2.銀杏の誘い(3)
不意打ちで姿を現したサーファに見惚れていたロンスだったが、そんな場合ではないことを思い出し、なんとか正気を取り戻した。
「サーファさん! どうしてここに……、いや、それは今はいいです。えっ、間に合わないってどういう意味ですか?」
「どういうって……。『間に合わない』っていうのは、あらかじめ決められた刻限までに目的を遂行できないっていう意味だよ」
「いや、あの、語句の意味を知りたいわけじゃなくて――」
「あははは、冗談だよ。まあ、でもそのままの意味なんだけどね。『見つかる前』という刻限までに『旅立つ』という目的は遂行できないって言ったんだ」
サーファが何でもないような表情で、とんでもないことを言い出した。
こんな話をほかの村人が聞いたら、せっかく収まったパニックが再発してしまう。
「ちょっと、こっちに来てください!」
「わっ! なになに? もしかして、命の危機を感じると発動するという突然の発情期!?」
「ふざけてる場合じゃないんですって」
ニヤニヤと笑っているサーファの手を引いて、ロンスはミカンの樹がある斜面へと連れだした。ここなら他の村人に聞かれはしないだろう。
「サーファさん。僕はあなたが『間に合わない』と言った理由を知りたいんです。……あなたは一体何を知っているんですか?」
サーファはその問いには答えず、ただじっと目を閉じる。
ロンスが痺れを切らした頃、やっと口を開いた。
「ここの風は潮の匂いがするんだね。広場はちょっとクサかったから、なんだか鼻と喉が洗われたような気がするよ」
彼女が『クサかった』と言っているのは、
オッシが帰ってきたときほどではないが、彼の服や靴についていたすえたニオイが広場に残っていたのは確かだ。
「それが『間に合わない』ことと、どんな関係があるんですか?」
サーファが素直に答えを教えてくれないことに、ロンスはイラ立ちを感じていた。
それでも彼女はロンスのことなど意に介さず、マイペースに話を続ける。
「彼……名前は知らないけど、あのニオイを持ってきた男の人。すごく泥だらけで、銀杏の葉っぱもたくさんついてたよね」
彼、とはオッシのことに違いない。
あのときには、彼女はもう村にいたのか。
オッシに気を取られていたから、全く気がつかなかった。
「……銀杏の群生地に隠れてやり過ごした、って言ってました。この季節は銀杏の実がたくさん落ちてるから、ニオイがついちゃうのは仕方ないです」
「それで、そのまま村に戻ってきちゃったわけだ……ずっと、あのニオイを身体にくっつけたまま」
先ほどから遠回しに仲間を責められているようで、正直にいって不快だ。
もしも、命懸けで村へと戻ってきたオッシを愚弄するつもりなら、絶対に許すわけにはいかない。
「……何が言いたいんですか?」
きっと、少しだけ怒気がこもっていたと思う。
それまで海の方を見つめていたサーファの顔が、ロンスの方を向いた。
アメジスト色の綺麗な瞳が、ロンスの瞳をじっと覗き込む。
「キミはさ……。彼がちょっと隠れただけで、本当にヤツラの追跡から逃れられたと思ってるの? どうして彼だけが村まで無事に帰ってこれたのか、不思議に思わなかった?」
それは、確かに思わなかったわけではない。
しかし
そうして、心のどこかで感じた違和感にフタをしていた。
「もしかして、オッシはわざと見逃されたってことですか? 確かに捕まえて拷問するより、尾行した方が確実に村の場所がわかりますけど……。いや、しかし――」
ロンスの心臓が徐々に動きを速めていく。
彼女が言っていることは辻褄があう。
しかし、それならどうしてすぐに襲ってこない?
オッシが尾行されていたのだとしたら、とっくに村は見つかっているはずだ。
「面白い仮説ですけど、全てはサーファさんの憶測ですよね」
ロンスは自身に言い聞かせるように、サーファの意見を否定する。
そうあって欲しい、という願いでもあった。
「憶測っていうか、どちらかというと経験則かな。まあ、結果はすぐにわかるよ」
サーファの視線が広場へ移ると同時に、大きな悲鳴が村中に響き渡った。
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