第8話 シュレディンガーの湊くん♪
「よーっし! それじゃあ、ファイル探すぞ!」
そんなうるさい声が響いたのは、美味しそうなお弁当の匂いがする教室とは別の、旧校舎の一階に位置する、埃だらけの放送室である。
機材の保護から、閉めているカーテン。その隙間から漏れた光が、埃をキラキラと照らす。
そして、そんな騒がしい越川先輩とは裏腹に、俺の隣から殺気を放っているのは、
「先輩♪ うるさいです♪」
莉奈だった。しっかり人前で見せる用のギャルモードだったが、その言葉には、目に見えない棘が生えている。
ニコリと笑う唇の端っこが微妙に痙攣していて、なんだか怖かった。
「あぁ、ごめんな莉奈。……てかさ、」
すると、越川先輩が俺の方へ視線を向けると、少しだけ目を細める。少なくともその視線は歓迎されてないことが見受けられる。
案の定、越川先輩は言った。
「なんで鹿島も来てんだよ」
「いや、なんでって、先輩が」
と、俺が言い切る前に、莉奈が言葉を被せる。
「私が誘いました♪」
莉奈の言葉に、はぁ? と息を漏らした越川先輩、しかし、それに圧をかけるように「私が誘いました♪」と、変わらぬイントネーションで繰り返す。
側から聞いていても、なかなかの圧である。
「探すなら、少しでも多い方が良いかなって思ったのと、やっぱり、昨日ファイルを持ってきたの、私たちですから♪」
「ま、まぁ、それもそうか」
越川先輩はどこか煮え切らない返事を返し、再び俺の方へと視線を向ける。短く、俺を睨みつけると、明るい表情を莉奈の方へと向けた。
そんな事しなくても、別に俺は莉奈のこと、なんも思ってねえっつーの。
俺は二人にバレないように、小さくため息をついた。
我が放送部は越川先輩と、俺と莉奈の三人で構成されている。
そして、越川先輩は、莉奈に好意を寄せていた。
きっかけはなんだったが覚えてないが、なんとなく、そんな感じがしたのは、一年前の体育祭。
越川先輩は今風の茶色の前髪を揺らしながら、莉奈の荷物を必要以上に持とうとしたり、莉奈の好きなタイプを聞いたりしていた。
その頃から、なんとなく莉奈のこと好きなんだろうなぁ〜。なんて感じていた。やがて、俺と莉奈が一緒にいるところを目撃すると、嫌な顔をされるようになったのだ。
まぁ、同姓としてその気持ちはわかる。好きな女の子が自分以外の男子と、そこそこ近い距離でいたら、いろんなことを考えてしまうだろう。
だから俺は、部活の時は極力、莉奈に構わないようにしていたのだが、ある日莉奈から告げられたのだ。
—— 越川先輩、距離近くて怖いからさ、湊、私のボディガードしてよ。
もちろん部活限定で。と彼女が先輩を、嫌がっていることを示唆する言葉を発したのだ。流石に放っておけないので、それから俺は、先輩の嫌われ役を買うことになる。
そして、それは今回も。
「それじゃあ、俺と莉奈は」
越川先輩がそう言った瞬間、莉奈はギュッと俺の腕を掴む。そして先輩の言葉に被せるように、
「あー、そういえば昨日、放送準備室にも行ったかも! それなら、私と湊くんがペアの方が良いですよね!」
「あ、なら、俺も準備室さが」
「うん! それじゃ決まりですね! ほーら、湊くん。いこっ♪ 昼休み終わっちゃう!」
そう莉奈は俺の腕を掴んだまま、半ば強引に放送準備室へと引っ張った。
刹那、後ろから感じる強い視線に俺はため息を吐く。
いつか俺は、あの先輩に背中を刺される日が来るのだろうか。
放送準備室に入ると、背中で静かに扉が閉まった。
「あれ〜? ファイルないなー。おーい、ファイルさーん出ておいでー」
と、莉奈がDVDプレイヤーの開閉スイッチを押しながら、わざとらしい声を上げる。
そんな彼女の背中に俺は思わずツッコミを入れた。
「アホか、そんな所にファイルさん、いるわけねえだろ」
すると、莉奈は可愛らしい表情をしながら「はわわっ!?」とこちらを振り返る。今更そんなことをしているのは、『〇〇星から来た』という設定の芸能人ぐらいだろう。
いや、今の時代、そういう芸能人がいるのかどうかも怪しいが。
ため息と一緒に、「きしょ」と静かに漏らすと、刹那、莉奈の蹴りが俺の脛に命中。
予告なく襲った鋭い痛みに、脛を両手で押さえる俺。痛すぎて、声にもならない悲鳴が、喉の奥で鳴った。
すると、莉奈は俺と同じ視線まで屈む。一体これ以上何をするつもりだろう、ふとそんなことを考えていると、突然、
「……ふふっ」
不適な笑みを浮かべたのだ。それはまるで「良いこと思いついちゃった♪」なんて今にも口からセリフをこぼしそうな、そんな顔を。
