…………ッ!?」
まさか本当に幽霊が!?
さらにもうひとつ、ふたつ。
違う。これは――、
火の玉の正体に気づいたダルシアが横を見ると、兵士たちが次々と、火矢を放っているところだった。
「まだ指示は出してな――」
「うるせぇ、バーカ。てめぇがいつまでもビビってっから、他のやつに先を越されただろうがよ」
もはや欠片の気遣いすらない悪意の塊。
しかし、今は言い争いをしている場合ではない。
既に村には火の手があがっている。
火が村を焼けば、異変に気づいた亜人たちが村の外へと飛び出してくるだろう。
バーナード将軍の連れてきた兵士が山を囲んでいるとはいえ、ここで対処できるならその方が早い。
「くっ! 村の入口を固めてください。逃げ出しくる亜人がいたら、仕留めて――」
「あっ! アチッ、なんだコレ。火の回りが早すぎねぇか!?」
言われてみれば確かにそうだ。
火矢とはあくまで火種。実際に燃えるのは木であり、家屋だから、火の拡がりは最初はゆっくり、それから加速していくもの。
火矢を射掛けて、ものの数分で村全体に火が回るなんて……。
「……あっ!」
ダルシアは慌てて鼻栓を取った。
柑橘のニオイ、火のニオイ、木材が焼けるニオイ、そして……油のニオイ。
これは罠だ。
火攻めは見破られていた。
ならば、村も既にもぬけの殻に違いない。
「皆さん、これは罠です! 逃げてください!」
ダルシアが声を上げるが、誰もその場を離れようとはしない。ただひとり、先ほどダルシアに悪態をついた兵士だけが吐き捨てるように言った。
「俺たちは貴様とは違う! 勇敢なるコボルトは、たとえ火に巻かれようとも、目標が焼け落ちるのを見届けるまでは、この場を離れたりはしない!!」
そんなことをしていては全滅してしまう。
このあたりの草木にも油が染み込ませてあるのだろう。すでに火はダルシアたちの周りを囲むように燃え広がっていた。
敵はコボルトのことを、どこまでも知り尽くしている。火に囲まれ命の危機に瀕しても、主命を優先するコボルトの性質を知っているからこそ、仕掛けられた罠。
「ならばせめて、バーナード将軍に報告だけでも」
「また『報告』かよ。そんなに伝書鳩が好きなら、今回も自分ひとりで行けばいいだろうが。この臆病者が!!」
「…………くっ」
火がどんどん広がっていく。
もう数分もすれば、このあたりもすっかり火の海になるだろう。
しかし、このまま焼け死んではいられない。
ここに亜人がいないことをバーナード将軍に伝えて、すぐにでも逃げた亜人たちを追って貰わなくてはならない。
「……報告に……行ってきます」
今度はどこからも返事はなかった。
軽蔑の視線を背中に受けながら、ダルシアは山を駆け下りる。
いずれにせよ、作戦を失敗したダルシアに待っているのは死だ。ならばせめて少しでも役に立って死にたい。
しかし、山の麓にバーナード将軍はいなかった。
それどころか百人で山を囲んでいるはずの兵士がひとりもいなかった。
あまりの出来事に理解が追いつかない。
ダルシアは思わず頬をつまんだ。
今日一日のこと、全てが夢であれば良いのに。と、そう願いながら。
しかし、目の前に広がる光景が自宅の天井に切り替わることはなかった。
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