2.銀杏の誘い(4)


 村の入口にある広場を中心にして、円を描くように住居が並んでいる。

 ミカンの樹が並ぶ斜面は入口とは反対側にあり、ロンスとサーファは悲鳴が聞こえた広場の方へと駆け上がった。


 村の入り口には軽鎧とショートソードを身につけた兵士がふたり。

 兵士の足元にうつ伏せで倒れているのは、この村の亜人男性だ。


「こいつみたいになりたくなけりゃ、全員大人しくしていろ。逃げようなんて考えるなよ」


 兵士に気づいて逃げようとしたのだろう。

 背中をショートソードで刺されたらしい傷口から血があふれ、地面を真っ赤に染めている。

 こうして見ている間にも、血溜まりは少しずつ面積を広げていた。


「おかしな動きをしたら、だからな」と、兵士がショートソードを斜めに振るう。

 刃先に残っていた血の雫が地面に飛んで、いくつもの点を描いた。


 他の村人たちは、それを遠巻きに眺めるばかりで、誰ひとりとして男を助けに行こうとする者はいない。


「……はやく助けないと」


 ロンスはひとり呟いて、倒れている村人の元に飛び出し――、


「ぐえぇぇっ」


 背後から襟ぐりを引っ張られて、首がギュッと絞まった。引っ張っているのは、もちろんサーファだ。


「ちょっと、何するんですか!?」

「それはコッチのセリフだよ。剣を振り回して遊んでるヤツの前に、手ぶらで飛び出していって何するつもり? それともアレかな。キミって弱そうに見えて実は拳法の達人だったりする流れ?」


 いつも笑顔のサーファの目が、明らかに笑っていない。

 おでこの端っこには、うっすらと青スジが浮かんでいるように見えた。


「そういうわけじゃないですけど……」

「人助けをしようって心意気は買うけどさ。王国の犬を相手に犬死に、なんて笑えない冗談に巻き込まないでほしいね。それに……あの人はもう助からないよ。アレはどう見たって致命傷だ」


 刺し傷だけで『どう見たって致命傷』だとわかるほどロンスは人体の構造に明るくない。そもそも村の入口はここからちょうど反対側、遠すぎて背中のどのあたりを刺されているのかも見えない。


 だが、兵士が倒れている村人を踏みつけているのはハッキリと見えた。


「もう助からないとしても、あんな地獄みたいな場所から彼を助けたいんですよ」

「え? なんで? さっき『犬死に』だって言ったよね? ん? もしかしてキミは自殺志願者なのかな?」

「…………そうかもしれません」


 ロンスは生まれ故郷が滅ぼされたあの日以来ずっと、自分だけが生き残ってしまったことに責任を感じていた。


 死んでいった仲間の分も生きていかなくては申し訳が立たない。だけど同じくらい、自分だけが生きていることが申し訳がない。


 今だって、地面に倒れているべきは自分なのではないかと心が責め立ててくる。

 もし今回も村が滅ぼされて自分だけ生き残るようなことになってしまったら、もう精神が耐えられない。


 ならば、犬死にであっても村の人のために死ねた方が幸せなのではないかとさえ思っていた。


「じゃあさ――」


 命を投げ出す覚悟を固めるロンスの隣で、サーファが耳を疑うようなセリフを口にした。


「どうせ要らない命なら、王国の犬の鼻っ柱を殴りつけてキャインと言わせてみない?」

「…………え?」


 何を言っているんだろうこの人は、というのがロンスの正直な感想だった。


 亜人は虐げられる存在だ。

 彼ら人種ひとしゅに逆らうなんて、世の理に反する。


「そ、そんなことしたら村が……」

「しなくても村はなくなるでしょ。見つかったら『奴隷にされてヒドい目に遭わされたり、下手したら命を奪われてしまうかもしれない』って言ってたのはキミだよ」

「それは……」


 おそらく彼女の言う通りだろう。

 事実、すでに村人がひとり背中に刃を突き立てられ、足蹴あしげにされているではないか。


 逆らわなければ命だけは助かるかも、などという考えが希望的観測に過ぎないことは、一度村を滅ぼされ仲間を虐殺されているロンスが誰よりも思い知っていることだった。


「だったら、あのふたりの兵士をぶちのめしてさ、さっさと皆で旅立っちゃえばいいんだよ。予定は少し変わるけど結果は似たようなものでしょ」

「でも……、どうやって?」


 さっきサーファが言ったとおり、ロンスは手ぶらで戦闘技術もない。

 飛び掛かったところで、鼻っ柱を殴りつける前に斬られるのがオチだ。

 サーファにしても、やはり武器の類は持っていないように見える。


 困惑しているロンスの顔を、アメジスト色の瞳が覗きこみ、ニッと笑った。


「我に策あり、だよ」


 そう言って彼女は、手のひらサイズの小箱と小さな竹筒をポシェットから取り出した。

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