「あれぇ? もしかしてファイルさん、この中かなぁ? 湊くん。ちょっとアーンしてみて?」
俺の顔を両手で挟み、満面の笑みを浮かべる。
「い、いや、そこには絶対にない……」
「そうかなぁ? でも、開けてみないと分からないよね♪」
……。
「あ、後でカフェ行こうぜ、俺の奢りd」
「それじゃあ! シュレディンガーの湊くん、お口、あーん♪」
「んんんんんっ!」
その後、頬を思いっきりプレスされた、俺だった。
数分後。
「……もう、お婿に行けない」
静かな部屋にこだました俺の弱々しい声に、莉奈が反応する。
「えー? そんなことないよぉ。あ、そうだ! 鏡持ってこようか? それとも写真撮る?」
「お前、負傷者に追い打ちかけるなよ」
「ううん。トドメだよ♪」
すると、そのタイミングで準備室と放送室を隔てていた扉が開き、越川先輩が顔を覗かせる。
一瞬俺に強い視線を向けてから、すぐに莉奈の方へ視線を向けた。
「こっちはなかった、莉奈の方は?」
「ごめんなさい越川先輩。こっちにもなかったです」
「そっか。そんで、鹿島は何やってんだよ」
「いや、俺はこいつに」
「湊くん、テーブルに脛をぶつけた挙句、そこにあるCDの山が顔に落ちてきて、怪我しちゃったんです」
そんな嘘をふんだんに盛り付けながら、心配そうな顔をこちらに向ける。
そして、彼女の白くて細い指先が俺の頬に触れると、
「痛かったよね……湊、くん」
暗めの茶髪が、カーテンの隙間から漏れた光に照らされる。
綺麗な前髪が透けて、それが妙に白いおでこと、切長の大人っぽい瞳を、女性らしく装飾していた。
久しぶりに近い顔の幼馴染に、思わずどきりとする。
彼女の手に触れ、ゆっくりと離すと俺は立ち上がる。先輩の方へと向き直り、肩の埃を払いながら言った。
「本当、机に脛ぶつけるわ、CD落ちてくるわでロクなことなかったですよ。まぁ、こいつが無事でよかった」
「……ふふっ」
俺がそういうと、背中で華奢な息遣いが聞こえる。
「いや、でもCD落ちた音なんて」
と、越川先輩が言ったところで、莉奈が俺の腕を掴む。そして、先輩の方へと歩いて行く。
「それじゃ、ここにはないって事で、教室も探してみますね!」
越川先輩をよけて、放送室を後にした。
二人で肩を並べて歩く、旧校舎の廊下。
普段旧校舎は、音楽や創作活動なんかの特別なことがないと、来ることはないためか、他の生徒の息は感じられなかった。
だから、莉奈も。
「はぁ、マジで疲れるわ、あの先輩」
そうため息を吐き出した。
彼女を横目で見ながら、俺も息を吐き出す。
「なぁ、もうちょっと越川先輩に優しくしてやっても良いんじゃないか?」
「え、やだ」
俺の問いに、感情論で返してくるあたり、莉奈っぽい。
だが、だからこそ、同姓である越川先輩の気持ちも分かるのだ。越川先輩は純粋に莉奈のことが好きなんだ。
だから、夢を見せてあげる、ではないがせめて一人の男性として、ちょっとぐらい接してあげるのも良いのではないのだろうか。
そんなことを思っていると、莉奈が静かに続ける。
「だってさ、優しくして勘違いとかされてさ、好きでもなんでもない人から好意を向けられたら、めんどくさいじゃん」
だからやだ。と、言い切り、ブレザーのポケットから白い有線を引っ張り出す。
いつも通り彼女は、最新のスマートフォンに旧式の有線イヤフォンを差し込んでは、鼻を鳴らした。
……そのイヤフォン、いつまで使うんだよ。
「じゃあさ、例えば、俺が越川先輩ポジだったとして、お前に鬼アプローチをしたらどうするんだよ」
すると、隣を歩いていた莉奈が、ふと足を止める。
俺も足を止め彼女の方へと振り返った。
「え、どうするって、私ら幼馴染じゃん、そんなことありえない」
「いや、だから例えばの話」
すると莉奈は一瞬、視線を前髪で隠してから、
「そういうの興味ない」
と、呟き、歩き出す。俺の少し前で再び足を止めると、
「いこ、湊。もう少しで昼休み終わっちゃう」
半身で振り返り、いつもの、余裕のある表情を浮かべた。
少しだけ早歩きで歩く莉奈。その度、短いスカートが大きく揺れて、ハラハラする俺であった。
でも、ちょっとだけ気にはなる。仮に俺と越川先輩にポジションが逆であった時、その時莉奈は俺にどう接するのだろうか。
まぁそれこそ、たらればの話で、机上の空論になるのだろうけど。
莉奈に追いつくと、隣から心地良さそうな鼻息が漏れる。
白い有線を、莉奈が指でなぞる。そんな仕草を横目で眺める俺であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます