後日談 『明日キミは、あの人の彼氏』 その2
月曜日の放課後。
窓の外から聞こえる、陸上部や野球部の声が響いた教室には、俺と莉奈だけが残っていた。
「ねー。湊はどこがいいと思う?」
机を挟んで莉奈の声。
彼女の手元にメモ帳に目を向けてから俺は、ゆっくりと顔をあげる。
「んー。やっぱりセオリー踏んどくのが安牌って感じがするけどな。ほら、『ミミズフレンズ』テーマパークとか。最近風花ちゃんハマってるだろ」
しかし、莉奈はその大人っぽい眼差しを一瞬こちらに向けてから。はぁ、と深くため息を吐き出す。
どうやらこの案はないらしい。
「あのさ、失敗したくないからって、安全な橋渡るのやめてもらっていい? てか私、あれ苦手なんだよね」
「まじか、それはもったいないな。ほらこんなに可愛のに」
俺はカバンから細長いフェルト上のものを取り出すと、目線の位置でちらつかせる。
俺が持っているものは、水色の体をしたやつなのだが、他にも色とりどりの色と、表情が可愛いと、最近人気を博しているのだとか。
「それ今すぐやめて。じゃないと、湊の口の中に捩じ込むから」
「怖えよ」
暗い茶髪の前髪から覗く、殺意高めな視線にゾッとして、俺はカバンにミミズフレンズをしまう。
再びため息を吐き出した彼女は、メモ帳に4つ目のバツをつけた。
「せっかくの風花ちゃんとの外出……なんだけど、どこなら喜んでくれるんだろ」
「まぁたぶん、どこ選んでも喜んでくれそうな気はするけど、正直難しいよな」
そう言って俺も、スマホの画面を眺めてみるも、『おすすめ! 13選!』と言う文字にため息をついた。
近々、風香ちゃんと外出することになった。
と言うのも、つい先日、養護施設にお手伝いに行った時。
施設で働く『汐田さん』 から、依頼を受けたのだ。
最近、風花ちゃんがどこかに遊びに行きたい。とねだるようになり、本当は汐田さんが連れて行こうとしたのだが。
風花ちゃんが俺たちに懐いているため、そっちの方が本人も嬉しいんじゃないか? と思ったらしい。
もちろんその依頼を快く受け入れた俺たちだったのだが。その外出が土曜日に迫る中、肝心な場所をまだ決められないでいた。
シャープペンでメモ帳をコツコツと突く莉奈に俺は言う。
「まぁ、ここまで来たら風花ちゃんに、直で聞くって言うのも手段だよな」
「そう……だよね。そうしよっか」
そう、小さく息を吐いた莉奈。
するとその瞬間、教室のドアがガラリと開いた。
俺と莉奈が同時にそちらへと顔を向ける。
すると。
「あ、2人とも、お疲れ様〜。もしかして勉強してた?」
邪魔しちゃたらごめんね。と柔らかい笑みを浮かべたのは、いつも通り、笑顔が眩しい文乃さん。
しかし、普段と違うところがあるのなら、珍しくマスク姿であったと言うところだろう。
「篠崎先生、お疲れ様です」
と言った莉奈に釣られて、俺も小さく会釈をした。
「てか、文乃さん、そのマスクどうしたんですか?」
「あー、えーっとね。さっき倉庫の片付けしてて、埃を吸わないようにしてたんだけど、ちょっと埃の方が凄くて」
こほこほ、と小さく咳き込んだ文乃さん。
確かにその声も、普段よりも掠れている気がする。
「大丈夫ですか? 水買ってきましょうか?」
「うんん。気を遣わなくて大丈夫だよ。ありがとね、湊くん」
すると彼女はやんわりと微笑んで、こちらへと足を進める。
「なになに? もしかして何か迷ってるの? いいね〜。若いうちはやっぱり迷わなくちゃ」
「先生だって、十分若いでしょ……今度風花ちゃんと外出するんですけど、行き先に迷ってて」
そうため息を吐いた莉奈。
一方、目を大きく開いた文乃さんは、
「フッフーン。なるほどなるほど……。そう言う時はやっぱりここ! 今一番流行ってるんだから!」
と、彼女がブラウンのテーパードパンツから自信満々に掲げたそれはスマホだった。
いや、正確にはスマホにぶら下がる、ピンク色をした細長い物体で。
「ミミズフレンズパーク! 今なら期間限定のグッズもあるんだって!」
「……湊」
「いや、何で俺なんだよ」
莉奈の殺気だった視線に目を逸らすと、俺はため息を吐き出す。
てか文乃さんもそれ持ってたんだ。
まぁしかし、彼女には黙っておこう。
今そのピンク色のやつが、卑猥なグッズにしか見えないと物議を醸し出していることを。
「え、もしかしてこれは却下済みだった?」
「はい。今さっき莉奈が……いや、安直な考えはナシって話になりまして」
「あー、そうなんだ。ごめんね、余計なこと言っちゃって」
苦笑を浮かべながらスマホをポケットに忍ばせた文乃さん。
その困った様子の表情も、「やっぱり美人だなぁ、この人」なんて、ふと思ってしまったのは内緒にしておこう。
