1.出会いは夏秋梢(1)


 世界は広い。平地に城を築かれても、海辺に港を作られても、山や森にはまだまだ多くの土地が手付かずで残っている。


 亜人と呼ばれる者たちは、こうした拓かれていない土地に密かに集まり、文字通りを忍んで暮らしていた。



 海に近い山の中腹にある亜人の村。

 人種ひとしゅがボルト王国と呼ぶ国家の領土にある。


 山から少し離れた平原に、ボルト王国の支城とその城下町があり、多くの人種が集まって暮らしているが、港もない海側の山肌まで気にする者はいない。


 沢の水を汲み、山の獣を狩り、野菜や果物を育てることで、慎ましやかながらも三十人ほどの亜人が不自由なく食べていくことができている。


 上空と海面、それぞれから届く太陽の光にロンスは思わず目を細めた。


 季節は秋の終わり。

 冬の匂いが強い海風は、強く冷たくロンスの髪を引っ張る。

 リスの夏毛に似た橙色の髪は、村では彼ひとりだけの色。

 同じ髪色をしていた愛する家族は、人種に奪われてもういない。


 ロンスは斜面に立つと、陽の光をたらふく浴びているミカンの樹をさすりながら、緑から橙へと色変わりした果実をもいだ。


 丁寧に果皮かひをむき、房を四つほどまとめて口の中へ。酸っぱさの中に広がるほのかな甘味が舌をやさしく刺激する。


「うん。上出来だ」


 このミカンの樹を育てて、果実を実らせるのがロンスの仕事だ。

 

 仕事とはいってもお金が貰えるわけではない。

 かといってミカンを売りにいくわけでもない。

 この村には貨幣はおろか、経済活動が存在しないのだ。


 体力のある者が沢の水を汲み、器用な者が獲物を狩り、細やかな者が果樹を育てる。それらは全て村の所有物となり、皆に等しく分け与えられた。


「ねえ、ロンス。ここのミカンは収穫しちゃっていいの?」


 ロンスの胸元でひとりの子供が、目を輝かせて彼の顔をみつめていた。

 雪うさぎのように白い髪に、陽の光が反射して輝いている。


「ああ。いいとも。ちゃんと橙に染まっているミカンを選ぶんだぞ、ワルトン」

「わかってるよ。ロンスの兄ちゃんの髪みたいになってるやつを選べばいいんだろ?」


 軽口を叩きながらも、素直にミカンをもいでいるワルトン少年は、村に住む数少ない子供のひとりだ。齢は九つ。今日の仕事は果実の収穫だが、ほかの日は別の大人から仕事を貰って手伝っている。


 丁寧にひとつひとつ、ミカンの色づきを確認しながら果実をもいでいる。ワルトンを見ていると、不意に数年前の自分の姿が重なった。


 彼はきっと果樹を育てるのにも向いているのではないかと思う。

 もう少し大きくなったら、ミカンの樹の育て方を教えてあげるのはどうだろうか。

 ロンスが師匠から教わったように。

 

 ワルトンが果実の収穫をしてくれている間、ロンスは山の斜面にところ狭しと生えているミカンの樹を見て回った。


 果実の数が少なく、妙に長くて太い枝が多く生えている樹がいくつかある。いくら樹が立派でも、果実が実らなくては意味がない。

 しかしロンスには理由がわからなかった。師匠にもこんなことは教わっていない。


「なにかの病気だろうか……」


 もしも他の樹にまで影響があっては困る。

 いっそ、これらの樹を切り倒してしまった方が安全策かもしれない。


 しかしこのミカンの樹は、貴重な食料を生む宝の樹である。

 切るべきか、切らざるべきか、それが問題だ。


「病気なんかじゃないよ。それは夏秋梢かしゅうしょうだよ」

「カシューショー?」


 それは聞いたことのない言葉だった。

 それは聞いたことのない、とても綺麗で透き通った声だった。


 ロンスが声のした方を振り向くと、キタキツネを彷彿とさせる赤褐色の髪をした、妙齢の亜人女性が海を背にして崖に立っていた。


 太陽を背負い、肩口まである髪は強烈な海風でバサバサと踊っている。

 逆光で顔がはっきり見えないにもかかわらず、ロンスは不思議とその女性に目を奪われた。


 実をいうと『カシューショー』なんかよりも、女性の方が気になって仕方がない。


「僕はロンス。あなたは誰ですか?」

「サーファだよ、よろしく。そんなことより、早く切っちゃおうよ」

「え? 切るの? ……ですか?」

「え? 切らないの? ……デスカ?」


 ふたりはキョトンとした顔で見つめ合う。

 これがロンスの人生を変える女性、サーファとの出会いだった。

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