幕間・隣の山で


「旗を上げてくれ。そうだ、敵影は三十!」

「三! 零!」


 アルフが指示を出すと、あらかじめ樹上に登っていたセノビアの手に、ふたつの旗が渡った。赤、白、青が縦に並んだ三色旗と、同じデザインで黄、赤、黄の順に塗られた二色旗が樹のてっぺんではためく。


 隣山にいるはずのサーファから見えるよう、背が高く目立つ樹を選んだ。

 これはかつて人間たちが、主に海上において船舶間での通信に利用していた『信号旗しんごうき』と呼ばれる連絡手段である。


 知っている者が見れば、先の二種類の旗から『三十』という数字を読み取ることができる。

 万が一、コボルトに信号旗を知っている者がいたとしても、ヤツラの目では旗の色を認識することはできない。


「ちゃんと聞いてろよ」


 アルフが懐から取り出した木彫りの笛を吹くと、ピーヒョロロロロと高い音が青空に響き渡った。トンビの鳴き声を真似るための擬音笛だ。


 しばらく間をおいて、念のためにもう一度笛を鳴らす。

 ピーヒョロロロロ。


 海上での信号旗と違い、こちらが一方的に情報を送る立場であるため、ちゃんと伝わっているのかと不安になってしまう。しかし、いくらトンビ笛といえども短時間に何度も鳴らしては、流石に怪しまれてしまうだろう。


 もう一度だけ吹き鳴らしたい気持ちを押さえ、アルフはトンビ笛を懐へとしまった。


「なに不安そうな顔してんのよ。サーファなら一回目の合図でちゃんと旗を見てるから大丈夫よ」


 十代の高い声。小憎らしい物言い。

 振り向かずともわかる、この声は仲間のひとりであるセノビアに違いない。

 ついさっきまで、ここらで一番背の高い樹のてっぺんにいたはずなのに。もう下りてきたらしい。


「うるさい。そんな顔はしていない。見えないくせに適当なことを言うな」

「顔なんか見なくたって、あんたの背中にハッキリ書いてあんのよ。ほんっと、アルフはビビりなんだから」

「ふん。セノビアが楽天的すぎるだけだ」


 と、口では言うものの。

 実のところアルフは、時折りセノビアの楽天的な性格が羨ましくなることがある。

 きっと彼女は、心配事が重なって眠れない夜を過ごした経験など無いのではないか、と思ったりもする。


「いいじゃない。仲間のことを信用して何が悪いのよ」

「別に……、私だってサーファを信用していないわけじゃない」


 そうだ。信用できないのは――自分だ。


 もしタイミングが悪かったら。

 もし上手に吹けていなかったら。


 そんな気持ちが『もう一度』と笛に手を伸ばさせる。


 グッと拳を握り込むアルフの目の前で、セノビアはこれみよがしにため息を吐いてみせた。

 

「はあぁぁ。ほんっと、バカね。あたしは、って言ってんのよ」

「…………あ」


 彼女の言わんとすることに気づき、アルフの顔が少し熱くなった。


 よくも恥ずかしげもなくそんなクサいセリフを言えるものだ、という驚きに。

 そして、仲間に気遣われていることに気づけずにいた残念な自分自身に。


「大丈夫よ。亜人の王は負けないわ、絶対に」


 ひとつの根拠もなく、『絶対』と言い切ってしまえるセノビアに、アルフは思わず苦笑してしまう。

 自分と彼女はどうしてこれほどまでに違うのだろう。同じ人間だと言うのに、まるで別の種族のようではないか。

 

「不思議と、私もそんな気がしてきたよ」


 今、自分たちにできることはサーファの作戦が成功することを待つこと。

 そして先の作戦の準備を進めておくこと。万事、抜かりなく。十全の用意を整えるだけだ。

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