第14話 『変わるもの』と『変わらないもの』

「うわっ、湊、どーしたの。目の下クレーターみたいじゃん」


 結局、ほぼ寝付けないまま、フラフラな状態でT字路に向かうと、莉奈に引き気味に言われた。


 以前にもこんな事があったような気もするが、まぁきっと気のせいだろう。


 誇張しすぎだ。と、返し歩き出す。その隣を歩み始めた莉奈は、白い有線を耳から外すと、俺の顔を覗き込んだ。


「また夜通し気持ちよくなってたの? 今日こそは音声? それとも玩具おもちゃ使ったの? 男の子ってすごいね」


「なんでお前はそっちにしか考えがないんだよ」


 それとその、音声に対する執着はなんなんだよ。


「つーか、そんなに続くわけねぇだろ」とため息混じりに返すと、莉奈は小さく鼻を鳴らす。


「じゃあ、どれくらいするの?」


「……はぁ、お前なぁ……」


 こんな会話、幼馴染みであるコイツとしかできないだろう。


 適当に、「知らん、2回ぐらいじゃないのか?」と返すと、莉奈は目を細める。


 「へぇー、そーなんだー」と、イタズラな表情を浮かべて、ふふっと鼻を鳴らした。


「それじゃあ、2湊くん」


「おい待て、俺が体力ないみたいなあだ名、やめろ。激しく不名誉だ」


「それじゃ、何回イケるの?」


 続けて、「2回じゃないんでしょ?」と彼女の言葉に、思わず飲み込んだ唾が気管の方へと流れ込む。


 俺が思いっきり咳き込んでいるのが面白かったのだろう。


 ニヤリと笑みを浮かべては、グイッと体を寄る。


 そして、わざと肩をぶつけては、


「ね、湊が何回イケるのか、私、知りたいなぁー」


 と、耳に息を吹きかけてきた。


 甘ったるく耳に絡みつくような吐息に、意図せず熱を帯びた頬。


 意識してなくても感じぜざるを得ない、女の子の柔らかさ。


 改めて成長を感じさせられるその体に、思わず心臓が速くなった。


 だが、風にさらりと吹かれて香った、莉奈の嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いに意識が戻ってくる。


 俺はため息混じりに言葉を返した。


「……おまえ、性別間違えたらセクハラ確定だからな」


「へぇー、そーなんだ。女の子で良かった」


 すぐ近くで莉奈と目が合うと、彼女は大人っぽい切れ長の目を細めて離れていく。


 傍で、「あーぁ、残念。知りたかったのになぁー」と、わざとらしく呟くと、再び白の有線を耳につける。


 視界の端で、歩くたびにヒラヒラと揺れる短いスカートが、妙に魔性的に見えた。



 


