第33話 体操服と砂煙と、赤いバトン。

 一週間後、快晴の空の下。体育祭が始まった。


 生徒会や実行委員会との打ち合わせ通り、機材を設置したり音量を調整したりと、慌ただしいスタートを切った放送委員会。


 まぁ、そりゃ部員が3人しかいないわけだから、もちろん一人当たりの仕事も増えるわけであって……。


 そして、そんな放送部に臨時の助っ人がやってきた。


「おうおう! マヤパイセンが来てやったぜ! 今日はシクよろ〜。私、仕事覚えんの鬼早いから」


「あはは……麻耶ちゃん……。あ、私は葵って言います。今日一日よろしくお願いします♪」


 そう、白いテントの中で初顔合わせをしたのは、。亜麻色の髪の毛が特徴的なギャル『海野うみの麻耶まや』先輩と、小柄で黒いボブカットが特徴的な可愛らしくて清楚な印象の『恋瀬川こいせがわ あおい』先輩だ。


 どちらも、面識はないものの、やはり恋愛の話になると絶対に上がって来る名前で、すれ違った人の視線を釘付けにするほど、顔も整っていると思った。


 でも、確か噂では黒髪の方の葵先輩は、今大学生の先輩と付き合ってるのだとか。


 こんな清純そうな感じなのに、もうそういうこともいっぱいしているのだろうか。そんなこと考えていると、隣の莉奈が元気よくあいさつする。


「私は『市川 莉奈』って言います。本日はご支援いただきありがとうございます♪」


「ほうほう。キミが噂の莉奈ちゃんか〜、へぇ〜可愛いねぇ〜。いや〜やっぱり可愛い子はいいねぇ〜、眼福眼福〜」


「あはは、ありがとうございます麻耶先輩。てか、麻耶先輩こそ、そのネイルめっちゃ素敵です!」


「おー! 見る目あるねぇ〜! よし気に入った! マヤ、今日は後輩のために頑張っちゃうよ!」


「もう麻耶ちゃん、いつもそうやって調子に乗るんだから……ごめんね。えーっとそちらの……」


「あ、俺は鹿島って言います」


「へぇー鹿島くんかぁ。ね、下の名前、なんていうの?」


 そう言って葵先輩は下から覗き込むように俺を見る。


 そのパチリとしたどこまでも吸い込まれてしまいそうな青い瞳に、思わずどきりとしつつ、「湊、です」と答える。


 すると葵先輩は元の体勢に戻り、うん。と頷いた。


「そっか。それじゃ今日1日よろしくね。湊くん♪」


 そんなやんわりとした笑顔に、思わずどきりとする。


 あぁ。この人絶対にモテるんだろうな。


 なんて思っていると、突然、莉奈に足を蹴られた。


 その後、越川先輩が合流し、お互いの役割の打ち合わせや、休憩時間を確認をして、みんながそれぞれの持ち場に戻って行った。


 その途中、文乃さんと会ったけど、お互い目を逸らして、すれ違った。





 今思えば、あの日、文乃さんが俺にしたキスは、別れのキスだったんだと思う。


 もうこれ以上、私たちはお互いに関わらない。


 そんなキスだったんだと。


 その翌日から、隣の部屋から何かを落とすような音や、お皿を割るような音は聞こえなくなった。


 カードキーを忘れて、俺に連絡をしてきたり、もちろん、俺の部屋のインターフォンを押すことも。


 端的に言えば文乃さんは、成長したのだ。


 もう、彼女はもう一人で生きていける。そこに俺は必要ないのだろう。


 そして、体育祭の午前中の部が終わり、俺と莉奈は放送室で肩を並べて座っていた。


 —— 次の競技は男子バスケ決勝戦、13時30分からになります。競技が終わった方や、職員室で冷房に当たっている先生方は、ぜひ応援をよろしくお願いします。


 莉奈がマイクから顔を離すと、マイクのスイッチを切りふぅ、とため息を吐き出す。