彼女はユッサユッサと、黒色のサマーニットで強調された胸を揺らしながら、こちらに近寄ると、莉奈のメモ帳を覗き込む。
「えーっと、遊園地、公園、川遊び……どれも悪くないと思うけど」
「あー、えーっと文乃さん、それが……」
すると、深く息をついて、莉奈が口を開く。
「遊園地は、やっぱり高校生の金銭的な問題と、待ち時間の長さ。公園は、せっかくの外出なのに、いつもの延長線になるから却下。川遊びは単純に危ないから却下……」
「……とまぁ、こんな感じです」
俺は苦笑を浮かべて、文乃さんの方へと顔を向ける。
きっと、莉奈の却下事情に何か圧力じみたものを感じたのだろう。
文乃さんは、「そ、そっかぁ〜」と控えめに言って、顔を逸らした。
少しだけシーンとした教室。
きっとその理由は、この会議だけではない。
俺が思うに、きっと、莉奈と文乃さんの関係というか、置かれている立場なのだろう。
自分で言うのは恥ずかしいが、莉奈から見れば文乃さんは、元カレの今カノな訳だし。
文乃さんから見れば莉奈は、今カレの元カノ、な訳だ。
側からこの関係を見た時、むしろ和気藹々とみんなで仲良くおにぎり食べよう。なんて切り出す方が難しいだろう。
こうしている間にも、莉奈のシャープペンコツコツの速度は上がってるし、文乃さんは……キョロキョロしてて、なんか可愛いし。
……。
ここは俺が何とか。
「あ、あの、とりあえずなんか飲み物」
だがその瞬間。
「ふ、ふふふっ。私、気づいちゃった」
俺の言葉をかき消すように、華奢な声を出したのは紛れもない文乃さん。
なんだ、この状況で何を言うんだこの人は。
なんて、期待感と不安感の中、俺は彼女の次の言葉に、こくりと唾を飲み込んだ。
そして。
「莉奈ちゃん! ズバリ、リスクヘッジは完璧ってわけだね!」
…………。
……。
「え?」
「は?」
なんて、ほぼ同時に、俺と莉奈の息が漏れる。
いや、何かの間違いだ。流石に何かあるだろう。
今のはあくまでツカミ。新聞で言うところの大見出し。カクヨムで言うところのキャッチフレーズ……。
「い、いやね。ほら! 金銭面的にぃ〜とか、いつもみたい〜とか、川は危ない〜とか! 私だったら考えられないなぁ〜って」
「……はぁ、期待して損した」
「今更なに有能ぶってるんですか文乃さん。そういうのは自宅に帰ってからにしてください」
これまたタイミングよくセリフが被った俺たち。
「えぇ〜、2人ともひどぃ〜!」
なんて、ふにゃふにゃの涙声の彼女を横目に、俺たちは候補を上げ続けた。
まぁ、その最後に何だかんだあって。
「うぅ……ぐす……こうなったら、私だって、とっておきがあるんだから」
そう言ってスマホを取り出し画面を操作し始めた文乃さん。
またピンク色のミミズがブラリと揺れて、莉奈の鋭い視線がこちらを向いた。
いや、だから俺は悪くねえって。
「これ……ちょうど4枚あるの」
そう言って、机に置かれた彼女のスマホに目をむける。
その内容をすぐに理解した莉奈は。「……え、これすごくいいじゃん」と、声のトーンを上げる。
すると、「でしょでしょ!」みたいな表情をした文乃さんに、
「調子に乗らないでください」みたいな視線を俺が送ると、彼女はしゅんとして口を開いた。
「この前、福引きしたら当たってね。4枚もあるし1人じゃ使いきれないなーって思ってて」
「……篠崎先生」
「ん? なーに?」
「これ、3枚もらえませんか?」
そう席を立ち上がり、文乃さんの手を両手で包み込む。
幼馴染のこんな姿、初めて見た……。なんて思っていると、文乃さんは一瞬目を開いて。
「……なら、条件付きで、ね?」
莉奈の手を優しく解くと、逆に彼女は両手で華奢な手を包み込む。
目を細めて、どこか余裕のある表情を浮かべた文乃さんは、ふふっと鼻を鳴らして言った。
「この日は私も同伴すること。流石に生徒にチケットだけ渡して「はい、言ってらっしゃーい」とは。できないからね」
「……そう、ですか」
「それに、風花ちゃんだよね? 私も久々に会いたいなーって」
そう文乃さんがいうと、莉奈は目を見開く。
しかし彼女は、すぐにいつものクールな表情に戻すと。
「ふふっ。せんせー、そっちが本音なんだ」
「えー、先生何も言ってないんだけどなー。でも悪い条件じゃないでしょ?」
とある放課後の、そんな一幕。
最後の方に関しては、まるでドラマとかのそういうシーンでも見ているのかって思うぐらい、何だか2人の会話に迫力を感じていた。
……だけど、この話が現実になって、俺は妙な緊張感を覚えた。
ある意味この日は修羅場になるかもしれない。
……そう、思っていた。
しかし……。
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