第4話 前方注意。

 ホームルームが終わると、早速彼女の周りには女子が集まり始めていた。


「せんせ、髪の毛めっちゃサラサラじゃん! シャンプー何使ってんの?」


「ボタニカルのやつだよ」


「どこ住んでるの?」


「ひ・み・つ♪」


「せんせー可愛ぃー! ね、文ちゃんって呼んでいい?」


「んー、最後に先生って付けてくれるならいいかな?」


「じゃあ、文ちゃん先生!」


 誰かがそう大声で言うと、小さく笑い声が起きる。


 それに釣られるように文乃さんも、くすくすと鼻を鳴らす。


 一方、俺は席に座ったまま、ずっと腕を組んでいた。そして考える。文乃さんにしては、あまりにもしっかりしすぎてる……と。


 少なくとも、今朝の彼女から感じたポンコツ具合は、その片鱗すら感じない。


 本当、つい二時間前が初対面だが、彼女はもっとこう、柔らかくて、ふにゃふにゃで……。


「ふふ、それじゃ、そろそろ私行くわね。みんなもこれからよろしく♪」


 それに、なんかもう語尾も違うし。


 しかし、具体的に今朝の彼女と何が違うのか、と聞かれれば、そこははっきりと答えられなかった。


 いや、答えられないと言うよりは、うまく言葉が見つからない、と言う方が近いかもしれない。


 するとその時、誰かが言った。


「文ちゃん先生。可愛いのに、なんかかっこいいね」


「ねー! なんか、大人の女性って感じがする!」


 あぁ、それだ。


 後ろのドアから、文乃さんが髪を揺らしながら歩くのが見えた。


 シュッと伸びた背筋と、その背中で揺れる綺麗な黒髪。


 凛とした顔のパーツと、何よりもクリッとした可愛らしい大きな目からは、しっかり自信が溢れている。


 そうだ彼女は、かっこいい。


 今辞書をひいて『かっこいい』の欄に『篠崎文乃』があったとしても、それはもう疑う余地はないだろう。


 少なくとも今だけは、かっこいいの最大公倍数に彼女が位置していると、そう思った。




「はぁ、まじかよ……」

 

 周りが昼休みで活気付く中、俺は両手にファイルを抱えたまま廊下を歩いてた。一番上の『放送委員会』という太いマーカーの文字を見て、再びため息をこぼす。


「なんで俺が……」

 

「それ私のセリフ」


 もう一人、俺の隣で同じくファイルを抱えた莉奈もため息をついた。


 つい先ほど、放送部の部長に山ほどファイルを渡された。理由は「やべえって、期間限定のプリンが購買に来てるってよ! すまん市川! これ放送室に持っていってくれ!」とのこと。


 クソほどくだらない。


 てか、俺ならともかく、よく莉奈に面と向かって山のような荷物を頼めたものだ。その時の莉奈の表情を想像するだけで、今日の夜は眠れなくなりそうだった。



 まぁしかし、頼まれたのは莉奈だ。と、俺はこっそり逃げるつもりで逆方向へと歩き出したのだが……。


「ね、湊くん♪」


「……」


「分かるよね?」


 ……で、現在に至る。


 いわば俺は先輩に荷物を押し付けられた、莉奈の荷物持ちをする、二次被害者なのだ。


「ほんと、先輩の上履きにムカデ五匹ぐらい入ってれば良いのに」とか、「いっそ、存在が幽霊みたいな放送委員会なんて潰れれば良いのに」となかなかブラックな愚痴をこぼす莉奈にヒヤヒヤした。


 被害者と、二次被害者が肩を並べて廊下を進む。そして、別館の方へと進む連絡通路を曲がったその時。


「あ、湊」


「へ?」


 莉奈が俺を呼んだ瞬間、俺の抱えるファイルが何かに弾かれた。


 ファイルが床に落ちるの同時に、ぶつかった相手であろう女性も床に手を伸ばす。


 刹那、どこかで嗅いだことのある甘い匂いがした


「ごめんなさい、今拾うわね……ってあれ?」


 そんな華奢な声に俺の意識が戻ってくる。視線下げると、黒く長い髪の毛がさらりと揺れる。前髪の奥で純粋な瞳がパチパチと瞬きをした。


「みな……ううん、確か二年一組の『鹿島かしま みなとくん』だよね?」


「あ、はい……ご無沙汰してます、ふみの……文ちゃん先生」


 俺がそういうと、視線の先で彼女はふふっと鼻を鳴した。


「はい、文ちゃん先生です♪」と文乃さんは余裕のある笑みを浮かべる。


 文乃さんは文乃さんなのに、どうしてこうも違う笑い方ができるのだろう。


 今朝の、力が抜けるようなにへらとした笑みとのギャップを感じて、不覚にも、どきりとしてしまった。


 すると文乃さんは莉奈の方にも視線を向けて、こんにちは、と笑みを浮かべる。


「はい! こんにちは文ちゃん先生♪」と、声のトーンを一気に上げた莉奈に俺は思わずぞくりとした。


「二人は、何か仕事頼まれたの?」


「はい! 一応昼休みなんですけど、委員会の仕事頼まれちゃって。でも、他の部員のためにしっかり仕事します!」


 今すぐタイムマシン作って、数分前のこいつ見せてぇ……。


「ね? 湊くん?」


「お、おう……一人はみんなの為だな……はは」


 紙で指を切った時のようにひやっとする感覚が走り、思わず苦笑する。本当に俺の心を読んでいるのだろうか……。


「へぇ〜、二人とも偉いわね♪ あ、もし良かったら私も手伝おうか?」


「いえ! 先生もお仕事で疲れていると思うので、私たちに任せてください!」


「そっか。それじゃ二人とも頑張ってね」


 文乃さんはそう言って心地良さそうに鼻を鳴らすと、俺の手にファイルを乗せる。


 そして俺と目を合わせると、


「前方注意ね♪」


 と、スムーズにウインクを決めて、足を進めた。


 刹那、文乃さんから甘い匂いがして、思わず心臓を早めのだった。


「……湊、いくよ。昼休み終わっちゃう」


「あ、すまん」


 


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る