「お疲れ様、莉奈」


 そう声をかけると、莉奈はこちらに顔を向けて微笑む。


 椅子を近づけると、肩を寄せた。


「ん、疲れた」


「そっか」


 そんな短い会話をして、莉奈は俺の肩に頭を乗せる。


 シャンプーの匂いに混じって、ほんのりと汗のような匂いがして、少しだけ、どきりとした。


「てかさ湊。朝、葵先輩に見惚れてたでしょ?」


 そんなセリフが右耳のすぐ横で聞こえてゾクりとする。


「まぁ、あの先輩可愛いなーとはおもっt……って、痛えよ」


「むぅ……」と頬を膨らませ莉奈は俺の耳たぶを引っ張る。


「そういうの、私の前ではダメだから」


「あぁ、ごめ……」


「んっ……」


 すると突然、莉奈が突然立ち上がったと思えば、俺の顔に手を添え、唇を重ねる。


 柔らかい唇と、口の中でぬるぬると動く、莉奈の舌の熱。


 時折、彼女から洩れる妖艶な息遣いに、早くなる心臓。


 彼女の背中に回しかけていた手が、途中で止まった。


 文乃さんに言われた『愛してあげて』なんて言葉が、釘のように俺の胸に深く突き刺さった。


 文乃さんとの恋は終わった。いや、あれを恋と言って良いのか分からないけど、でも、彼女は莉奈を幸せにしてほしい、と最後に言ったのだ。


 なら……。


「んっ……はぅ……っ!」


 莉奈の背中に腕を回した瞬間、彼女の体がびくりと震える。


 それで熱が入ったように莉奈は、対面になるよう、俺の太ももの上に腰を下ろし、首の後ろに腕を回した。


 そんなに大きくはないけど、体に押し付けられる胸と、さっきよりもはっきりと感じられる莉奈の匂いに……。


「はぅ……んっ……ん? 湊……これ」


 俺のものは反応した。


 これはいくら相手が幼馴染だからと言っても、結構恥ずかしい。


 いや、むしろ幼馴染でお互いのことを知りすぎてしまっているから、なおのこと恥ずかしいのだ。


 仕方ねえだろ。と彼女から顔を逸らす。


 すると、莉奈はふふっと鼻を鳴らし、俺の耳に口を近づけた。


 そして。


「今日の放課後、コンビニ寄って帰ろっか」


 そんな耳打ちに、また心臓を早める俺だった。


 でもそれは、文乃さんへの思いを誤魔化すためにわざと、莉奈に沼っているような気がして、なんとも言えなくなった。


 ……結局のところ、俺も莉奈幼馴染に依存していたんだ。



 



 そして、体育祭もいよいよ大詰め。残すはクラス対抗のリレーのみとなった。


 この学校は、1学年につき、1クラスが約40人、5クラスあり、1、2、3年生の総数は、約600人になる。


 しかし、どうしてもこの人数が走るとなると、場所も時間も限られてくるため、毎年リレーはクラスを半分に分けてチームが作られるのだ。


 まぁ例えば俺たちのクラス2年3組だとしたら、『2—3ーa』と『2—3—b』が存在する。


 そして、できたチームが大まかにA〜Eブロックに分かれ、そのグループの一位が各々決勝に進む。


 流石に40人でバトンを回すと、それなりに時間がかかってしまうから、それを半分にして、どんどん回そう。という魂胆らしい。


 そして、俺と莉奈は『b』の方に振り分けられており、莉奈がアンカーで俺が彼女にバトンをわたす走順になっている。


 そして、総数30チームによるブロックトーナメント式のリレーが始まった。


 元々、俺たちのクラスにはスポーツ推薦や陸上部のやつが多く。『a』も『b』も順調に勝ち上がった。


 そして、決勝に進むチームを決める最後のEブロックのリレーの時だった。


「あ! 和茶ちゃん!」

 

