1.出会いは夏秋梢(3)


『亜人の王』とは今、亜人たちの中で半ば伝説のように噂をされている人物である。


 それぞれのコミュニティが独立している亜人の村だが、村同士では物々交換での交流が密かに行われている。ひとつの村で生み出せるもの、収穫できるものには限りがあるからだ。


 村から村への移動は人に見つかる危険が伴う。

 村の場所を多くの者に知られれば漏洩ろうえいする可能性もある。

 そのため、交流の任に当たるのは限られた者だけと決まっていた。


 交流によってもたらされるものは物品のみに限らない。

 訪れた村で情報を収集してくることも交流の大きな目的であった。


 まことしやかにささやかれている『亜人の王』の噂は、こうした亜人同士の交流によって村から村へと広まっていった。


 曰く、城下町へと潜入し、数多の亜人奴隷を解放した。

 曰く、港町を襲って、数多の人種ひとしゅを晒し首にした。

 曰く、子どものように笑いながら、ひとりで千人の兵を壊滅させた。

 曰く、巨人のような体躯を持ち、剣を振るえば竜巻が起きる。


 英雄のような噂から、バケモノのような噂まで、数え上げればきりがない。

 それが『亜人の王』だ。



▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△



「もし亜人の王がキミを救けてくれたとして、キミは何がしたいの?」

「…………え?」


 ここまで黙って話を聞いていたサーファから、不意に飛び出した問い掛け。

 ロンスはすぐに答えることができなかった。

 いや、一日の猶予をもらったとしても、これだと思える答えを導き出すことはできなかっただろう。


 サーファはロンスの苦悩をよそに、無邪気な笑顔で手を打つと、彼の目の前で人差し指を立てた。


「わかった! ミカン農家でしょ!?」

「いや、ミカンは別に……」


 ミカンの樹を育てているのは、この村で生きるために必要だったから。


 住んでいた村を追われ、この村に逃げてきたロンスにとって、村の中に自身の居場所を作ることは何よりも優先された。


 男性の中では比較的身体が小さく、水汲みも狩りも得意とはいえなかったロンスにとって、ミカンの樹を育てる仕事が空いていたのは僥幸ぎょうこうだった。


 後継者がいないのだと嘆いていた老夫を師匠と呼び、師匠を介して村の中に確固たる居場所を得ることに成功した。

 師匠が亡くなった今となっては、この村でミカンの樹を育てている者といえばロンスのことだ。


 だからこそ、流れ者にもかかわらず他の村人と同じように接してもらえるし、食料だって分けて貰える。師匠のお下がりとはいえ住居も使わせて貰えている。


 全ては生きていくため。

 つまるところ、ロンスにとって今の仕事は『やるべきこと』であって『やりたいこと』ではない。


 ならばロンスの『やりたいこと』とは何か。

 亜人として生まれ、ずっと隠れて逃げてを繰り返して生きてきたロンスには『やりたいこと』がないのだ。おそらくは他の亜人も似たようなものだろう。


 亜人なのに『やりたいこと』なんて夢物語を語る彼女の方が変わっているだけだ。


「ふうん。じゃあ、一緒に本を探す旅に出る?」

「…………え!?」

「あははは、冗談だよ。キミは本に興味なんかないもんね」


 本とやらには興味はないが、サーファと一緒に旅ができるのなら……。

 いや、それも彼女からすれば『やりたいこと』ではないのだろう。


「さて、と。遅くまで居座ってごめんね。食事、分けてくれてありがとう。ごちそうさまだよ」


 サーファが「また明日ね」と服の裾をはたいて立ち上がる。

 ショックから立ち直れていないロンスは「あ、はい」とだけ返事をして、視線だけで彼女を見送った。


「まるで風のような人だったな」


 突然ロンスの前に現れて、颯爽といなくなった。 

 果たして彼女はどうやって夜を明かすのだろうか。

 ひとりで旅をしているくらいだ。野営は日常ということも考えられるか。


 赤褐色の髪をした美女が座っていた場所を、ぼんやりと見つめながらロンスは今日の出来事を反芻する。


 心を奪われたと思ったら、その日のうちに根本から折られた。

 感情が天に昇ったり地に落ちたりと揺さぶられ現実感がない。

 まるで支離滅裂な夢を見たあとのような気分だ。


 その後のことはハッキリと覚えていない。

 気がついたら朝になっていて、ロンスはベッドの中で目を覚ました。


 昨晩のことは全て夢。

 いっそ、その方が納得できる。


 そんなことを考えながら、いつものようにミカンの樹がある斜面へと向かうロンスの前に、突然、泥と葉っぱにまみれた男が現れ、衝撃的な言葉を残して倒れた。 



「み、見つかった。……人種に、見つかっちまった……」

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