第4話 家族の絆は何よりも強い

私が現状を把握し、途方にくれていると、二階の自室にいながら、屋敷の玄関扉が力強く開け放たれる音が聞こえた。

「メラルダ! メラルダはどこだ!」

屋敷に響き渡る声。お父様のものだった。

「だ、旦那様。お帰りになられたのですね」

「ああ。娘の一大事と聞いて、隣街との会合をキャンセルして引き換えしてきた。それで、メラルダは? 無事なのか?」

「はい。先ほど意識を取り戻され、外傷などはございません。ーーあ、あの。呪いのことは?」

「ん? ああ。聞いているとも。娘が臭いなどと、不届きな話だったが。ーー愛娘が臭いわけがないだろう。なにをバカなことをと一蹴してやったわ。ーー鼻栓だと? 貴様、私と娘を愚弄する気か?」

そんなやり取りをしながらお父様がこの部屋に近付いくる。

勢いに任せてお父様は自室に入ってきた。

ふっくらとした身体にくるんと曲がるアゴヒゲがトレードマークの父。

「お、お父様」

普段は私腹を肥やしていると揶揄されるような醜い体型で、見ていられたものではないのだが、こんなにも、お父様の顔を見て安心したことなどあっただろうか。

不安感で押し潰されそうだった私に絶対的な味方が現れた。まるで光明が挿したような、そんな錯覚をした。

「おお。メラルダ! 無事でよかったっくっせぇっぇぇ! なんだこれは! この屋敷はいつから肥溜めを流しこんだのだ!」

 お父様は鼻を押さながら叫んだ。

「……ぐすん」

 儚い望みだった。私はほろりと涙を流した。

「ま、まさかこの臭いは、メラルダのものなのか?」

「……はい。そうみたいです。ーー臭いですか? 私は、お父様にも、臭いのですか?」

「むむむ……。く、さくなーい! 大切な娘を臭く思うわけないだろう! 思うわけ……思うわけがーー」

少しずつ近寄ってくるお父様。もう少しで手の届きそうな距離。

「お父様」

「うぉ、息もくっせぇ! この間食べたババロアよりもくっせ!」 

「……ぐすん」

 再び、私は涙した。

 お父様は罰が悪そうにしながらも、侍女から鼻栓を受け取り装着した。

 プライドよりも自己保身を大切にしたようだ。そのまま、私一人を自室に残すように従者に命じて、部屋を後にした。

 肉親にまで遠ざけられては、ショックを隠しきれない。母は他界しているので、残る家族は敬愛するお兄様のみ。

(ああ、ダメ。お兄様にまで臭いといわれたら、私、生きていけない!)

 ベッドの上で涙していると、屋敷内が再び騒がしくなる。

「ええい。離せ! 俺は妹に、メラルダに会いたいだけなのだ!」

「行けません。お坊っちゃま。旦那様より、誰も立ち入らせるなと厳命が出ております」

「そのような命、聞くに耐えん! 家族に会うのに、何を躊躇う必要があろうか」

 扉の向こう側から、お兄様の声が聴こえてくる。

「お兄様!? お帰りになられたのですか!」

 私は扉の前まで駆け寄ると、身を寄せるように扉にすがり付く。

「おお。メラルダ! やはり、部屋に籠っていたか。声が枯れている。おおかた、このひどい仕打ちに涙していたのだろう。この兄が戻ったからには大丈夫だ。お前を閉じ込めたりしない。さあ、この扉を開けて、顔を見せておくれ」