「それじゃ、湊くん。またね」


 音楽準備室のドアの溝に指をかけると、ヒラヒラと小さく手を振る文乃さん。


 今日の服装は、以前、俺の発言があったせいか、白色のブラウスと黒色のワイドパンツ姿だった。


 持っているものは変わらないが、組み合わせを変えてくるあたり、文乃さんっぽい。


 しかしそれでも、彼女が着ると妙に様になってしまうのは、やはり素の良さなのだろう。


「はい、また後で」


 俺も小さく手をふり返すと、文乃さんが首を縦に振る。


 ドアをスライドさせて一歩踏み出た瞬間、彼女の背筋がピンと伸びるのが分かった。


 俺も少し遅れて準備室を出ると、彼女の背中で揺れる黒髪を見送る。


 この一カ月でもう一つ変化があるとするのなら、昼食を文乃さんと食べるようになったという事だろう。


 始まりは俺の部屋の鍵を渡すためだけに待ち合わせした音楽準備室。


 しかし、その静かな環境に覚えた居心地の良さが、自然と俺たちをあの教室に引き寄せたらしい。


 翌日の昼休み、文乃さんがタコさんウインナーを美味しそうにモグモグしている姿には、思わず俺まで頬が緩んだ。


 さて、帰るか。と、息を吐き静かな廊下を歩き出す。旧校舎の3階から2階に下り、本校舎を目指す。


 そして、曲がり角を曲がった時だった。


「あれ、湊じゃん」


 視界の中で暗い茶髪が揺れて足を止める。ほぼ出会い頭だったため、莉奈との距離は近かった。


「おう、久しぶり」


「ふふっ、なにそれ」


 くすりと鼻を鳴らし、白い有線を耳から外す。小さく顔振って髪の毛を揺らすと、大人っぽい瞳を再び向けた。


「最近、教室にいないなーって思ってたら、こっちで食べてたんだ」


「まぁな、結局ぼっちだからどこで食っても変わらんだろ」


 莉奈に言葉を返すと、確かに。と納得したように鼻を鳴らす。


「湊、私以外に友達いないもんね」


 莉奈の言葉に思わず息が詰まる。言い返してやりたいが、それは紛れもない事実であった。


「ふふっ。図星なんだ」


「まぁ、認めるわ」


「あはは。まぁでも、そーゆーところ、湊っぽくて安心する」


 唇の端をやんわりと持ち上げ、心地のいい表情を浮かべる莉奈。髪を揺らしながら、背中を向ける。


 上半身を少しだけ捻り、横目で俺を見ると。


「ほら、いこ? 昼休み終わっちゃう」


 莉奈が白い頬を持ち上げたのを見て、なんだか俺は少しだけ安心したような気がした。


 ほんと、昔と比べるとだいぶ柔らかくなったな。





「ね、湊。明日空いてる?」


 放課後、カーブミラーに反射したオレンジに、思わず目を細めると、莉奈が声をかけてきた。


 俺の顔を覗き込む莉奈に、あー……と生返事を返す。明日は文乃さんとの約束があるんだよな……。


 その生返事が幼馴染としては違和感だったのだろう、莉奈は小首を傾げると「ん?」と喉を鳴らした。


「え、なんか用事入ってるの? 珍しい……」


「そんなに意外そうな顔すんな。毎日暇なわけじゃないんだよ」


「ふーん、そっか……」


 莉奈はつまらなそうに息を吐くと、ポケットから白い有線のイヤフォンを取り出し、耳につける。


 スマホをタップして音楽を流すと、スマホごとブレザーのポケットに手を突っ込んだ。


 ……お前もそう言うところ、昔から変わらないよな。


 今日の昼、莉奈は『それが俺っぽい』と言っていた。だけど、俺からすれば莉奈も昔と変わらないままだと思う。


 俺にだけ妙に厳しかったり、隣を歩く時には俺の少し後ろを歩いたり。


 あとは、


「そうやって拗ねるのも、変わらないよな、ほんと」


 拗ねる時は、絶対にそのイヤフォンを着けて、ポケットに手を突っ込むのも、全部、幼馴染として俺の記憶にある『市川莉奈』だった。


 すると、歩道側を歩く莉奈が小さく呟く。


「……うるさい、拗ねてないし」


「じゃあなんだよ」


「……うるさい、黙れ」


 不貞腐れたように呟くと、莉奈はその瞳を前髪に隠す。


 一方俺は、そんな彼女を横目に「はいはい」と息を吐き、視線を前に戻し歩みを進めた。


 お互いに無言のまま歩き、T字路が近くなった瞬間。


「……ごめん」


 か細い声が聞こえてきたのと同時に、コツンと肩がぶつかった。


 莉奈の髪の毛からシャンプーの香りがして、そちらに顔を向ける。


「ごめん、さっきは言いすぎた……かも……」


 すると、歩幅のはずみで揺れた前髪の奥で、切長の瞳が静かに揺れる。


 どこか悲しそうで、儚げな表情を浮かべる莉奈に、俺はため息を吐く。


 相変わらず、こう言う時の莉奈は、接しずらくて困る。だから……。


「別に気にしてねえよ。つーか……」


 そう息一息ついて、ふっと鼻を鳴らす。


 だから、今日ぐらいは、やり返してやろうと思った。


 ゆっくりと持ち上がった莉奈の瞳に、俺は言う。


「それぐらいで俺が落ち込むわけねえだろ。そんなこと、莉奈幼馴染なら、知ってると思ってたんだが?」


 すると、視界の先で莉奈の綺麗な瞳が大きく見開かれるのが分かった。やがて莉奈は足を止め、それに反応に遅れた俺は、少しだけ彼女の前を行く。


 どうした? と後ろを振り返ると、突然莉奈が吹き出した。


 大人っぽい顔が、無邪気な笑顔で上書きされていくのを見て、思わず俺も頬の力が緩む。


 しばらく声を堪えるように、お腹を抱えた後、目元をこすりながらゆっくりと顔を上げる。


 そして莉奈は、


「ふぅ、ふぅ……。確かに、湊ってそうだったかも」


 にへらと力の抜けるような笑みを浮かべた。


 「帰るぞ」と踵を返して歩き出すと、莉奈は心地良く「うん」と返す。


 俺の隣に並んだ。ローファーの音に思わず鼻を鳴らした。


「明日はすまん。どうしても外せない用事があって。その埋め合わせっつーか、莉奈との時間は絶対に作るから、それでもいいか?」


「うん。湊が私のために時間作ってくれるなら、待つよ」


「そっか、サンキューな」


「ううん。私こそ、ありがと」


 そんな会話をしているうちに、T字路の上に立った俺たちは、いつも通り手を振って背中を向ける。


 少し歩いたところで振り返ると、白い有線を弾ませる背中が見えて、思わず「ほんと、変わらないな」と呟いた。


 再び家の方へと体を向けて、歩き出す。


 その間、何よりも感じていたのは、莉奈の『いつも』に対する、なんともいえない安心感だった。




 





 



   


 





 






 

 

 

 


 


 


 


 

 



 


 


 

 

 

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