第5話 ごめんなさいごめんなさいごめんなs……
その後も、いろんなかっこいい文乃さんを見た。
先生彼氏いるんですか? と聞いてきた男子グループを軽くあしらったり、お弁当を忘れてきてしまったというクラスの女子のために、購買でパンを買って来て、その極め付けに、
「ううん、お金はいらないわ。だってあなた達が勉強に集中する環境を作るのが、私たちの仕事だもの」
だから気にしないで。と言って、その場の女子達を沸かせたことだろう。
そんな、イケメンよりもイケメンすぎる文乃さんは、瞬く間に学校の人気者になっていった。
コレは噂程度に聞いたことなのだが、すでに男子と女子の間で、文乃先生のファンクラブみたいのができているらしい。
しかもその女子の間で、将来結婚したい異性ランキングが、数ヶ月ぶりに有名な男性アイドルから、文乃先生になったとか。
いやいや、どういう事だよ……。
もうなんか、漫画の中でしか起こらないようなことが次々と周りで起き始め、いちいちツッコミを入れるのすら疲れてくる。
放課後、帰宅をするために校門を通過する。
しかし、いつもは殺風景なその場所も、文乃さんが一人一人に「気をつけてね」と笑顔を振り撒いてるだけで、数倍は華やかな感じがした。
彼女の横を通りかかった時、心地のいい声が俺の足を止める。
「あら、鹿島くん。委員会はもう終わったの?」
「え、あぁ。まぁ新入生との顔合わせしかやってないんで」
「顔合わせかぁ〜。懐かしいなぁ〜。私にもそんな時期あったなぁ」
うんうんと、昔を懐かしむように頷くと、
「そっか。それじゃ、仕事も増えてくると思うから、いつでも私を頼ってね♪ ふふっ。なんでもお姉さんに任せなさい! なんて言い過ぎかな?」
そう言って、少しだけ恥ずかしそうに鼻を鳴らす。かっこいいのに、うすらと頬を赤く染める彼女にギャップを感じて、思わず俺もどきりとする。
本当、今日の昼休みといい、なんなんだこの人は……。
「あ、いえ……その時はお願いします」
「うん! それじゃ。また明日」
彼女は唇の端を持ち上げて目を細めた。
帰宅したのは、それから約30分ほど後の事。
ギリギリ、帰宅ラッシュに被らない電車に乗れたことにホッとしながら、マンションのエレベーターに乗り、自分の部屋の扉を開ける。
「ただいま」
癖でつぶやいたその言葉は、誰もいない冷たい廊下に響いた。
靴を脱ぎながら、考える。さて、今日は何を作ろうか。
俺は一人暮らしになってから、約一年が経過した。
元々母さんと二人で暮らしていたのだが、大学で考古学の教授をしている母さんは、一年ほど前から、ヨーロッパの方へと行ってしまった。
一応、二ヶ月に一回は家に帰ってくるのだが、去年は8回ほどしか会えていない。
そんな実質一人暮らしの1LDKは、俺には少し広すぎるみたいだ。
ソファーに座りテレビを見ている時も、ふと、小さなチワワがいたら俺の膝の上に乗ってきたり、布団で一緒に寝たり。と、ない妄想をしてしまうあたり、もう末期かもしれない。
話し相手のいないこの部屋は、学校へ行くためだけの冷たい拠点になっていた。
夕食を作る前にシャワーを浴びて、洗濯物を回す。
今日は簡単に野菜炒めでも作ってしまうかと、キャベツを切りはじめた瞬間。
——ピンポン♪
甲高い音のインターフォンが鳴った。スマホの時計は18時を示しており、母さんが帰ってくるのも、郵便物の配達も考えられなかった。
じゃあ、誰が来たのだろうか。手を洗い、タオルで拭くと玄関へと向かう。
ドアに備え付けられている、小さな覗き穴越しに向こうを伺うが、特に誰もいない。
「いたずら?」
にしては、あまりにもソフトすぎるだろう。まぁ一応、外見てみるか……。
一応、何かヤバい人がいた時のために、警戒心マックスでドアを開ける。何かあったら、全力で玄関を閉める。そんなマインドで、外の景色が少しずつ広がる。
刹那、吹き込んできた風は、どこかで嗅いだことのある甘い匂いがした。
いや、そんな表現はまどろっこしいかもしれない、この匂いはおそらく文乃さんのものだろう。
ドアが完全に開き、外に足を踏み出す。
するとその瞬間だった。
「……ぐすっ……うぅ」
玄関のすぐ横から、啜り泣くような声が聞こえてそちらへ顔を向ける。
そこには、ブラウンのロングスカートと、白色のブラウスによく映える黒髪の、文乃さんが体育座りのような格好でうずくまっていた。
彼女が鼻を啜るたびに、背中の髪の毛がさらりと揺れた。
「えーっと、文乃さん?」
なんで泣いているのか分からなかったが、とりあえず声をかけることに、すると、彼女は肩をピクリと動かし、こちらに顔を向ける。
大粒の涙と、鼻水を垂らした彼女は、まるで学校の時とは別人のようだった。圧倒的に滲み出るポンコツ感。今朝の文乃さんだ。
俺を視界に捉え、涙で濡れた大きな瞳を数回パチパチとさせると、
「あ、あぁ……みな、湊ぐぅぅ〜ん!」
いきなり俺に抱きついたきたのだ。その様子はまるで迷子の子供がお母さんを見つけた時のそれ。
いきなり飛びついて来たことと、爆弾みたいな胸を押し付けられたこと、それとやっぱりいい匂いがしたことなど、一気に情報が流れ込んできたことにより、思わず俺はフリーズした。
その間、頭と体では、葛藤が起きていた。
豊満な胸による幸せな圧力と、呼吸するたびに意識せざるを得ない彼女の匂い。それに反応してしまう体の一部を、必死で押さえ込む理性。
そのどちらが勝つかで、今後俺の人生というルートが変わってくるだろう。
あぁ、そっか。ここが俺の関ヶ原か……。
……で、勝ったのは。
「——っ! 文乃さん! 一旦落ち着いて!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなs……」
「あぁ、もう!」
謎に謝りながら泣きじゃくる彼女の背中に腕を回し、自分も部屋に引き込む。
色々あったが、なんとか理性が競り勝った俺は、過去一ナイスだったのかもしれない。
その後なんとか、文乃さんを落ち着かせる俺だった。
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