第7話 ぶかぶか……でも、ふわふわ。

 シャワーを浴びた後、リビングに戻ると文乃さんはテレビを眺めていた。芸能人が落とし穴に落ちて、くすくすと鼻を鳴らす彼女に声をかける。


「文乃さん。シャワーあがりました。次どうぞ」


 はーい。とまるで母親に呼ばれた時のような、間延びした声を返す彼女。しかしすぐに、「あ……」と口を開いた。


「着替え、どうしよう」


 ……あぁ、そっか。この人自分の家に入れないんだ。


「あの、よかったら貸しましょうか? ちょっと大きいかもしれないですけど、パーカーとかならあるんで」


「うん。ありがとう湊くん。でも……」


「ん? 他に何か足りないものありますか?」


「絶対に必要かって聞かれたら、そうでもないこともないんだけど……」


 なら、一体何をそんなにモジモジしているのだろう。ふとそんなことを思っていると、文乃さんは前髪で視線を隠しながら、ボソッと呟く。


「その……下着……とか」


 瞬間、風が吹いたように記憶がブワッとぶり返す。


 思い出したのは今朝。


 微かなお酒の匂いに混じって感じた柔らかさと暖かさ。それと、薄い桃色が装飾する白くて大きな胸。


 谷間の少し右にある、小さなホクロ。


 触れてみたい。


 そんな邪な気持ちが不意に心臓を早める。


 だけど。


「湊くん……そんなに見つめられると……なんか恥ずかしぃ」


 そんな邪な気持ちだったから、俺は彼女を思わず見つめてしまったのだろう。誤魔化すように手をバタバタさせると、早口で言う。


「あ、いやすみません! そうですよね、下着は……あはは」


「……うん」


 それから、お互いに恥ずかしさのせいか、しばらく静かになる。


 文乃さんは前髪で視線を隠して、俺は、窓に映る彼女を見つめて。


「コンビニでも、行きますか……」


「そう、だね」


 その後、二人で近くのコンビニまで出かけた。


 その間は、会話はほとんどなかった。




 再びマンションに帰ってくると、彼女は早速シャワーを浴びた。ドア越しに聞こえる、床に落ちる水音にドキドキしながら、パーカーとスウェットをカゴに入れる。


 浴室の曇りガラスには目を向けずに、そっと脱衣所を出た。


 つきっぱなしのテレビを前に、深くソファーに沈み込む。


「やましい気持ちは、ない」


 そうやって、自分に言い聞かせるようにして、そっとため息を吐いた。


 やましい気持ちはない。ただ、お隣さんが困ってるから助けてるだけ。それが偶然、学校の先生で、めちゃくちゃ可愛いだけ。


 ただ、それだけ……。


 なのに、なんで、こんなにも心臓を早くしているのだろうか。


 俺は一体、何に対して、こんなにもドキドキしているのだろうか。


 ふと、そんなことを考えていると、不意にスマホが鳴った。


 突然の着信に思わず肩を震わせると、画面を確認して通話ボタンをスライドさせる。


 深呼吸をして、耳にスマホを当てた。


「珍しいな、どうした? パンツでも破けたか?」


『あんた、一言目からサイテー』


 通話越しに聞こえた盛大なため息。こんな会話、普通の女子とはできないだろう、あのさ、と莉奈は言葉を続けた。


『さっき、部長から連絡きてさ、今日の昼休み、持って行ったファイルどこに置いた? って来たんだけど……私らちゃんと机においたよね?』


「あぁ、間違いなく置いたな。なんだ、もしかしてないのか?」


『うん。一つだけ無いらしんだよね。だから湊探してだって』


「は? 人に任しといてなんだそれ。まぁ、仕方ないか……明日の放課後でいいか?」


 すると、莉奈の声が短く帰ってくる。『え?』とだけ。


 だから、俺も返した。「はぁ?」と。


「いやあれだろ? 俺と莉奈で探すんだろ? 明日」


『メッセージには湊の名前しか書いてなかったから、私帰るけど』


「いやいや、そりゃ……」


『それじゃ、バイバイ湊』


「ちょいちょいちょい!」


 今にも通話を切りそうな彼女を止めるために、思わず声を上げる。するとスマホ越しに彼女のふふっと笑う声が聞こえた。


『うそ。私と湊と部長で探すって書いてあったから、安心して』


「お前、性格悪いだろ」


『ふふっ。湊なら、とっくに知ってると思ってた』


 まぁそう言うことだから。と一方的に通話を切った莉奈。短いと感じていた通話は、意外と7分間も喋っていた。




「ごめんね、湊くん。着替えありがとう」


 そんな声と同時に、リビングのドアが開く。


 瞬間、俺は思わず目を見開いた。


「湊くん体大きいね〜。全部ぶかぶかだよぉ〜」


 えへへ。と、どこか気恥ずかしそうに微笑む文乃さん。その左手は、スウェットのズボンの腰の部分を握っていた。


 余りまくっている袖から伸びた白い手は、妙に子供っぽくて、なんだかギャップを感じた。


「えぇっと、湊くん?」


 苦笑して、右手のぶかぶかな袖を顔に持ってくる文乃さん。それで口元を隠すと、


「あまり、みないでほしい……」


 気恥ずかしそうに視線を逸らした。


 可愛いらしい彼女に、思わず、心臓が跳ね上がる。


 ぶかぶかと言っておきながら、主張するように胸の部分は盛り上がっていた。


 俺も彼女から視線を外し、「すみません」と静かに返す。


「サイズ、大きかったですよね。もう少し小さいの探しますね」


「あ、ううん。湊くん、私これがいい」


「え?」


 意外な返答に、再び視線を彼女へと向ける。


「私、これすき。ぶかぶかだけど、なんか……」


 ……。


「ふわふわして、好き」


 文乃さんは、口元を隠していた右手を下げて、黒い前髪を揺らすと、にへらと笑った。


 そんな、気の抜けるような彼女に俺は、思わずボーッとしてしまう。


 綺麗とか、学校での文乃さんとは全然違うとか、いろんな思考が頭に巡る。


 でも最後には、


「……そ、そうっすか」


 可愛いと思った。


 ……なんて、さすがに言えないなって思った。

 




 


 


 


 


 







 




 


 


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