第27話 『うさぎさん人形』と『白い有線』 その3
『鹿島くん』から湊へ。そして『市川』から莉奈へ。
そんな関係に変わってから、少し時間が経って、俺たちは小学5年生になった。
「お〜凄いな。莉奈ドラマに出るのか」
放課後、いつしか自然な流れでウチに上がり込むようになっていた莉奈。
今日は俺にドラマの企画書を渡すと、本人はソファーで本を読んでいた。
白黒のプリントの表紙に、『流出厳禁』と力強く書かれた文字を見て、ため息を吐いた。
「まぁ今のところは、第一話と第二話の中盤に少しだけど」
「いや、それでも凄いけど……つーか、これ俺に見せても良いのかよ?」
「んー、大丈夫だと思う。湊、誰にも言わないと思うし、それに、私以外に友達いないもんね」
本の上から視線だけをこちらに送った莉奈。その目元はどこか嬉しそうに細くなったいた。
「まぁ、否定はしないけど」と、企画書を開く。
お互いの名前で呼び合うようになってから、俺と莉奈の距離感はこんな感じだった。お互いに気を使わず。手を伸ばせばお互いの体に触れてしまいそうな距離で、どうでもいい話をする。
それに、幸いなことに母の職場が安定したことにより、直近での引越しはないと言うのも、そうなった一つの要因かもしれない。
まぁつまるところ、まだ数年は莉奈とこうしていられると言うことだ。
久しぶりの、心の許せる存在がいる心地よさに、俺は小さく鼻を鳴らす。
俺はページをめくり、企画書に目を一通り通した。
「……って、本当に出番少ないじゃん」
「いや、だから言ったじゃん」
莉奈は、少し不貞腐れたように言った。
それから、一週間が経過して、莉奈はドラマの撮影のために、度々学校を休むようになった。
それで暇になった俺は、初めてそこそこ高いイヤフォンを買った。学校にスマホ以外の電子機器の持ち込みは禁止だったけど、一人の通学路や、図書室でバレないように、それで気を紛らわせていた。
でも、白色の有線のイヤホンはちょっとだけ鬱陶しかった。
そして、それからさらに一週間後のこと。
「ね、湊」
ソファーに座りながら、足をぷらぷらさせていた莉奈が口を開く。早くも、テーブルの上には空のプリンの容器が二つ並んでいた。
「……今、絶対に食べるの早いって思ったでしょ」
莉奈の不意打ちの言葉によって、俺の背中にぞくりとした感覚が走る。なんだ、もしかして心でも読んでるのか?
誤魔化しまがいに、「いや、プリンうまそーだなぁーって」と視線を逸らす。莉奈は、「ふーん」と鼻を鳴らし、続けた。
「それでなんだけどさ、ちょっと私の練習に付き合ってよ」
「え、練習?」
そう彼女に返すと、莉奈から冊子を渡される。ピンク色の付箋のページを開くと、そこには色々とセリフが書かれており、その中でも『ミホ』という名前が目についた。
そう、この『ミホ』が、莉奈の務める登場人物なのだ。
莉奈は小さくため息を吐いて続ける。
「もうさ、第一話の撮影は終わったんだけど、そこで監督さんに、言われちゃってさ」
「へぇー、ちなみに、なんて言われたんだ?」
「え、それは……」
……。
「目に輝きがない」
「ぷふっ。って、いたっ!」
確かに。と思わず吹き出した瞬間、俺の脛に蹴りを入れてきた莉奈。
まぁ、やはり相手もプロの大人なんだろう、確かに莉奈には普段から目の輝きがないような気がする。
蹴られた脛をさすりながら、彼女に目を向ける。
「蹴ることないだろ……」
「うっさい……そこのシーンだけで何回も撮り直して、みんなに迷惑かけたから、次は一回で撮れるようにしたいの……」
徐々に語尾が弱くなっていく莉奈。あれだけ無愛想だと思った莉奈も、今はこうして起伏の少ない表情からでも、感情がわかるようになった。
詰まるところ、莉奈は悔しがっているのだ。
「それでさ」と莉奈は小さく続ける。
「監督にどうしたら、うまく演技できるようになりますかって聞いたら、『一番仲のいい友達と練習しろ』って……だから」
莉奈は、視線を隠すように顔を下に向け、
「……だから、湊しかいなくて……」
そう小さく呟いた。
時々、見せる彼女の塩らしい仕草。それも、お互いに名前を呼ぶようになってから、俺にだけ見せる、彼女の一面。
「分かった。手伝うよ」
彼女に言葉を返す。
「うん」と、小さく頷くと、彼女の耳に引っかかっていた髪の毛がさらりと降りて、莉奈の耳が露わになる。
その、熟したモモみたいに真っ赤な耳を見て、俺も思わず、どきりとしてしまった。
そのシーンは、なんの変哲もない、先生と生徒がベンチに座って会話をしているだけのシーン。
しかし、先生とミホは近所に住む歳の離れた幼馴染であり、そんな先生に対して密かに好意を寄せるヒロイン『ミホ』にとっては、今後のシーンへの布石となる大事なシーンだ。
ここで『ミホ』に求められるのは、好きな相手の隣に座っているという幸福感を感じつつ、先生が好意を寄せる女性教員に呼び出され、遠くなっていく背中に手を伸ばす悲しみの表情。
