5.決戦(1)


 緊急事態を知らせるため、ダルシアは城――ボルト王国の支城のひとつである――へと走った。そして今、再び亜人の村がある山中に戻ってきている。


 もちろんひとりではない。

 隊長のシバルツと案内役のダルシアを含めて三十人。城にいる全兵士を並べても二百を少し超えるくらいであることをかんがみれば異例の規模である。


 しかし、どうにも隊の士気が低い。

 今もダルシアの背後から、ぶつぶつと不満げな声が重なっていた。


「たかが亜人の村ひとつにこの人数は、さすがに大げさすぎるんじゃないか?」

「ふん。新米の勇み足に一票」

「先に向かったとかいうふたりが、もう亜人どもを狩り尽くしてるかもしれねぇぜ」


 耳を澄まさずとも飛び込んでくる、あからさまなこすり。ダルシアに聞こえることを気にしていないどころか、あえて聞こえるような声で話している。


 その謗言ぼうげんからもわかるとおり、彼らはダルシアの報告を頭から信じていない。


 もちろん、それには彼らなりの理由がある。

 まずダルシアの報告は大きな破裂音を聞いたというだけで、村で何が起こったのかを把握していないし、そもそも村で事件が起きたという確証を得ていない。


 物証はなく、証人はおらず。もはや感想の域を出ないダルシアの報告。

 山にひとり残された意気地なしの新兵が、臆病風に吹かれた末の思い込みだろう、と一笑に付されていた。


 それでもダルシアは、あのときすぐに異常事態を報告に走った判断を今でも間違っていないと確信している。


 黙々と先頭を歩き、先輩から聞いていた亜人の村があるはずの場所へ隊を先導する。


 不意に、ツンと刺すような嫌なニオイが鼻腔をついた。


「どうした?」

「いや……。なにか変なニオイが」


 ダルシアが顔をしかめる様子を見て、シバルツもクンクンと鼻を引くつかせる。


「……ああ。言われてみれば微かに。嗅覚が鋭すぎるのも厄介なものだな、ダルシアくん」


 同じコボルトであっても、嗅覚には多少なり差がある。

 ダルシアの嗅覚はコボルトの中でも特に鋭い方だ。同じく兵士であった彼の父も、その鋭い嗅覚で活躍していたというから血筋によるものだろう。


 ツンと酸っぱいニオイは村へ近づくにつれてどんどんと濃くなっていった。

 隊の兵士の中からも「なんだこのニオイは」「鼻がチクチクする」といった声が出始めている。


「コイツは……柑橘のニオイか。厄介だな」


 シバルツの言葉でダルシアも思い出した。もう十年くらい前、まだ子どもの時分に父が苦々しい顔で教えてくれたのだ。


 ある亜人の村を襲ったときのこと。村の外へと逃げた亜人を追っていたら、橙色の木の実を投げつけられて、そのひどいニオイに鼻がもげそうになったことがある、と。


 父が持ち帰ってきたその果実こそが、柑橘類と呼ばれる悪魔の果実のひとつだった。


「敵の罠でしょうか」

「うむ。我々の最大の武器である鼻を利かなくさせて、その隙を狙うつもりなのだろう。亜人どもにも多少は知恵のあるヤツがいるらしいな」

「そこまでわかっているのなら、ここは一度撤退した方が――」

「それは無理な話だ。なんの成果も得ずに城へ戻る選択肢など我々には存在しない」


 コボルトは勇猛果敢で知られており、彼らもそれを自慢にしてきた歴史がある。

 逆に言えば、敵に尻尾を見せるような臆病者はコボルトとして認められないということだ。


 これ以上、いくら説き伏せたとてシバルツが隊を引くことはないだろう。

 ダルシアには、シバルツと共に山を登っていくことしかできなかった。

 嫌な予感にはフタをして。


 村の手前まで来たところで、ついにダルシアは限界を迎えた。

 どんどん濃くなっていく柑橘のニオイに耐えられなくなってしまったのだ。


「ダルシアくんにはこれ以上は厳しいだろうな。まあいい、村はもう目の前だ。案内役の仕事はここまでで良い。あとは我々に任せたまえ」


 シバルツの優しさと諦めの混じった声に、ダルシアは自分が情けなくなる。

 そのあとに飛んできたのは「役立たずめ」「鼻自慢マウントかよ」「クソ雑魚じゃん」といった兵士たちの侮蔑の声。


 ダルシアは身体を丸め、鼻を抱え込むようにして、なるべく柑橘のニオイを直接吸い込まないような体勢で地面に座り込んだ。


 シバルツの指示で、兵士たちが次々に村へと突入していく。しばらくして例の炸裂音が再び轟き、金属がぶつかり合うような音が鳴り響く。


 それからしばらくして、いくつもの悲鳴が山中に響き渡った。

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