2.銀杏の誘い(2)
早朝に狩りへと出たはずのオッシが村へ戻ってきたのは、まだ太陽が顔をだしてから一刻(約二時間)も経たないころだった。
ミカンの樹の様子を見に行こうと、いつもの山の斜面へ向かっていたロンスが、村にふらふらと入ってくるオッシを見つけた。
いつものオッシなら、早朝狩りに出たらお昼までは戻ってこない。
なにかあったのだろうかと近づくと、オッシは黄色い
さらには、銀杏の実が潰れたときに発する腐った油のような、排泄物のような、すえたニオイを
「オッシ!? あなた、イルカのオッシですよね? 大丈夫ですか? 何があったんですか!?」
鼻ではなく、口で呼吸をしながらオッシに近寄り話を聞こうとするが、ゼエゼエと息を吐くばかりでなかなか言葉が出てこない。
そういえば、どうしてオッシはひとりなのだろうか。いつも彼は、仲間と一緒に狩りに出ていたはずだ。
「……オッシ。ゾマーノとデイバムはどうしたんだ?」
オッシは力のない表情で首を横に振ると、息も絶え絶えに声を絞り出す。
「ハァ、ハア、み、見つかった。……
何を言っているのか、ロンスはすぐには理解ができなかった。
信じたくなかった。なにかの間違いであって欲しかった。
むせこむオッシの背をさすりながら、ロンスは頭の中で彼の言葉を再生する。
――人種に見つかっちまった。
聞き間違いではない。
彼は確かに、そう言った。
理解が追いついたと同時に、ロンスは無意識に同じ言葉を繰り返していた。
「ひ、人種に、み、み、見つかったああああ!?」
先ほどと違うのは、今度は口に出していること。
それも、村全体に響き渡るような大声で。
悲鳴を上げて家へと駆け込む女性。
恐怖のあまり失神してしまう子供。
ふざけるな、と怒りを
寝間着姿のままで、慌てて家を飛び出してきた
村は上を下への大騒ぎとなった。
いま、村の入り口から連なる広場には村人のほとんどが集まっている。
疲労で倒れたオッシのほかにも、ショックのあまり寝込んでしまったり、ひとりになりたいからと閉じこもっている者が数人いるが、それも仕方のないことだろう。
人種に発見される、ということは亜人にとってそれほど大きな事件なのだから。
「この村も、もう終わりか……」
誰となく発せられたつぶやきだが、村の皆が同じことを思っていたに違いない。
先ほどまでの騒ぎが幻だったかのような静寂。
葬儀の席のような空気が、村中に漂っていた。
「早く、逃げなくちゃ」と誰かが口を開けば、「どこに逃げるってんだよ」と他の誰かが吐き捨てる。
ロンスにはどちらの気持ちも痛いほどわかった。
前に住んでいた村が人種に見つかって、家族を見せしめのように殺されている。
命からがら逃げだしたロンスも、ほかの亜人の村がどこにあるのかもわからず
この村にたどり着けたこと、そして村に住まわせて貰えたことは、奇跡としか言いようがない。
「……村長は知ってるんですよね?」
誰も「何を?」とは聞かない。
村の皆が思っていて、口に出来なかったことだ。
この村が他の亜人の村と交流をしていることは、村人の誰もが知っていることだ。
しかし、誰が交流の任を与えられているのか、まではわからない。
もしかしたら村長自身がそうなのかもしれない。
いずれにせよ、村長なら『ほかの亜人の村がある場所』を知っているに違いない。
誰もが皆、そう思っていた。
再び、空気が冷たく重くなっていく。
「知っている。だが、教えることはできない」
村長が答えた瞬間、堰を切ったように次々と怒声が飛んだ。
「自分だけ逃げる気か!?」
「村長のこと、信じていたのに!」
「結局、自分だけが助かればいいんだなっ!」
誰も彼も言いたい放題だ。
村長が「私も他の村へは行かない」と言っているのに「嘘をつくな」と騒ぐばかり。
村から村へと渡った経験のあるロンスからしてみれば、村長の言い分は当然のことのように思えた。
この村を見ていればわかるように、亜人の村はどこも余裕がない。
三十人もの村人を、どこの村が受け入れてくれるというのか。ひとつの村につきひとりか、せいぜいふたり。
そもそも大人数でぞろぞろと村へ向かうのもよろしくない。
そこを人種に見つかったら、次の村まで失ってしまう。それも、関係のない亜人たちを巻き込んで。最悪の結果だ。
新たな
それでも目の前にもっと楽な道が見えていれば、それが糸のように細い道だったとしても求めてしまうもの。これは我々が抱える業なのかもしれない。
「ケンカはやめてよ!」
収拾のつかなくなった村人たちを止めたのは、白い髪の子供だった。
「……ワルトン」
「みんなで仲良く逃げればいいじゃん。いつもみたいに助け合ってさ。俺たち亜人は助け合っていかないと生きていけないって、みんながそう言ってたんじゃないか!」
先ほどまで騒いでいた大人たちが、バツの悪い顔をして顔を伏せた。
子どもから正論をぶつけられて、逆上せずに正気を取り戻せただけマシである。
広場の空気が変わり、村人たちの心がひとつにまとまった。
成り行きを見守っていたロンスも胸をなでおろす。
「人種にこの村が見つかる前に、皆で旅立つことにしよう」
今度は村長の言葉に反発するものはいなかった。
出発は半刻(約1時間)後と決まった。
村人たちが旅立ちの支度をするため、それぞれの家へと帰っていく中、ひとり広場に残っていたロンスは綺麗で透き通った声を聞いた。
「素敵な村だね。そして素晴らしい選択だ。……もう間に合わないことに目をつむれば、だけど」
慌てて振り向くと、いつの間にかサーシャが柵に腰をかけていた。
風になびく
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