確かに台本を読んでいるだけでも、表情に対する指示が多く、はっきり言って、莉奈には向いていない役回りなのかもしれない。
それでも、莉奈がこの役に抜擢されたのには、何か縁と理由があるのだろう。
莉奈が俺の隣に座ったところでシーンが始まる。
「ね、先生はさ、なんでそんなに、私のことを気にかけてくれるの」
莉奈の……いや、今は『ミホ』のセリフというべきだろうか。先ほどまでは監督に小言を言われた、とぼやいていたが、俺からすれば同じ莉奈なのに、なぜか別人に見えるほど、声のトーンも雰囲気も違っていた。
そんな莉奈のギャップにどきりとしながら、俺も台本のセリフを続ける。
「そ、それは。ミホが幼馴染で、大切な家族同然だから」
あぁ、最悪。莉奈の演技がうますぎて、俺のセリフがまるで、音読のように聞こえる。
「……湊、ちゃんとやって」
「うるせえ、今は『先生』だぞ」
「ふーん、幼馴染だから……かぁ」
急に演技に戻った莉奈。その感覚は冷水から一気に熱湯を被った時の感覚に近く。その緩急に情緒も揺らされる。
つーか、急に演技始めるなよ。
「うん、あと、可愛い妹みたいな存在だからかな……あはは」
「プフっ! ちょっと、待って」
「おい、俺の羞恥心を踏み躙るなよ」
そんな感じで練習を続け、少し長めの休憩を挟む。
「湊、もっと演技の練習した方がいいよ」
「うるせ、俺はお前と違って本業じゃないんだよ」
つーかさ。と一息つき俺は続ける。
「監督には他に、なんてアドバイス貰ったんだよ」
「え、んー。ひとつ言われたのは、本当にその人が目の前からいなくなった時、自分はどうするのかを考えろって、言われた」
「へぇー……すまん、難しくてわからん」
「ふふっ、湊は本業じゃないからね」
「まぁな、でも、とりあえずそれを意識してみればいいんじゃね?」
ほら、俺が引っ越しちゃう〜的な? と返し、俺は台本を持つ。ワンテンポ遅れて、「あ、ごめん」と莉奈もスイッチを入れる。
一瞬、今まで見たことのないような表情をしていた莉奈だが、俺は構わず続けた。
そして練習したシーンを通し、最後のシーン。
「私、ずっと先生の隣にいたいな」
そう言って莉奈が俺の肩に頭を乗せる、なぜ分からないけど、今回が一番、熱が入っているような感じがするのは気のせいだろうか。
そして、やってくる、先生の好きな人。
「あ、佐倉先生」先生役が少し先の大人っぽい女性教員に呼ばれ、そちらに歩いていく。
あとは、この後ろでミホが届かない手を伸ばし……。
「……待って」
そんな声と共に、俺の背中の服がギュッと握られた。
台本にないセリフに俺は思わず振り返る。
しかし、莉奈は大人っぽい瞳を前髪に隠したまま、なにも言わなかった。
「莉奈?」俺は問いかける。「……ごめん」と小さく返した莉奈。
するりと手を離し、俺に顔を見せないように背中を向けて、ドアの方へと歩き出す。
「今日はありがと。それじゃ、また明日」
莉奈がドアを開けてリビングを出ていく、その時の莉奈の横顔は、なぜか今にも泣きそうな、そんな顔をしていた。
梅雨になる頃。莉奈の出演するドラマが放送された。彼女のいう通り、最初の1、2話は演技が、ぎこちないところもあったが、それ以降はしっかりと役にはまった演技をしていたと思う。
そして、それを期に、莉奈の周りにも変化が起き始めた。
—— ねぇドラマ見たよ! ねぇ今度主演の俳優さんのサイン貰ってきてよ!
——莉奈ちゃんって、ドラマと全然雰囲気違うね。
——あー! 莉奈ちゃんだぁー! ね、写真! 一緒に写真撮ろ!
朝から放課後までそんな風に莉奈の周りに人が群がる。
何も知らない人から見れば、普段口を開かない可愛い同級生が一気に人気者になったようにしか見えないだろう。
だけど……。
「……うん」
そんな風に、生返事を返す彼女の顔は、何一つとして嬉しくなさそうだった。
まぁ、その幼馴染としての視点はおおよそ当たっていたらしく。その日の放課後。
「アイツら私がテレビに出た瞬間、いい風に接しやがってー……はぁ、なんかイライラする」
そんな風に鼻息を荒げた莉奈は、途中のコンビニで買ったプリンを3つも食べていた。
「まぁ、落ち着けって」そう、宥めようとしようものなら「は?」と中々きつい対応をされる。
まぁ確かに莉奈の気持ちも分からないでもない。だって、それを側から見ていた俺でも、そんなに気分は良くなかったのだから。
「なんかイライラする……。湊、プリンあと一つ食べたら練習始めるから」
「お、おう……分かった」
今日も俺の棒読みの演技と、莉奈の熱の入った演技が混ざり合う。
そして、その一つ一つが役者としての莉奈を作って行ったのだろう。画面上で先生を眺めるその瞳には、しっかりと輝きを感じた……と思う。
いや、本当はその目の輝きというのはよく分からないけど。少なくとも、以前と比べると、莉奈の表情には余裕と、楽しさが滲んでると思った。
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