第12話 パパとママと、私と。
「それじゃ、莉奈ちゃん、湊くん。今日もよろしくね。あの子達すごい楽しみにしてたから」
養護施設で働く『汐田さん』に声をかけられると、莉奈はにこりと微笑む。
「はい! 私たちも楽しみにしてたので、今日もよろしくお願いします!」
彼女に合わせて俺も、お願いします。と頭を下げる。すると汐田さんも「こちらこそ」と頭を下げた。
放課後、俺と莉奈は約束通り児童養護施設へと足を運んでいた。
帰宅する方向から逆方向へ二駅ほど行ったところにあるこの場所は、本来縁もゆかりも場所のはずだった。
しかし、今から約一年ほど前、学校のボランティアで学校付近の公園を掃除をしていた時のこと。
小さな女の子が一人でベンチに腰掛けており、最初は友達と遊びに来たのか、それとも親を待っているのか。という解釈でいたのだが、作業が終わり、学校へ帰る時間になっても、まだその子はベンチに座っていたのだ。
不審に思った俺と莉奈で女の子に話しかけ、施設に帰りたくない。泣き出した女の子を、ひとまず学校へと連れて行った。もちろん、養護施設に確認をとってから。
その後、莉奈の家に住む、と是が非でも施設に帰らない意思を見せた女の子に、俺と莉奈が定期的に会いにいく約束をして、施設に帰したのが始まり。
それから、なんやかんやあって一年。こうして今でも俺たちは彼女に会いに行っているのだ。
いや、彼女に限定して会いに行っているのは俺だけなのかもしれない。
その後、通う回数が増えるにつれて莉奈は、子供達と遊ぶことに楽しさを覚えたらしく、「将来は保育士になろうかなぁ〜」と、具体的な目標を見出していた。
昔から、ダメなものにはダメと言えて、俺以外に対しては基本優しい彼女なら、きっと向いているかもしれない。
そんな安心感を覚えたのも、約一年前の話だった。
二人で肩を並べて廊下を歩いていると、突然背後から「あぁ〜!」という、元気な声が聞こえた。
もう一年ぐらい前から、ずっとこんなふうに声を上げるのだ。考えなくても誰だかわかる。
そして、彼女の次の行動も予測済みだ。
俺と莉奈が振り返ると同時に、その女の子は背負っていたランドセルを落として、こちらに駆けてくる。
「おにぃちゃん! リナねぇちゃん! おかえりぃ〜!」
パッと咲くような声と同時に、彼女、『
ふわりと空気をはらんだ水色のTシャツと、フリフリの白スカートからは柔軟剤の匂いが香る。
彼女が怪我をしないよう、しっかり華奢な体を両手で掴むと、そのまま背面寝転ぶように彼女を受け止める。
上体を起こすと、俺のお腹の上でケラケラと笑う風花ちゃんの顔を見た。
将来美人になることが確定しているであろう、小さく整った鼻や口のパーツと、大きく海のように透き通った青色の瞳は、いつ見てもかわいらしいと思った。
彼女の白くてもっちりとした頬が持ち上がる。
「おにぃちゃん、すごぉ〜い! ないすたっち!」
「危ないよ風花ちゃん、それと、ナイスキャッチ、な」
「あはは〜! ないすきゃっちぃ〜!」
楽しそうに彼女は、俺の胸元の頭をぐりぐり押し付けると、次は莉奈の方へと顔を向ける。
対する莉奈もニコリと笑顔を浮かべては、
「久しぶり♪ フーちゃん!」
と両手を広げた。すると、風花も「わぁぁぁ〜! リナねぇちゃん! すきぃ!」と、俺のお腹の上でジャンプして、莉奈に飛びつく。
一瞬、昼に食べた焼きそばパンが口から出そうになったが、寸でのところで飲み込む。
もう少し大きくなったら、もうこれはできないな。
嬉しそうな風花ちゃんの胸元の『2年生 青葉風花』という名札を見て、思わず俺も鼻を鳴らすのであった。
「あぁ〜もう! ほらみんな! あと一回だけだよ?」
楽しそうな声をあげる、数人の子供達に囲まれた真ん中で、莉奈が声をあげる。
心の底から笑う莉奈の横顔に、学校で見せるような嘘はなかった。
そんな彼女を部屋の隅で見守る俺は、ため息を吐く。
「本当、あいつは好かれる才能あるよなぁ」
誰かに好かれるように計算された笑顔ではなく、純粋に心の底から滲み出るような、彼女の柔らかい表情は、十分そのままでも可愛い。
っていうか、莉奈は素が良すぎるのだ。幼い頃から大人っぽいなと思っていた切長の目は、やはり成長しても大人っぽくて。
シュッと伸びた鼻や薄い唇も、地毛である暗い茶髪の髪の毛も。
体のパーツ一つ一つが『市川莉奈』を最大限に装飾する武器になっている。
それは今までほぼ毎日顔を合わせ、見飽きたぐらい見た、彼女に対する現在進行形の感想だ。
それが、今日初めて彼女を見た人からすれば、『可愛い』以外の感想は抱けないだろう。
……だが、そのルックスが逆に、自分に向く鋭い刃になることも、俺は知っていた。
すると突然、俺の右腕に柔らかい温もりを感じて、そちらに視線を向ける。
こちらを見上げる、青い瞳が細くなった。
「フーは、おにぃちゃんも、かっこいいと思うよ!」
「……そっか、ありがとう風花ちゃん」
そっと微笑み返し、彼女のサラサラな頭を撫でると、風花ちゃんは俺の腕にギュッと力を込める。
その後、こちらに顔を向け、「えへへ〜」と、嬉しそうな表情を浮かべる風花ちゃん。そんな純粋で可愛らしい彼女に思わず息を呑み込んだ。
将来大物になるな、この子。
「ちなみに、俺のどこら辺がカッコいいの?」
「え。ん〜……んん〜〜……あ! 面白いとこ!」
「あ、うん……ありがとう、風花ちゃん……あはは……」
「あははっ! お兄ちゃん面白い! 好きぃ!」
そう言って、風花ちゃんは俺の腕に頭をぐりぐりと押し付けてくる。
なんだろう、これは素なのか、それとも意図したイジりなのか。もしイジリだったとしたら、誰から学んだのだろうか。
ふと、そんなことを思っていると、莉奈が息を吐きながらコチラに歩み寄ってきた。
ふぅ。と小さく息を吐き、額の汗を手で拭う。
「あの子ら、元気良すぎ。将来が楽しみだわ」
「リナねぇちゃん! 好きぃ〜!」
莉奈に気づいた風花ちゃんは俺の腕から離れると、莉奈の方へと飛びついて行く。
それに対して、莉奈も両手を広げると、
「私もフーちゃん好きぃ〜!」と、風花ちゃんを抱き抱えた。
風花ちゃんを抱えたまま、ぐるぐると回ると、二人は楽しそうに笑い合う。
俺は、莉奈の楽しそうな表情を眺めて、安心した気持ちでいっぱいになった。
その後、俺と莉奈と風花ちゃんの三人で、毎度お馴染み、おままごとをする事になった。
おままごとの内容は特になんの変哲もない、一般家庭の親子。
普通にパパがいて、ママがいて、そして子供がいる。
幸せの順風満帆の家族。
……。
「パパァ〜、フーね、この前総理大臣の息子さんに婚約申し込まれちゃったの! だから、ヴィトン欲しいなぁ〜」
「えぇー! フーちゃんすごいじゃない! ママびっくりしちゃった! そうだね、これはパパから何かお祝いしてもらわないとねぇ〜」
そう二人で話して、コチラにニヤリとした表情を向ける。
……え? 普通の家族?
つーか、なんで女児がヴィトンとか知ってんだよ、誰だよ教えてんの……。
あ、
「……ヴ、ヴィトンは、まぁそうだな……なぁ、風花ちゃん、世の中には値打ちと良さってのは、比例しないものなんだ。だから、もう少し安いのでもいいんじゃないか?」
すると、風花ちゃんはブーっ! と頬を膨らませる。
「パパのケチ!」
続けて莉奈も鼻を鳴らし、
「ねー? パパケチだねー?」
そう言って、コチラにニヤリと笑みを浮かべた。
そんな感じで、一般家庭? おままごとは進んでいき、三人で川の字に床の上に寝転ぶ。
真ん中で仰向けになる風花ちゃんが、心地のいい声で言う。
「ねぇ、パパ、ママ」
「ん? どうしたの? フーちゃん」
彼女の声に、莉奈が反応する。そして少し間があいて、再び風花ちゃんが口をひらく。
「私ね、妹欲しいな」
風花ちゃんの言葉に俺は、飲み込んだ唾が気管の方に入って、窒息しかけた。莉奈は小さく鼻を鳴らし、コチラに一瞬視線を向けると、風花ちゃんのお腹を優しくポンポンする。
「パパがいて、ママがいて。フーがいて、もう一人妹がいたら、もっと楽しくなると思うの、だから、妹が欲しいなぁ」
「ふふっ。そうだねフーちゃん」
優しい口調で、風花ちゃんに言い聞かせると、莉奈はコチラに顔を向ける。ふふっと鼻を小さく鳴らしては、
「じゃあ、頑張らないとね? パパさん♪」
どこか恥ずかしそうに頬を染めながら、魔性的に目を細めた莉奈に、思わずどきりと心臓を弾ませたのであった。
おままごとで、そのまま寝息を立てて寝てしまった風花ちゃんを、汐田さんに預ける。その後時間が来て施設を後にした俺たちは、帰路についていた。
高校最寄りの電車では、莉奈の「あぁ〜、可愛かったぁ〜」という、うっとりしたため息を何回も聞き、徒歩の間は、「あの子達元気だから、もっと体力つけないと」なんて体力増強プランを一方的に提案された。
そして、お互いの分かれ道であるT字路が見えた時、
「ね、湊……」
突然声のトーンを落とした莉奈が、足を止めた。
俺は、彼女の方へと振り返る。
「ん? どうした?」
「……フーちゃん、楽しそうだったね」
「あぁ、喜んでたな」
「……でも、いっぱい嘘ついちゃったね」
莉奈はしっとりとした声で言うと、俺から視線を下げて、スカートのギュッと握りしめた。
無論、莉奈は意図を持って風花ちゃんに嘘をついていたわけじゃない。むしろ、風花ちゃんには嘘をつきたくないと、本心から思っている。
だが、莉奈は風花ちゃんのママとして嘘を演じた。
誰よりも普通に憧れた純粋な少女に、普通の家庭という嘘で彼女を楽しませたのだ。
それは俺も同じで、俺は彼女のパパを演じた。
詰まるところ、俺も莉奈も、普通に憧れる少女に、普通という嘘をついたのだ。
だからそれは、大切な人には嘘をつきたくない、という莉奈なりのテーマを、根本から否定する嘘になる。
じゃあ、普通の家庭のおままごとをやりたいと言った風花ちゃんに対して、それは嘘になるからできない。と馬鹿正直に言えば良かったのだろうか?
