3.最後の選択肢(1)


 ロンスの目の前に、にわかに信じられない光景が広がっていた。


 ついさっきまで、ショートソードを振り回して村人を威嚇していたボルト王国の兵士が、両手を後ろ手に縛られ、口は布で塞がれ、広場にある大きな樹の幹にくくりつけられている。


 亜人が人種ひとしゅに襲われただとか、捕まって奴隷にされたという話は枚挙にいとまがないけれど、逆に人種を捕らえたなんて話は聞いたことがない。もちろん、『亜人の王』の英雄譚を別にすれば、だが。


 樹に背をつける体勢で座らされている兵士は、気を失っていてピクリとも動かない。

 顔は無惨に腫れ上がり、腕も打撲痕だらけで、軽鎧は形を成していない。生きているのが不思議なくらいボロボロだ。


 その隣に転がっている、もうひとりの兵士は――すでに物言わぬ屍と化していた。



 それにしても、あれは一体なんだったのだろう。

 サーファが『バクチク』と呼んでいた竹筒、そして『マッチ』と呼んでいた小さな棒。

 どちらもロンスは初めて見るものだった。


 彼女がマッチを箱に擦りつけると、小さな棒に火がともった。

 火を起こすには火打石で火花を起こして、燃えやすい植物などに火種を移すのが普通だ。こんな簡単に火を灯せる道具などロンスは知らない。

 それをバクチクに点火して放り投げると、パンと高く空気を切り裂くような大きな音が鳴って、広場を白煙が包み込む。


 あれはまさに――神の為せる業だった。



 突然のことに混乱したのだろう、ふたりの兵士は無抵抗のままサーファの拳で鼻を殴りつけられ悲鳴を上げることしかできないでいた。


「ほら、キミも早く!」


 まるで小悪魔のような笑顔を浮かべたサーファに促されて、ロンスは慌てて兵士を殴った。

 最初はおずおずと。

 しかし相手が全く抵抗してこないことがわかると、振るう拳にどんどん力が入った。


 これは父の仇。

 これは母の仇。

 これはゾマーノの。

 これはデイバムの。


 一発、一発、殴るという行為に理由をつけて、ひたすらに殴り続ける。

 人種ひとしゅへの恨みはいくらだってあった。きっと止められなければ拳が壊れるまで殴り続けていただろう。


 ふと隣を見ると、もうひとりの兵士を誰かが殴っていた。ボロボロと涙を流しながら、必死で拳を振り下ろしているのは村の女性だった。


 それは、先ほど殺された村人の妻。


「おい。俺にもやらせろよ」


 拳から血が流れても殴り続けるロンスを止めたのは、別の村人だった。

 もちろん情けをかけるためではない。

 彼はロンスに代わって兵士を殴り出した。


 絶対に逆らえないと思っていた人種が、無抵抗のまま殴られ続けている様を見て。

 絶対に人種に逆らってはならないと戒めを受けてきた人種を、亜人の同胞が一方的に殴っている様を見て。


 彼らの中に澱のように溜まっていたモノが爆発した。


 半刻(約1時間)が経って、村人たちがようやく正気を取り戻した頃には、兵士のひとりは息をしておらず、もうひとりも泡を吹いて倒れていた。


 村人たちは、深い赤色に染まった自分たちの両手を見つめて戦慄する。


 人種を殺してしまったことに。

 自分たちの中に確かにあった暗い怒りの感情に。

 これからの自分たちの行く末に。


 兵士たちを捕らえて、さっさと村を捨てて逃げ出していれば良かったのだ。

 ボルト王国だってヒマではない。多少は追いかけてくるだろうが、いつまでも数十人の亜人に構ってばかりもいられまい。


 しかし、彼らは王国の兵士を


 人種は仲間の死を許さない。

 それが下等種である亜人の手によるものとなれば尚更だ。

 亜人如きに舐められてはならぬ、と本気の追討が始まるだろう。


「もうひとりも殺して、ふたりとも埋めてしまうか……」


 太陽の光が降り注ぐ昼下がり。誰かがポツリとつぶやいた。

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