第48話

「大学はどう?」

「うん。充実してるよ」

「そうか。それより何かいいことでもあった?」

「え?」

「何だか楽しそうに見えるから」

「そうかな?」


 颯太が子供をあやしながら、夕飯の準備をしている真奈美に話しかけてくる。颯太に見つかる心配はしてないが、今の言葉で身を引き締めなければと改めて真奈美は思った。


「そう言えば健吾くんって、今どうしてるんだろうね。大学も途中で辞めたんだよね」

「え? あ、うん。そうだね。どうしたの急に?」

「いや。ふと思っただけだよ。それより夕飯何かな? 悠太郎」


 颯太は、時々つかみ所が無い事を言い出す。でもそれに何か意味があるわけでは無いのは、結婚してから似たような事があったため承知している。しかしタイミングの良さに、真奈美の心臓が縮んだ気がした。


 それから週に一回から二回、健吾の部屋に通った。新しく通帳を作らせ、カードは真奈美が持った。そこに入金させ、そして一週間のお小遣いを渡す。部屋も掃除して、人らしく暮らせる空間にはなった。そして健吾と体の関係を持つのに、時間はかからなかった。


 そんな生活を初めて半年が経った頃。

 週末の夜、突然、颯太の母親が家にやって来た。颯太も知らされて無かったのか、インターホンの画面を見て驚いていた。

 玄関を開けると、挨拶もなく部屋に上がってきた。颯太の母親の態度に、何か不穏な物を感じずにはいられない。なぜなら、そんな不躾な態度をするような人柄ではないのだから。


「母さん。連絡もなしに急にどうしたんだよ」

「颯太、それと真奈美さん。ちょっとよろしいかしら」


 颯太の母親は、まるで我が家のようにリビングのソファに腰を下ろしている。


「あ、飲み物を先に用意しますね」

「結構」


 颯太と真奈美は一瞬目を合わせ、母親に指示されたようにソファに座った。


「真奈美さん。颯太と別れてもらいます」

「おい母さん。急に何を言ってるんだ」

「あなたは黙ってないさい」

「黙っていられるわけないだろ!」


 声を荒げる颯太と反対に、母親は冷静だった。真奈美に向き直ると、持っていたバッグから茶封筒を取り出した。そして中身を出すと、テーブルの上に置いた。

 真奈美は息をするのも忘れるほど驚いた。写真だった。それも健吾の部屋でセックスをしている写真。スウっと体の中の血液が一瞬にして冷えた。冷たさで痺れた手を、写真に伸ばす。

 他にも健吾と一緒の写真ばかりだ。


「颯太。別れなさい。それにそこにいる子供。颯太の子ではないでしょう真奈美さん」

 

 声が遠くから聞こえてくる。まるで脳が機能しなくなったように、颯太の母親の口元を見つめていた。


「母さん! いいんだよ。俺は別れない。だから帰ってくれ」

「何を言ってるの。この娘はあなたに違う男の種を育てさせているのよ。それに未だに関係が続いているなんて……汚らしい。成海家の恥さらしもいいところです」

「成海家は関係ない。真奈美は俺の嫁だ」

「とにかく、このまま生活を続けることは許しません」

「母さん。余計なことはしないでくれ」


 体の芯まで氷ついていた真奈美の頭上で、繰り広げられる話が、まるで他人事のように思えた。

 幸せの泡は限りなく増えるかと疑わなかったのに突然、目の前で弾けてしまい唖然としたままだ。そして真奈美がしてきたことに、颯太が怒っていないというに驚嘆も入り混じっている。


「成海家としての意見は決まっています。従わないのであれば颯太、あなたとは縁を切ります」

「わかった。俺はそれでもかまわない」

「そう。それなら仕方がないわね。真奈美さんのご実家の事も考えなければ」


 母親は真奈美を一瞥さえしない。真奈美の話をしているのに、この世に存在していない人間の話をしているようなそんな感じだった。

 母親が立ちあがり、帰っていく。その様子は、映画を見ているようだった。そして玄関の閉まる音が、未来への道を閉ざしてしまう音に聞こえた。


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