第26話『うさぎさん人形』と『白い有線』 その2


『鹿島 湊』と『市川莉奈』の出会いは、なんの変哲もない、登校日の朝。


 母親の仕事の関係上、新しく引っ越してきたこの街。 


『いつもの』が、まだ、『新鮮な』T字路だった頃のこと。


「ほら、莉奈も挨拶しなさい」


 莉奈の母の後ろに隠れるようにしていた少女の背中に手を回すと、少女は少しずつ前に押し出される。


 肩までかかる暗い茶髪と、赤いランドセルの背負い部分をぎゅっと掴む、白くて華奢な指。


 少女は、前髪をさらりと揺らし、切長の大人っぽい瞳をこちらに向けると、静かに言った。


「市川莉奈……よろしく。鹿島くん」


 その儚さとも哀愁とも取れるような雰囲気と、視線を下に逸らすような仕草

 に俺は、なんとなく気が付いた。


 こいつも、俺と同じなんだなって。

 

 少なくとも、普通の小学生みたいに友達がいて、ゲームで通信したり、夏休みはプールに行ったり。


 そういうことが普通じゃないタイプの人間なんだって。


「それじゃ、湊くん。莉奈をお願いね」


「あ、はい」


 その後、一緒に歩き出した通学路では一言も話すことなく、学校へと到着。


 莉奈は、子供っぽく言ってしまえば『かわいい』と言う部類の、最上位に位置していると思う。


 基本、小学生は足が速いか顔がかっこいい、かわいいだけで、クラスの中心になっていることも多いだろう。以前までいたクラスでも、やはりその傾向が強いと思った。


 だが、そんなかわいい彼女が、大人っぽく、静かになってしまった理由は、教室に入った時に、理解した。


 莉奈と俺が教室に入った瞬間。それまで騒がしかったクラスが一気に静まり返ったのだ


 どう見たって、歓迎されているような空気ではなかったし、それどころか、みんな莉奈から視線を外すばかり。

 

 まさに、異物が混入した時のような不快感の空気だと思った。


 その後、朝の会にて、俺が黒板の前に立ち自己紹介をする。


 転校生に集まる物珍しげな視線の中、莉奈だけは頬杖をついて、窓の外を眺めていた。


 


 

 それから一週間後、俺の定位置は学校の図書室に落ち着いていた。


 別に、友達が作れなかったとか、そう言うのじゃない。逆にそれ以上の関係になってしまうのが嫌だったのだ。


 どうせ今回もまた、一年も経たないうちに転校になるかもしれない。


 もしそうなれば、来年の今頃にはまた新しい環境で、もともと出来てしまったグループの中に、単身で放置されることになる。


 その度に、また労力を使って。仲のいい友達を作るのは、非効率だ。


 つーか、だるい。


 それなら、付き合いの浅い、顔の知っているぐらいの関係で、あっさりなんの心残りもなく、ここを去れた方が楽だろう。


 だから、俺は休み時間も友達と遊ぶことなく、図書室で本を読み耽っていた。


 そして、そのタイミングで図書室のドアが開き、もう一人女子が入ってくる。暗い茶髪の髪の毛が印象的な女の子、『市川 莉奈』だ。


 彼女もまた、同じクラスの一人ぼっちで、いつも昼休みにはここに来る。


 ……いや、は、ちょっと違うかもしれない。


 この一週間でクラスの噂話や、そして母から聞いた話で知ったのは、莉奈がテレビに出演しているということだった。


 子役と言うほどのものではないのだが、子供向け番組のレギュラーメンバーとして仕事をしており、度々学校を早退したりしていた。


 そう言う話を聞けば、彼女が周りと比べて大人びているのも、なんとなく理解できた。

 