少なくとも小さな女の子の夢を、自分のエゴでぶち壊すようなことは、俺はしたくない。
そして、それは恐らく莉奈も同じのはずだ。
小刻みに震える莉奈の手を見て、俺は小さく息を吐くと、彼女に言った。
「莉奈はさ、恋愛小説とかドラマとか見て、楽しい?」
俺の質問に少し驚いたような表情を向け、小さく頷く。俺は言葉を続ける。
「なんつーかさ、風花ちゃんにとって俺たちが演じるおままごとも、その一つなんだと思う。役者が俺たちに体験できない世界を画面越しに体験させるように、俺たちも風花ちゃんが憧れているものを体験させてあげる。それってきっと、莉奈が思うほど悪いことじゃないと思う」
……たぶん。と歯切れ悪く息を吐く俺。我ながら、最後の最後でカッコよく締めきれないのは悪い癖だと思う。
しかし、そんなことを考えていた瞬間。
「ぷっ、あははは!」
莉奈がお腹を抱えて吹き出したのだ。静かな住宅街に、彼女の笑い声が妙に響き渡る。
「なんだよ急に」
「ふぅ、ふぅ、ごめん。湊、急に真面目になるから」
莉奈は、目元をこすりながら、ゆっくりとコチラに向き直る。莉奈は、どこか安心したような、力の抜けるような顔をして、
「そっか。確かに、そうなのかもね」
言い切ると、えへへ。と気恥ずかしそうに笑みをこぼした。
莉奈は普段、誰からも好かれる自分を演じているが、決してその嘘で人を傷つける事はない。
それは恐らく、過去の莉奈がそうだったから。
彼女は、人の何気ない言葉や行動で、誰かが傷つくことを誰よりも理解していて、そしてその痛みを誰よりも理解している。
だから、人前では常にニコニコして、気に障る表情は一切見せないし、自分に一方的に好意を寄せる異性には、塩対応をする。
そうやって、誰かを傷つけないために、嘘を挟む。
莉奈は、そういうやつだった。
彼女の心地いい声を聞いて、俺もすんと鼻を鳴らす。
まぁ、あれだ。要するに、
「莉奈は、優しすぎるんだよ」
そういうことだ。
すると莉奈は、一瞬驚いたように目を見開くと、すぐに視線を下げて、「うん」と、しおらしく頷く。
「ありがと、湊」
「どーいたしまして」
いつものテンションで言葉を交わし、再び歩き出す。
右隣でカツカツと音を響かせるローファーと、柑橘系の香りに混じってかすかに香る、汗の匂い。
そして、T字路につくと。
「それじゃ、次にフーちゃんに会う時までに、あれ、考えておかないとね」
そう言って、莉奈はコチラに顔を向ける。
T字路の真ん中で足を止めて、莉奈と向き合う。
「ん、あれ? なんのことだ?」
俺がそう返すと、莉奈は一瞬遅れて、ふふっと鼻を鳴らす。
そして、その綺麗な髪の毛が、さらりと揺れた瞬間、
「フーちゃんの妹、どうしようね? パパさん♪」
そう、ねっとりと絡みつくように耳打ちして、俺の体から軽いステップで離れていく。
「それじゃ、また来週♪」
大人っぽい横顔で、無邪気に頬を持ち上げると、彼女は小走りで家へと走っていく。
俺の視界の先で揺れる、暗い茶髪を眺めながら、
「……はぁ、ヤベェ、爆ぜるかと思った」
自分の心臓を落ち着かせるように、大きくため息を吐いた。
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