第5話

「大瀬良さん。大瀬良さん?」


 振り返ると、成海が労わるような顔をしながら呼んでいた。その横には田中が成海の腕に絡まって、ボーイッシュな容姿とは反対に揺れる大きな胸を押し当てている。彼女は成海を気に入ったんだ。そう直感した。


「笹川! 俺は帰るから。あと一年の大瀬良さん。駅が同じだからこの子も連れて帰るな」

「えーっ! 成海さん、帰るんですかー?」

「悪いな。また今度な」


 成海は真奈美を安心させようとしてか、大丈夫だよという笑みを向けてきてくれた。それに対し真奈美は恥ずかしくて顔を背けてしまう。


「じゃあ私も、途中まで一緒にいいですか?」


田中は、成海と自分を二人きりにさせたくない。そんな強い想いが尖った針のような言葉から伝わってくる。それは真奈美の気持ちに十分に作用した。


「あ、大丈夫ですよ。一人で帰れますから」


成海がチラッと腕時計を見た。


「いや、地元に着くころには十一時を回るし、あの辺りは住宅街で人の通りが無くなる。田中……笙子さんだっけ」


成海は田中に話を振った。


「笙子でいいですよ」

「俺たちはT市なんだけど、笙子ちゃんは近いの?」

「私は……F市ですけど」


T市とF市は路線も違えば場所も正反対に位置する。


「おい誰か! F市に近い奴はいるか?」


 メンバーに大声で成海が聞いた。空気が振動して皮膚から真奈美の体の中に響いた感じがした。同時にさっきまで穏やかなトーンで話していたのに、こんなに太くて大きな声が出るんだと真奈美は驚いた。

 成海の呼びかけに男女一名ずつ手が上がり返事があった。二人は一年ではない。


「一年の田中笙子ちゃん、F市らしいから後を頼みたいんだ」

「わかりました」

「じゃあ笙子ちゃん。ほどほどに切り上げて、帰りなよ」

「……はい」


 笙子は、恨めしそうな目を真奈美に向けながら返事をした。ネオンに反射して光る瞳には、成海颯太に手を出すなと警告文が点滅してるように見えた。


「じゃあ行こうか」


 真奈美は首を縦に振り、成海の後をついて行った。


 背伸びをしてヒールのある靴を履いてきたものの、慣れていない靴は足が悲鳴を上げている。すれ違う女性達は、真奈美の申し訳程度に付いているヒールではなく、着飾った服に四センチ以上ものを履きながら颯爽と歩いていた。

 それに比べ自分は、特に美人でも可愛いわけでもない。子供が無理に背伸びをして、似合わない化粧をしているようで恥ずかしくなった。


 横を歩いている成海の顔は自信に溢れ、まだスーツには慣れていないはずなのに、もう何年も仕事で着こなしているかのように様になっている。


 真奈美は小学校を卒業後、エスカレーター式のお嬢様中学に入学し、そのまま併設の高校に進学。もちろん女子校なので男性と言えば教師か父親と親戚くらいにしか免疫がなかった。


 そのまま高校と同じく併設の大学に始めは行くつもりだったが、このままでは視野が広がらない気がして、外部の大学を受けた。

 父親は反対したが、付属の大学よりもランク上だったので父親も許してくれた。

今は、娘が悪い男に引っかかるんじゃないかと心配しているようだが、以前に比べて徐々に口を出さなくなってきている。


 母親は反対に女子ばかりの中で育ってきた娘が心配だったようで、共学の大学に進学をすると言ったときは、父親を説得しながら真奈美を応援してくれていた。

 今まで異性に見られるという意識を特にしたことがなかった。でも共学の大学では、異性を意識して着飾っている同性が多い。


 鳥などは雄の方が綺麗だったり色鮮やかなのに、何で人間は女性が色とりどりに着飾り、異性にアピールするんだろう。鳥のように雌の方が地味なら、自分は惨めな気分にならなくて済むのに……と滅入ってくる。


「大瀬良さん?」


 真奈美が嫉妬と羨望が混じった目で、成海を見ていたことに気づいたようだ。


 「ええっと……そんなに見つめられる、恥ずかしいんだけど」

 

 はにかんだような笑顔を見せられ、何か勘違いされていると思った。同時に別れ際の笙子の顔が浮かんで、大学生活のスタートから失敗はしたくない。そう思った。


「ち、違いますよ! 成海さんも社会人一年目で、私は大学生一年。それなのに成海さんはそうは見えないし、周りの一年の女子達も大人びていて……」


 どう見ても自分は野暮ったい。それは口には出さなかった。言葉にすれば、もっと惨めになる気がした。成海はアルコールが入って高揚しているのか、大口で笑っている。


「そんなことはないよ。俺も後輩には、社会人になった自分は学生時代とは違うんだって、かなり無理して虚勢を張ってたんだよ。それに俺一人だけがスーツで、周りはラフな服。だから余計にそう見えるんだよ。こう見えて俺もいっぱいいっぱいだから」


 励ましてくれている。素直に受け止めようとしても、颯太の体から湧き水のように出ている自信が、どうしても邪魔して率直に受け止められない。


「……」

「俺は大瀬良さんは大瀬良さんのままでいいと思うけど。化粧も毎日していれば身につくだろうし、大学に通い始めたら自然に色々と変化すると思うよ」


 成海の言葉は、真奈美の中にある黒い水を濾過して、透明にしてくれるようだった。

 先に颯爽と歩いている女性の後ろを、無理に履いたヒールで追いかけるのではなく、低い物から徐々に慣らしていけばいいんじゃないか? 黒い水の中に沈みつつあった真奈美が見上げると、ユラユラとして不確かだけど透き通った空がそこにはあった。


「そうですね。私、焦っていました」

「うん。自分の歩幅で良いんだよ。さてと……もうすぐ電車がくるね」


 成海は携帯で時刻を調べながら「ちょっとだけ急ごうか。でも足が痛いようなら……」歩きにくそうにしている真奈美の足に気づいていたのか、チラッと小さなコサージュがついたベージュのパンプスを見た。


「大丈夫です。多分それを逃すと、しばらくありませんよね?」

「当たり。じゃあ急ごう」


 成海の伸ばしてきた手に、自然と自分の手を合わせてしまった。

 笙子の顔は思い出さなかった。

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