4.王国兵の撃退法(4)

 

 昨日会ったばかりなのだから当然ではあるが、ロンスはサーファのことを何ひとつ知らない。

 どこから来たのか。

 なぜこの山に来たのか。

 何者なのか。

 唯一わかっていることは、彼女が本を探して旅をしているということくらい。それだって本当かどうか怪しいものだ。


 よくよく思い返せば、彼女は自身を『亜人』と称したことが無い。

 外見はロンスたちと変わらない亜人のように見えるが、実はよく似た人種ひとしゅという可能性だって考えられる。


 自分たちよりも高いところから、全てを見通すように話すサーファのことが、ロンスは急に怖くなってきた。


「わかるんじゃなくて、っているだけ。はるか祖先から伝わる『知識の泉』のおかげでね」

「………………」


 知識の泉だって?

 その泉に行けば、誰だって豊かな知識を得られるとでもいうつもりか。

 そんな子供向けのおとぎ話に出てくるような話を「そうなんですね」と鵜呑みにできるわけがない。九歳のワルトンが相手だったなら、あるいは信じたかもしれないけれど。


「そんなにジッと見つめられたら照れちゃうな。別に伝説の土地とかじゃないから。……ほら」


 サーファがベージュ色のポシェットから、見覚えのある薄い紙の束を取り出した。これは確か――ホンだ。昨日の夜、彼女がそう呼んでいた。


「これが?」

「そうだよ」


 ロンスはおずおずと彼女の持つ『ホン』に触れ、紙の束を静かにめくる。

 そこに書かれているものを見たロンスは、静かに低い声でつぶやいた。


「こんなモノで……。知識なんか、手に入るわけないじゃないですか!」


 彼女が『ホン』と呼ぶ紙の束。

 そこにはミミズがのたうち回ったような線が所狭しと描かれていた。


 ロンスにとっての知識とは、生きていくための知恵であり、親から子へ、年寄りから若者へ、言葉で伝えられていくものだ。

 こんな落書きで何かが伝わるなんて、とても信じられない。


「ここに書かれているものは『文字』だ。知識をより正確に後世へと残すことができる、祖先の偉大な発明だよ。そして……はるか昔、ヤツラに奪われた文化でもある」


 モジ。

 またしても知らない言葉が飛び出してきた。

 わからないことに、更にわからないことが重なって、頭の中が沸騰しそうだ。


 だけど『ヤツラ』というのがコボルトたち人種ひとしゅを指していることはロンスにも容易に察しがついた。『ヤツラに奪われた』と言ったときのサーファの目がそう語っていたからだ。


 ロンスはあの目をよく知っている。

 あれは虐げられてきた者の目だった。


 屈辱と憎悪にまみれた亜人の目をしていた。


 ――奪われた文化。


 ロンスたち亜人は常に奪われ続けてきた。村も、親も、友達も、静かに暮らす自由さえも奪われてきた。


 いつだって。今だって。現在進行系で奪われ続けている。ならば、ずっと昔に奪われて、忘れ去られてしまったものもあるのかもしれない。


「こんな話をすぐに理解してもらえるとは思っていないよ。だけど今だけは。この本に書かれている先人たちの知識だけは、信じてもらえると嬉しいな」


 少しだけ寂しそうに笑うサーファの表情に。

 いつもより少しだけ真面目な語りに。

 ロンスはすっかり毒気を抜かれてしまった。


「わかりました。信じますよ」


 ロンスの言葉に安心したのか、サーファが相好を崩した。

 その無防備な笑顔ときたら。

 思わぬ不意打ちに、ロンスの心臓がドクンと跳ねた。


 その笑顔はズルい。

 どんなに彼女をいぶかしんだところで、こうして最後には彼女を受け入れるという結末は変わらなかったような気がする。


 初めて会ったそのときから、ロンスの心はサーファに奪われているのだから。

 ピーヒョロロロロ、とトンビの鳴き声が空に響いた。


「あ、そろそろみたいだね」

「え? なにがですか?」


 サーファは服の裾を払いつつ立ち上がると、山の麓を見てつぶやく。まるでお湯が沸いた報告のようなテンションに思わず聞き返してしまったが、もちろん答えはひとつしかない。


「敵が城を出てきた。数は三十くらい。到着まであと一刻(約二時間)ってところかな」


 慌ててロンスも麓を覗いてみるが、どこにもコボルトの姿を見つけることができない。彼女には一体なにが見えているのか。


「さあ。早く準備をしなくっちゃ」


 そうつぶやきながら、彼女は再びミカンを手にとって果皮を剥いていく。


 再びトンビの鳴き声が山間に響いた。

 ロンスには、それがまるで戦いの報せのように感じられた。


 決戦は間もなく。徐々に下がり始めた太陽が見ている。

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