 莉奈は、いつも通り分厚い本を手に取ると、窓際の端の方の席に座る。


 時々、外から聞こえる楽しそうな声に、顔を向ける莉奈は、なんだか悲しそうに見えた。




 家の方向が同じだから、と言う理由で特に何を話すわけでもなく、一緒に登下校をし始めてから、約一ヶ月。


 とある課外授業で、二人組を作って行動することになった。学校の近くの公園に出向き、二人一組でその公園の生き物を調べてくるという、まぁ、小学生らしい課外授業だ。


「それじゃ、二人一組を作るように」


 先生が声をかけると、教室が一気に騒がしくなる。みんな各々仲のいい友達だったり、好きな人同士だったりでペアを作っていく。


 クラスの人数は38人。二人一組のペアを作ると、絶対に余ることがないという、まぁまぁ絶望的な状況。


 だが、このクラスには、一人ぼっちが二人。


 とても都合が良かった。


 ある程度教室が静かになると、俺は席を離れ、窓際の席へと向かう。


 案の定、一人窓の外に顔を向けた莉奈に声をかける。


「市川、俺と組もう」


 すると莉奈はゆっくりとこちらに顔を向けて、小さく首を縦に振った。


 その後、公園へとクラス一同で足を運んだ。


 周りがワイワイ騒ぐなか、俺は木製のベンチの横を這うミミズをぼーっと眺めていた。


 なんだか、固い地面の上をのたうち回っているその姿が、面白かった。その姿を配られた公園のプリントに書き込む。


「ここに、かわいそうなミミズ一匹っと……つーか、市川はいいのか? 書かなくて」


 視線を上に持ち上げて、ベンチに腰掛ける彼女へと目を向ける。物静かな雰囲気の彼女に、黒色のワンピースはよく似合っていると思った。


 すると、少し間を置いて莉奈は口を開く。


「ね、なんで鹿島くんは私と組んでくれたの?」


 莉奈の儚げな視線は、ベンチの先の池に向いたまま。俺はそんな彼女に、深く考えずに答えた。


「ん? だってお互いに一人じゃん」


「……え?」

 

 莉奈は、少しだけ目を見開くと、こちらに顔を向ける。


 初めてお互い、まともに顔を向き合ったと思った。


「……それで、なんで私なの……」


「その方が、楽でいいじゃん。つーか、どうせ最後はこうなるんだし。それなら、最初からこうしといたほうが、お互い都合がいいじゃん?」


 そう返して、彼女の方へと手を伸ばす。


「ほら市川、それ貸して、俺が書いとくから」


「……うん」


 莉奈は、きょとんとした表情でプリントを差し出した。



 


 それから莉奈と俺の距離に少しだけ変化が起きた。


「……となり、いい?」


 昼休み、いつも通り本を読んでいると、右隣から声が聞こえてきて、顔を上げる。


 いつも通り綺麗な顔をした莉奈が儚げな表情をこちらに向けた。


 いきなりのことに少し反応が遅れたが、彼女に頷くと、莉奈は静かに俺の隣に座る。


 しばらく、本を読むうちに俺は耐えられなくなって、本に目を向けたまま莉奈に聞いた。


「……珍しいじゃん、今日はどうしたんだ?」


 すると、莉奈も本に目を向けたまま答える。


「他の人に、ぼっちって思われたくないから。この方が都合がいい」


 そんな、彼女が一番言わなそうな言葉に、思わず莉奈の方へと顔を向ける。その後、耐えきれなくなって俺は、机に突っ伏して静かに笑った。


「そんな……ぷふっ。今更だろ……」


「うるさい、鹿島くんだってぼっちのくせに」


 彼女の言葉に、あのなぁ。と俺は顔を上げる。


 相変わらず莉奈は本に目を向けたまま。


 だけど綺麗な横顔の、薄い唇の端が少しだけ持ち上がっている気がして、俺は鼻を鳴らす。


「まぁ。そう言うことでいいよ」


「うん。諦めて鹿島くん」


 そう言って、ページをめくった彼女は、どこか心地よさそうに鼻を鳴らした。



 

