1.出会いは夏秋梢(3)
『亜人の王』とは今、亜人たちの中で半ば伝説のように噂をされている人物である。
それぞれのコミュニティが独立している亜人の村だが、村同士では物々交換での交流が密かに行われている。ひとつの村で生み出せるもの、収穫できるものには限りがあるからだ。
村から村への移動は人に見つかる危険が伴う。
村の場所を多くの者に知られれば
そのため、交流の任に当たるのは限られた者だけと決まっていた。
交流によってもたらされるものは物品のみに限らない。
訪れた村で情報を収集してくることも交流の大きな目的であった。
まことしやかに
曰く、城下町へと潜入し、数多の亜人奴隷を解放した。
曰く、港町を襲って、数多の
曰く、子どものように笑いながら、ひとりで千人の兵を壊滅させた。
曰く、巨人のような体躯を持ち、剣を振るえば竜巻が起きる。
英雄のような噂から、バケモノのような噂まで、数え上げればきりがない。
それが『亜人の王』だ。
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「もし亜人の王がキミを救けてくれたとして、キミは何がしたいの?」
「…………え?」
ここまで黙って話を聞いていたサーファから、不意に飛び出した問い掛け。
ロンスはすぐに答えることができなかった。
いや、一日の猶予をもらったとしても、これだと思える答えを導き出すことはできなかっただろう。
サーファはロンスの苦悩をよそに、無邪気な笑顔で手を打つと、彼の目の前で人差し指を立てた。
「わかった! ミカン農家でしょ!?」
「いや、ミカンは別に……」
ミカンの樹を育てているのは、この村で生きるために必要だったから。
住んでいた村を追われ、この村に逃げてきたロンスにとって、村の中に自身の居場所を作ることは何よりも優先された。
男性の中では比較的身体が小さく、水汲みも狩りも得意とはいえなかったロンスにとって、ミカンの樹を育てる仕事が空いていたのは
後継者がいないのだと嘆いていた老夫を師匠と呼び、師匠を介して村の中に確固たる居場所を得ることに成功した。
師匠が亡くなった今となっては、この村でミカンの樹を育てている者といえばロンスのことだ。
だからこそ、流れ者にもかかわらず他の村人と同じように接してもらえるし、食料だって分けて貰える。師匠のお下がりとはいえ住居も使わせて貰えている。
全ては生きていくため。
つまるところ、ロンスにとって今の仕事は『やるべきこと』であって『やりたいこと』ではない。
ならばロンスの『やりたいこと』とは何か。
亜人として生まれ、ずっと隠れて逃げてを繰り返して生きてきたロンスには『やりたいこと』がないのだ。おそらくは他の亜人も似たようなものだろう。
亜人なのに『やりたいこと』なんて夢物語を語る彼女の方が変わっているだけだ。
「ふうん。じゃあ、一緒に本を探す旅に出る?」
「…………え!?」
「あははは、冗談だよ。キミは本に興味なんかないもんね」
本とやらには興味はないが、サーファと一緒に旅ができるのなら……。
いや、それも彼女からすれば『やりたいこと』ではないのだろう。
「さて、と。遅くまで居座ってごめんね。食事、分けてくれてありがとう。ごちそうさまだよ」
サーファが「また明日ね」と服の裾をはたいて立ち上がる。
ショックから立ち直れていないロンスは「あ、はい」とだけ返事をして、視線だけで彼女を見送った。
「まるで風のような人だったな」
突然ロンスの前に現れて、颯爽といなくなった。
果たして彼女はどうやって夜を明かすのだろうか。
ひとりで旅をしているくらいだ。野営は日常ということも考えられるか。
赤褐色の髪をした美女が座っていた場所を、ぼんやりと見つめながらロンスは今日の出来事を反芻する。
心を奪われたと思ったら、その日のうちに根本から折られた。
感情が天に昇ったり地に落ちたりと揺さぶられ現実感がない。
まるで支離滅裂な夢を見たあとのような気分だ。
その後のことはハッキリと覚えていない。
気がついたら朝になっていて、ロンスはベッドの中で目を覚ました。
昨晩のことは全て夢。
いっそ、その方が納得できる。
そんなことを考えながら、いつものようにミカンの樹がある斜面へと向かうロンスの前に、突然、泥と葉っぱにまみれた男が現れ、衝撃的な言葉を残して倒れた。
「み、見つかった。……人種に、見つかっちまった……」
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