第25話 『うさぎさん人形』と『白い有線』 その1


「「ごちそうさまでした」」


 テーブルで向かい合って、2人同時に手を合わせる。


 向かい側で文乃さんはふふっと鼻を鳴らした。


「湊くん、本当に美味しそうに食べてくれるよね。なんか嬉しいなぁ」


「え、そんな分かりやすかったですか?」


「うん! もうね、こう……はむっはむっ!! って感じで!」


「あはは。大袈裟ですよ。まぁ、美味しかったのは本当ですけど」


「え〜……えへへ、ありがと」


 そんな風に照れる文乃さんに鼻を鳴らすと、食器を集めキッチンへと運ぶ。


 私が食器洗うよ。と椅子を立ち上がった文乃さんと、肩を並べて食器を洗った。時々、肩がぶつかって、その度に甘い香りを感じてどきりとした。


 その後は、いつも通りソファーに座って、テレビを眺めながら、なんでもない話をした。


「あ、そうだ。数学でわからないところがあるんですけど」


「え〜、とっくに仕事の時間終わってるんだけどなぁ〜」


「そこをなんとか頼めないですか? その残業代と言ってはなんですが、プリンが冷蔵庫にあるので」


「プリン?! ま、まぁ、湊くんのためなら、それで手を打ってあげてもいいかな。プリン貰えるし」


「建前がギリギリ本音に負けちゃってるじゃないですか……」


 まぁ、文乃さんらしいですけど。と鼻を鳴らし、廊下に放置した鞄を持ってくる。


 だがその途中、足元を滑らせた拍子に、教科書や筆記用具を床にばら撒いてしまった。

 

「あ、すみません」


「湊くん、大丈夫? 待ってて、今拾うから」


 と、彼女もソファーを立ち上がり、教科書や筆記用具を拾い集める。


 そして、


「ん?……これ、お人形?」


 彼女がボソリと呟きながら手に取ったのは、なに一つ凝ってない顔の、白いウサギさん人形だった。


 くたびれた白色の、柔らかいフェルト素材の体が、文乃さんの指でへこむ。


 一瞬、莉奈の複雑な表情を思い出したが、まぁ、文乃さんにだったら言っても大丈夫だと思う。


「それ、昔、莉奈からもらったんです」


 すると文乃さんは、え? と驚いたような表情を浮かべる。


 そりゃ、少しは驚くだろう。


 なんせ、まだ文乃さんには、『市川莉奈』が幼馴染である事は伝えてないのだから。


 ……伝えてないよな?


 そう言えば、この人と出会って、まだ一ヶ月ぐらいだけど、あまりにも内容が濃すぎで、もっと一緒にいたような気がしてしまうのだ。


 その課程のどこかで言ったような……言ってないような。まぁ、でも文乃さんが知らなかったのだ、恐らく言っていない。


 すると、先に口を開いたのは文乃さんで、


「その……いつから一緒なの?」

 

 と、こちらをまっすぐに見つめて、少しだけ眉間に皺を寄せる。


 その表情は真剣とも、不安とも取れるような、そんな表情をしていた。


「莉奈とは、小学生の頃。俺がこっちに引っ越してきてからですね」


 小学校も、中学校も、高校も全部同じです。と続けて俺は一息つく。


 そのあと、文乃さんが小さく「そうなんだ……」と呟くと、リビング静かになった。


 まるで、喧嘩をしてしまった時のような気まずさと、少しだけ重い空気。


 それを切るように、かろうじて俺は口を開く。


「えーっと、とりあえず今日は、やめにしますか。またいつでもいいんで、教えてください」


 そう彼女に言って、うさぎさん人形に手を伸ばす。


 うさぎさん人形に指が触れた瞬間。


「聞きたい」


 文乃さんが短く呟いて、俺の目を見る。そのまま強い眼差しで言葉を続けた。


「湊くんの過去の話、聞きたい」


「いや、でも……そんなに面白いもんじゃないっつーか……」


「それでも! ……それでも聞いてみたい。湊くんの過去の話と、莉奈ちゃんとの関係を……」


 文乃さんは徐々に声を小さくすると、視線を俺から外し、少し下を見る。


 しばらくして申し訳なさそうな声で「……ごめんね」と口を開くと、そのまま続けた。


「今の私、大人げも、デリカシーもなかったね……」


「いえ、そんな事」


「ううん、それに人の過去なんて、無理やり聞くもんじゃないもんね」


 もう一度軽く、ごめんね。と微笑み文乃さんは、うさぎさん人形を俺に手渡す。


 くるりと背中を向け、ドアの方へと歩き出す。

 

 確かに語るような過去でもないし、誰かが知って得するようなものでもない。


 だけど、文乃さんになら、話してもいいと思ってる。たぶん他の人には言わないし、それに、どんな過去も彼女ならバカにはしないだろう。


 でも、一つだけ。


 なんで文乃さんは、俺の過去と、莉奈との関係を知りたいのだろうか。


 そんな疑問から、思わず彼女を呼び止める。


 それに反応するようにぴたりと足を止めた文乃さん。だけど、こちらを振り向く事はなかった。


 華奢な背中に、俺は問う。


「文乃さんは、なんでそんなに知りたいんですか?」


 俺の言葉に、彼女は小さく肩を震わして、その後、何かを諦めたように息を吐く。


「だって……」 弱々しくそう口にすると、こちらへと振り返った。


「湊くんばかり、私のこと知ってて……ズルい」


 思ってもいなかった、あまりにも真っ直ぐすぎる理由と、心なしか桃色に上気した、頬に俺は目を見開く。


 すると文乃さんは、一瞬視線を逸らし、何回か瞬きをした後、再びこちらに視線を戻す。


 その黒くて大きな目に迫力が宿る。


 それをきっと、世間一般的に『大人っぽい』というのだろう。


 だから……。と、息を吐いて文乃さんは、


「湊くんのこともっと知りたい。湊くんを、もっと教えてほしい」


 そう、言った。


「……そう、ですか。わかりました」


 文乃さんは、いつもフワフワな感じなのに、時々こうやって大人っぽくなるから困る。


 でも、自分の自己満足を包み隠さず、素直に言ってしまうのが彼女らしくて、いいと思う。


 ……いや。


「それじゃ、コーヒー持ってくるんで、ちょっと待っててください」


 彼女の背を向けて歩き出す。


 言葉に出すのはまだ恥ずかしいけど、自分の中では素直になってもいいかもしれない。


 俺は文乃さんの、そう言うところが好きなんだ。

 


 

 


 


 


 

 

 



 


 

 

 

 


 


 

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