 そんな関係が続いたある日、莉奈の両親が一日かけて出張すると言うことになり、莉奈がうちにお泊まりをすることになった。


 思春期特有の、女の子と一つ屋根の下。と言うシチュエーションを考えるだけで、なんだかドキドキしたが、やはり莉奈はぶれない。


「市川、ゲームやるか?」


「いい」


「市川、風呂空いたぞ」


「家で入ってきた」


「市川」


「ちょっと黙って」


 とまぁ、さっきからソファーに座って本を読む彼女はこんな感じだ。


 それを見て側から「仲良いのね」と微笑む母に、「違うし」と俺は悪態をついた。


 もう一度、莉奈に目を向けると俺はため息をつく。


 仲が良い。それはきっと母から見て、俺と莉奈の距離感が友達に見えていたと言うことになるのだろうか。


 まぁ、確かに理由はどうであれ、自分の家に同級生が来るのは久しぶりの光景で、そこそこテンポのいい会話をする俺たちは、仲良く見えていたのかもしれない。


 冷蔵庫からプリンを二つとり、付属の紙スプーンをつけると、再びソファーへと戻る。


「プリン置いとくから、よかったら食って」


 そう言って、ソファーの前の背の低いテーブルに置くと、俺はテレビをつけてプリンの蓋を開けた。


「……ありがと」


 ほんと、一から百まで無愛想なやつ。


「ん、どうぞ召し上がれ」


 息を吐いて、テレビに目を向ける。


 まぁどうせ、当分食わないだろうけど。


「……ご馳走様」


「ん、とりあえずゴミは」


 ……。


「は?」


 ワンテンポ遅れて、俺は莉奈の方へと顔を向ける。


 先ほどと変わらず、本を読んでいる莉奈。だが、確かにテーブルの上のプリンは空になっていた。


 いや、訳がわからない。ほんの一瞬テレビに目を移した隙に彼女のプリンが蒸発していた。 


 頭の中で情報を整理する。そして、導き出された答えは。


「……お前、食うの早くね? ブラックホールじゃん」


「——っ!」


 俺がそう言うと、莉奈は大きく目を見開きこちらに顔を向けた。


「ちがっ! 違うしっ! 早くないしっ!」


「いやどー見たって早いだろ! 1秒も経ってなかったぞ!」


「もっと経ってたし! てか、私が食べたって証拠あんの?」


「鏡でも持って来てやるよ! つーか、口の横にプリンがついてんだよ!」


 すると莉奈は、ハッと息を飲み、本で口元を隠す。


 俺から視線を逸らしながらそっと、


「……これは……違うし」


 と、顔を真っ赤にしながらボソリと呟く。


 そのとき初めて莉奈が表情を崩したのと、こいつって、こういう顔もするんだなって、思った。


 あと、初めて莉奈を可愛いと思った瞬間だった。


 


「それじゃ電気消すぞ」


「うん。おやすみ、鹿島くん」


 布団を被り、窓の方へ体を向けたまま彼女は言う。


 最初から莉奈にベッドを譲り、俺は床の敷布団で寝るつもりではいたのだが、そんなことを言わずとも、自動的に俺のベッドの布団を被ったあたり、まぁ、なんとなく莉奈っぽいなと思った。


 電気を消して、布団を被る。普段感じているベッドのスプリングと比べると、だいぶ硬く感じたが、これはこれでなんだか心地いい感じがした。


 それに明日の夜にはベッドで寝れるのだ。まぁ1日ぐらいいいだろう。


 電気を消してしばらくすると、カサカサと布団を動かす音が上から聞こえた。トイレにでも行くのだろうか。なら、踏まれないように避けないと。


 なんて、思っていた時だった。


「ね、鹿島くん。まだ起きてる?」


 普段よりも少しだけしっとりとした声で俺を呼んだ。軽く驚きながらも、「ん、起きてるよ」と返す。


「どうした?」


「……」


「ん? 市川?」


「……あのさ、なんで鹿島くんは、友達作らないの?」


 突然の莉奈の質問に、俺は思わず「へ?」と、素っ頓狂な声を上げた。その間にも莉奈は言葉を続ける。


「その……鹿島くん話も上手いし、運動もできるのにさ。そんなポテンシャル持ってたらさ、絶対に友達すぐにできるのに……」


 ねぇ、なんで? そう上体を起こした莉奈が、月の明かりでシルエットのように浮かび上がる。


 その中で薄く光る、切長の大人っぽい瞳に、俺も上体を起こして返した。


「まぁ、なんていうか、俺、転校多くてさ、友達作ってもすぐ別れるしかなくて……だから、友達作るのがめんどくさくなった」


「……そう、なんだ」


「あはは、ごめん。そんなに面白い理由じゃなくて」


 すると莉奈は、暗闇の中で首を横に振る。そして、小さく息を吐くと、


「そっか……私たち、似たもの同士だね」


 莉奈がそう呟いた。彼女はそのまま続ける。


「私も、お仕事で友達と遊べなくて。それを何回も繰り返してたら、いつの間にか友達がいなくなってて。教室に入るたびに、あぁ、ここに私の居場所はないんだって、そう思ってた」


 でも……。そう、莉奈はこちらに手を伸ばし、


「鹿島くん……ううん、となら私、仲良くできると思う。だから……よかったら、仲良くしてくれると嬉しい」


 そうやって、小さく鼻を鳴らした。


 そんな彼女に驚きながらも、確かな安心感と、久しぶりに覚えた胸の高鳴りに、俺は鼻の頭を掻く。


「俺も、となら、仲良くできるような気がする」


 月の明かりに照らされた、細くて華奢な手を握り返す。


 だが、自分から握りに行っておいて、初めて触った女の子の手の温もりや、柔らかさにどきりとして、すぐに手を離した。


 そんな反応が面白かったのか、くすりと莉奈が笑う。


「ふふっ。湊、緊張してるの?」


「してねぇし。つーか眠いから寝るわ」


「えー……まぁでも、そうだね」


 莉奈は、布団を被り再び窓の方へと体を向ける。それに合わせるように俺も布団を被った。


「ね、湊」


「ん?」


「おやすみ」


「ん、おやすみ。莉奈」


 そう返すと、莉奈の心地良さそうに鼻を鳴らす音が聞こえる。


 たぶん、この日が俺と莉奈の距離が近づいた日でもあり、これからの幼馴染としての、第一歩だと思った。

 




 



 


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