 俺の隣に座っていた莉奈がグランドに顔を向けたまま、突然立ち上がる。


 すると、青い鉢巻きをつけたアンカーにバトンを渡した直後、和茶が盛大にこけたのだ。


 白い砂煙の中、救護班が彼女に駆け寄る。


「湊、私ちょっと行ってくる」


「あぁ、わかった」


 短い会話を交わし、莉奈は和茶の元へと走っていった。


 その後、何とか1位になったaチーム。運がいいのか悪いのか。決勝には2年3組が全員参加することになったのだ。


 決勝は約15分後に入場、開始はさらに5分後になる。


 すると早速決勝に1クラス丸々残ってる学年があるという話題で持ち上がっていた。


 そう、これでうちのクラスは最低でも総合で4位以上は確定しているのだ。30チームある中で競い合った結果としては、なかなか良いものなのだろう。


 だがやはり、ことはうまく運ばないもので、


『和茶ちゃん、傷口がひどくて、病院に行くことになった』


 という、莉奈のクラスラインが流れ、一度、教室に2年3組が集まることになった。


 まぁ、単純に走る人が一人減ってしまったわけだから、誰か一人がもう一回走るか、もしくは誰か一人増やすか、のどちらかになるのだ。


 そして、待ってくれない開始時間の中、ギスギスした空気の中で手を挙げたのは、


「わ、私が代わりに走る」


 教室の端っこから、突如上がった華奢な声にみんなが一斉に振り返ったと思う。


 どこか恥ずかしそうに黒い前髪を揺らした文乃さんは、あはは。と微笑んだ。


「私、高校生の頃とか水泳部だったから、まだ走れると思うの。だから、和茶ちゃんの分、私が走るね」


 すると、急に変な盛り上がりを見せた男子達。文乃さんの前に走る男子に「ちゃんと、文ちゃんにバトン渡せよ〜」と女子も楽しそうに肩を叩いた。


 こうして、何とかリレーメンバーを揃えることが出来た俺たちは、いざ決勝のグランドへと戻った。


 そして、


「位置に着いて! よーい……」


 パンっ! 一発の破裂音と共に、一斉にランニングシューズが砂埃を上げた。





 グランドのコースの周りには大勢の生徒がリレーの行末を見守っていた。


 バトンが渡るたびに歓声や応援に混じって、普段は言えないことを言ったりと。まぁ高校生らしい声が上がった。


 それに、まるで燃料を投下するように放送がうまいのだ。


『さぁー! 一番最初にバトンが回ったのは2年2組! その後ろを追うのは3年1組の早坂くんだぁーっ! 早坂くんを狙ってる女子のみんな! 応援をしくよろ!』


 そんな、麻耶先輩のアナウンスと同時に笑いと、女子の黄色い悲鳴が溢れかえる。


『もぉー! 麻耶ちゃん! ちゃんとやってよぉー! あ、えぇ〜!? マイク入ってる!?』


 そんな葵先輩の声に、またもや笑いと「いいぞー! 葵ちゃーん!」という声が聞こえた。


 そして、そんな中、少しずつ前に押し出されてくる俺と文乃さんは、静かに肩を並べていた。


 単純にアンカー前の和茶と変更になったのだ。そりゃ、俺と同じ順番で走ることになるだろう。


 久しぶりに文乃さんの隣に座ったというのに、何も話せない。


 そんな悔しさみたいなものに、ため息を吐いているうちに、やがて俺たちがスタートラインに立つ順番がやってきてしまった。


 反対側にバトンが渡る。先頭が俺たちbチーム。文乃さんが受け取るバトンは現在4位を走行中だ。


 俺だってそこまで足が遅いわけじゃない。むしろ比較的早い方にはいるのではないだろうか?


 でも、この周りに見られているというか、この環境に慣れない。


 あぁやばい……、なんか足震えてきた。


 するとその瞬間、


「湊くん、大丈夫だよ」


 そんな優しい声と同時に、俺の背中に暖かさを感じた。


 ぽんぽんと俺の背中を叩き、にへらと微笑む文乃さん。


 彼女のジャージ姿は何だか子供っぽくて、面白かった。


「ふふっ。なんか文乃さんのジャージ姿新鮮です」


「そう? でも、確かに普段着ないからね」


「はい。でも、なんか似合ってます。うまく言えないですけど、文乃さんって感じがします」


「え〜、何それ……。ふふっ、湊くん。後で追いつくから、先行ってらっしゃい」


 文乃さんがそう言うと、背中から暖かさが消えて、すぐに俺の名前を呼ぶ声が、背中から聞こえた。


 それを合図に走り出し左手を伸ばす。


 バトンを掴む。俺のすぐ後ろを走る足音に抜かされないよう、必死に足を回転させた。


 自分の呼吸音と、すぐ後ろの足音。


 白線が緩やかに弧を描き、上半身が少し浮く感覚。


 そして、視界の少し先で、莉奈が笑みを浮かべ、その横で越川先輩の怪訝そうな表情が見えた。


 だが、その次の瞬間。


『おぉーっと! 2年3組! あれはaチームか! 一人転倒してしまいました!』

 

 そんなアナウンスが聞こえ、俺は視線を左に向ける。


 すると、視界の先で転がった赤色のバトンと、


 砂煙を上げた文乃さんが目に映った。






 


 

 

 


 







 

 

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