1.出会いは夏秋梢(2)


「こんなものしかなくて……。すみません」


 近くの森で伐採した木を組んだ、狭くて簡素な住居。同じ木で作られた粗末なテーブルに、みすぼらしい食事を並べていく。


「え? なんで食べ物を分けてくれたキミが謝るの?」

「いや、こんなものしか出せないのが申し訳なくて」


 頭を下げるロンスの前で、サーファは心の底から不思議そうな表情をしていた。


 この村に、いやこの村に限らずだろうが、亜人の村の食料備蓄には他人に分け与えられるほどの余裕はない。

 外からふらりとやってきた旅人サーファと食卓を囲もうと思ったら、自身に配られた一人前の食料を彼女に分けるしかない。


 かくして元より質素だった夕食――ウサギ肉のソテー、蒸し芋、ミカン――は、さらに慎ましくなって木皿に盛りつけられ、小さな食卓に並んだ。


 当然、これだけの量ではお腹はふくれない。

 だけど笑顔のサーファといるだけで、ロンスはいつもより胸がいっぱいだった。


 これはロンスなりのお礼。

 あのミカンの樹には夏秋梢かしゅうしょうと呼ばれる枝が生えていた。余分な枝を切るだけで良いのだと彼女が教えてくれたから、ロンスは数少ない貴重な樹を切らずに済んだ。そのお礼だ。


 ……と、自分に言い聞かせてはいるが、お礼を口実にサーファを食事に誘っただけだろうと問われれば、首を縦に振らざるをえない下心をロンスは自覚していた。


 食事の合間に、サーファはミカンの樹の育て方について話をしてくれた。夏秋梢を伸ばし放題にしておくと折角の養分が不要な枝の成長に流れてしまうとか、大きくなりすぎたみかんの木への対処法とか、枝を剪定せんていすることは大切だけど春に生えた枝だけは絶対に切っちゃダメとか。


「サーファさんは、どうしてそんなにミカンに詳しいんですか?」


 当然の疑問だろう。

 ロンスはもちろん、彼にミカンのことを教えてくれた師匠だって知らないような深い知識を、どうしてただの旅人である彼女が知っているのか。


「ふっふーん。それはね、旅するミカン農家だからだよ」

「ええ!? そうなんですか? だったらココで――」


 一緒にミカンを作ってくれれば、という甘い考えはサーファの快活な笑い声と共に霧散した。


「あははは、冗談だよ。ミカンは好きだけど、育てるより食べる方がイイかな」

「ちょっ……。こっちはマジメに聞いてるんですよ!?」

「ごめん、ごめん。本当はね、本で読んだんだよ」

「……ホン?」


 またしても、ロンスが初めて聞く言葉だった。


「そう。こういうの。知らない?」


 サーファがベージュ色のポシェットから取り出したのは、薄い紙の束を厚紙で覆ったような直方体。いつから持ち歩いているのか、厚紙はボロボロになっていて薄い紙の束がほどけそうになっている。


「初めて見ました」というロンスの反応に、サーファは「そっか……」とつぶやいて小さくため息をついた。


「もしかして、その……ホン? を探して旅をしてるんですか?」

「え? あ、うん。そう! そうなの」

人種ひとしゅに見つかったら襲われるかもしれないんですよ? 奴隷にされてヒドい目に遭わされたり、下手したら命を奪われてしまうかもしれないのに。そんな紙の束のために旅をしてるんですか?」

「……うん、そうだよ。それだけの価値が本にはあるからね」


 こんな紙切れのために。

 彼女はその身体も、命さえも危険に晒している。


 そんなことはロンスなんかに言われずとも当然理解しているだろう。その上で、彼女は自身の選択を笑顔で肯定したのだ。


「スゴい……ですね」


 亜人は虐げられるのが当然とされているこの世界で。

 コソコソと隠れて生きていくのが当たり前の世界で。


 どうしたら、こんな生き方ができるのだろうか。

 どうして、こんな生き方をしようと思えるのだろうか。


 遠く手の届かない存在が眩しく見える。

 ロンスは彼女が魅力的に映る理由が、少しだけわかった気がした。


 彼女はそんなロンスを、ただ静かに見つめていた。

 なにか話したいことがあるなら聞いてあげるよ。

 ロンスを見るアメジスト色の瞳がそう語りかけているようで、いつしか彼は自身の身の上を語っていた。


「僕はここの村の生まれではないんです。住んでいた村を王国の奴らに奪われて、家族もみんな殺されて、ひとりで逃げてきました」


 サーファは黙って聞いていた。

 ただ彼女の瞳が、ロンスに話を続けるよう促してくる。


「よくある話。そう思っているのでしょう? 僕もそうでした。五年前、自分が同じ目に遭うまでは。奇跡的に命は助かった。でももう、あんな目に遭うのはイヤなんです。僕は王国にも、人種にも逆らう気なんてない。ただ静かに暮らしていきたいだけなのに……、どうしてそんな些細な願いも許されないのでしょうか」


 一気に思いを吐露したロンスは、最後にぼそりと淡い期待を口にした。


「亜人の王が、僕たちを救けにきてくれたらいいのに……」

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