「お兄様……嬉しいです、とても。ですが、この扉を開けるわけにはいきません。もはや、私は穢れた身。お兄様にまで嫌われてしまったら、私はとても生きてはいけません!」

「何を言う! 例え、世界の誰もがお前を嫌う日が来ようとも、俺がお前を嫌う日がくるはずもない!」

「ですが……」

 例えお兄様の言葉であっても、容易には受け入れられない。

 お兄様に鼻栓をさせるような無様を味わわせるわけにはいかないのだ。 

「メラルダよ。この兄がお前に嘘をついたことが一度たりともあっただろうか?」

優しい声色。見えていなくとも、優しげな微笑みを浮かべるお兄様の顔が目に浮かぶ。

「お兄様……。いいえ、そんなことあるはずもございません。お兄様はいつでも私に優しくて、素敵なお兄様です!」

「ならば、この兄を信じよ! お前を決して一人にはしない!!」

「お兄様!!」

私は兄に説得され、二人を隔てていた扉の鍵を開けた。

ガチャっという音は、屋敷の中に響き渡ったようで、ざわざわと空気が慌ただしくなるのを感じた。

「扉がひらくぞぉぉぉ! 鼻栓、着用、急げ!」

「いやぁぁぁ。鼻栓、どこ! どこに仕舞ったのぉ!」

「申し訳ございません。わたくし、少々、お手洗いに行かせていただきます」

「お姉様ズルいです! わたくしもお手洗いにーー」

「いけません! 侍女たるもの、慎みなさい! 旦那様の前なのですよ!」

「旦那様は、とっくに書斎に逃げ込まれていらっしゃいますぅー」

「あの、ダメ親父が!」

そんな会話が繰り広げられているにも関わらず、私は孤独に耐えかねて、鍵を開けてしまった。

さすがに自分で扉を開けて外に出る勇気はなかったので、お兄様が入ってくるのを待つ形だ。

後退りながら、扉との距離を開ける。

しばらくすると、隙間が大きくなりお兄様が部屋に立ち入ってきた。

長身で整った顔立ち。自分に厳しく他人に優しくを体現した、この街一番のモテ男。私の自慢の兄。

「お、兄様ーー」

お兄様は、見慣れた魅惑的な笑みを浮かべていた。

鼻栓など無粋なものはしていない。麗しの王子そのものだった。

「ほら、メラルダ。大丈夫だっただろう? 怯えることはない。もっと近くにきていいんだよ」

壁際まで離れていた私は、その言葉を耳にし、居ても立ってもいられずに駆け出した。

「お兄様! 愛しております! お兄様ぁぁ!」

幼い頃から発病している禁断の恋心が、燃え上がるように胎動していた。

長身な兄の首元に飛び掛かるように抱きつき、訓練をつまれた細身で筋肉質な身体に体重を預ける。

胸が熱く、自然と涙も溢れてきた。

安堵と共に、救われた気持ちになったのだ。

「ははは。メラルダのその言葉は久々だ。こらこら、そんなに力強く掴まなくても、兄は何処にもいったりしないぞ。よし、このまま、昔のようにクルクルしてやろう」

幼い頃のように、お兄様は私を抱えたままその場で回りだす。何とも言えない浮遊感が私を童心に回帰させた。

なんと心地よいのだろう。所詮、ユウリなど見せかけの美形。私とお兄様の関係を邪に勘繰った父の宛がった模造品。本物は常にお兄様にしかなかったのだ。

「お兄様! このまま、私を連れ去ってーーぐへぇ!!」

 気がつけば身体はベッドの上でバウンドしていた。

 どうやら、回転の最中にお兄様から離れてしまい、飛ばされてしまったようだ。

 飛ばされた先にベッドがあったことが不幸中の幸いだろう。けれど、私の身体はしっかりとお兄様が掴んでいたはず。どうして、身体から離れてしまったのだろうか。お兄様は故意に掴んでいた手を離したとは思えない。まさか、私の身体がお兄様の想定以上に重たかったということなのだろうか。それが真実だとしたら、一週間絶食する。絶対する!

 ベッドから起き上がり、お兄様に目を向ける。

お兄様は膝をついてた。身体を小刻みに震わせながら、懸命に堪え忍んでいるようだった。お兄様の身体に異変が起きていることは直ぐに伝わった。

「お、お兄様?」

 心配の眼差しを向けていると、お兄様はゆっくりと立ち上がり、変わらぬ笑顔を向けてくれる。

「……メラルダ。すまない。俺としたことが、トレーニングのし過ぎで、腕の力が入らなくなっていたようだ。怪我はしてないか?」

「は、はい。大丈夫です。私こそ、年甲斐もなくはしゃぎ過ぎてしまいました。すみません」

「何を言う。甘えてくれていいのだ。先程は、お前ほどの華奢な身体を支えきれなかった俺に落ち度があっただけのこと。ーーさぁ、続きといこうじゃないか。おいで、メラルダ。遠慮など、俺たちの間には不要だ」

「お兄様ーー」

満面の笑みを浮かべながら、お兄様は両腕を広げて、私の全てを受け入れるという意志を全身で表現してくれている。

 私はお兄様の胸に再びとびつきたい衝動に駆られた。

 しかし、しかしだ。私にはできなかった。

 完璧超人たるお兄様が膝をついた。その立ち振舞いから、お兄様の不調を感じ取ってしまったのだから。

私はなんて幸せ者なのだろう。こんなにも家族に愛されていることを実感できるなんて。

私はその場で泣き崩れた。

嬉しさと哀しみ。相反する二つの感情が入り交じり、私はまともではいられなかった。

「どうして泣いているんだメラルダ。もしや、俺の不注意で、どこか身体をぶつけていたのか? この兄に見せてくれ。具合を確かめようではないか」

お兄様は不安げに私に近付いてくる。

「来ないでください!」

「!?」

「違うのですお兄様。身体はどこも、痛くありません。ですがーーーー苦しいのです。お兄様の優しさが。ーーーー我慢しているのですよね? 私の臭さに。それも、身体の不調をきたすほどに」

「何を、言っているんだ。我慢など。お前を臭いなどと思うわけがないだろう」

「いいのです。お兄様。もう、いいのです。そのように、目を血走らせ、全身を強ばらせながら、震える手足を強引に動かしていては、お兄様の身体が壊れてしまいます。私はもう、お兄様のお言葉だけで十分です。だから、部屋を出ていってください。お願いします……」

本当は嫌だ。一人になりたくない。側にいて欲しい。そう望みながらも、他愛な希望を圧し殺し、私はお兄様を遠ざけることにした。

そうしなければ、お兄様は無理をする。身体が壊れようとも、傍にいようとする。それを悟っていたからだ。

だが、お兄様は、優しすぎた。

泣きじゃくる私に近付き、ぐっと抱き寄せてくれる。

「馬鹿者。泣いている妹を放ってなどおけるものか。本心を隠して、俺のことを案じてくれる優しい妹のことなら、なおさらだ」

「お兄様……ごめんなさい。ごめんなさい!」

私はお兄様の腕の中で更に泣いた。涙が枯れるまで泣き叫んでいたので、お兄様が私を抱き締めたまま気を失っていることに気付けなかった。

お兄様の瞳から血の涙が流れていた。どれほどの苦しみか。その血の痕が物語っていた。

お兄様の愛情を噛み締めた私は、侍女を呼び、お兄様を自室へと運んで貰った。

そして、一人になった私は孤独でお兄様の熱が身体から抜け落ちないように、身体を抱え込むように眠りについた。

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