2.銀杏の誘い(1)


 亜人の村の青年オッシは、狩りを生業としている。

 アクロバットな動きが得意な彼は、濃いグレーの髪色もあって村ではイルカのオッシと呼ばれていた。

 今朝も日の出前に起きると、仲間のゾマーノ、デイバムと共に森へと向かう。


 狩り、とはいっても大型の獣などほとんどいない山だ。猟果りょうかのほとんどはウサギ。運良くシカでも獲れようものなら大金星だと大騒ぎになる。


 そんな場所だから、わざわざ入ってくる人種ひとしゅもほとんどいない。

 油断をするつもりはないが、今日もウサギを十羽ほど獲って、つつがなく狩りを終えられるものだとばかり思っていた。


 しかし今日に限ってウサギがいつもいるはずの縄張りにいなかった。手ぶらでは帰れないと麓の方まで足を伸ばしたのが運の尽き。

 まさか、こんな枯れた山にまで人種が哨戒しょうかいに来ているなんて……。


 狩りの途中、森で三人組の人種を発見したオッシたちは、草むらに隠れて相手の様子を伺っていた。三人とも同じデザインの軽鎧を身につけ、腰には飾り気のないショートソードを帯びている。

 

(ちっ。あれはボルト王国の兵士じゃないか。なんだってこんなところに)


 オッシは他のふたりと視線を交わし、胸元に下げた布の袋を強く握った。

 なにかあったときのお守りとして持たされている匂い袋。

 草や土の匂いが少しだけ濃くなり、緊張でたかぶっていた気持ちが落ち着く。


「やれやれ。とんだ貧乏くじを引かされたな。いくら亜人が下等生物だっていっても、こんな辺鄙へんぴな山奥に住んだりしねぇだろ」

「大して獲物もいない山だしな。どうせ流れ者の亜人が山越えしてただけ、ってオチだぜ」


 会話の内容から察するに、どこかのバカな亜人が山を越えるところを見つかったらしい。

 そいつさえいなければ、奴らもこんなところを探りにくる必要はなかったわけだ。なんともな話である。


 やる気のない会話を続ける兵士ふたりの後方で、しきりに周囲をかぎまわっている兵士がひとり。前を歩く兵士が後ろをチラリと振り返り、ヘラヘラと笑いながら話しかけた。


「ダルシアくんは真面目だなあ。もっと適当でいいぜ、適当で」

「あ、……はい。いや、でも……」


 先輩と後輩、といった関係だろうか。

 ダルシアと呼ばれた兵士は、何かを言いたそうにモゴモゴしている。

 やがて意を決したらしく、小さく息を吸った後に、先輩らしき兵士を見据えて言った。


「……あの、あっちの茂みに――」


 瞬間、オッシの背筋に冷たいものが走った。

 あいつは俺たちが茂みに隠れていることを確信している、とオッシの本能がうるさいほどに警鐘を鳴らしていた。


 気弱な兵士の指先が、オッシたちの隠れている方を指し示す。


「――亜人がいます」

「ゾマーノ、デイバム、散れ!!」


 ダルシアの言葉に被せるように、オッシの声が響き渡った。


 オッシたちは間を置かず、別々の方向へと走り出す。誰ひとりとして村へ向かってはいない。そんなことをすれば、村の場所がバレてしまうから。

 追手を振りきること。村へ戻るのはそれからだ。


 幸運にも、追手である兵士たちは呆気にとられているようだった。いや、ダルシアだけが一拍遅れて飛び出すのが見えた。


 オッシはそれが自分を狙ったものではないことに、少しだけ安堵してしまった。


 この国の兵士たちは俊敏だ。兵士の装備が軽鎧なのも持ち前の機動力を殺さないためのもの。

 たったの一拍遅れたくらいでは、すぐに追いつかれてしまう。それほど彼我の身体能力には差がある。


 案の定、すぐにゾマーノの悲鳴が聞こえた。

 捕まったか、殺されたか。

 あわよくば後者であって欲しい。


 ここで殺された方が間違いなく幸運だからだ。

 生きたまま捕らえられれば、むごたらしい拷問の後に殺される。


 死という結果が変わらないのなら、せめて楽に死ねるほうが良いだろう。


「待ちやがれえぇぇ!!」


 ドスの効いた怒声。

 まだ少し距離はあるが、追いつかれるのも時間の問題か。


 仲間の心配をしている場合ではなかった。

 状況を理解したらしい残りの兵士ふたりも、それぞれにオッシたちを追いはじめたのだ。


 オッシは周りを見渡し、秋の終わりにだけ使える潜伏場所を見つけた。


 そこは銀杏の群生地。

 今の時期は大量の銀杏の葉が地面を覆っている。

 オッシは一際盛り上がっている銀杏の葉の山を避け、三番目に高い山へと飛び込んだ。


 十秒もしないうちに、兵士の怒声と足音がすぐ近くに迫ってきた。ここまで来たら運否天賦うんぷてんぷだ。見つからないことを祈るばかり。


「クソがっ! どこに行きやがった!?」


 オッシが落ち葉の隙間から外を覗くと、目と鼻の先で兵士が暴れていた。

 銀杏の葉の山が蹴り飛ばされ、バサバサと銀杏の落ち葉が舞っている。


「あああぁぁぁ、クセェ、クセェ、クセェんだよおぉ!! やってらんねぇぜっ!」


 兵士が地面を踏み荒らしたことで、銀杏の実がいくつも潰れたらしく、鼻が曲がりそうなほどの異臭が漂っていた。


 もう耐えられない、とばかりに兵士が踵を返して去っていった。


 オッシは静かに安堵の息を吐いた。

 ひとず、目の前の危機は去った。

 あとは村へ帰るだけだ。


 落ち葉の山から姿を現したオッシは、身体についた銀杏の葉を払い落とす。

 急いで村へと戻り、この緊急事態を村長むらおさへと伝えなくてはならない。


 オッシはすぐに走った。

 村へ向かって、最も早く帰れるルートを全速力で走った。



 それが村に災厄を呼び寄せる結果になるとも知らずに。


 彼がもう少し冷静であったなら、せめてあと半日ほど山の中に潜むだけの余裕を持てたら、未来は違っていたのかもしれない。

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